パーフェクト・ノーマル・ファミリーのレビュー・感想・評価
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前提知識がないと問題提起型の映画に「だけに」映ってしまうかなぁ。
今年2本目(合計280本目/今月2本目)。
大阪市ではなぜかこの映画、1週間遅れ。大阪市内で学術ものを観たいと思ったら、テアトル梅田さんかシネ・リーブル梅田さん(同じ会社の系列のミニシアターです)。前者のほうに行きました。
多くの方が書かれている通り、結婚して子供もいる家庭の中でいきなり女性に性転換したいということを言うという、いわゆるLGBT(Q)を扱う映画になります。
一方で、デンマークが舞台ですが(事実、後援として「デンマーク大使館」も出るくらいなので、相当内容としては適切に描かれている)、デンマークは2012年に同性婚を認める法律が国レベルで作られた国です(法律上の同性婚ではないが事実上の同性婚(登録パートナーシップ制度)を認める法律は、1989年と、実は1980年代)。
現在では、「「手術がなくても」、医師の診断と本人の同意があれば」、申請により変えることができるほどまでになっています。北欧の国は概してこの問題に熱心に取り組んんでいるのです。
このような背景は一切出てこないので、単にデンマークが舞台で娘がサッカーをやって…という内容「だけ」になると、「そういうLGBTの問題もあるよね」という見方にしかできず、そこはちょっと残念というところ(問題提起型の映画と考えるのが妥当だが、そのように読み取ろうと思ってもそれらが出てこないので)。
結局、国レベルでこうした問題に向き合うのは国民性という問題もあり(日本など、地方自治が発達している国では、条例という概念もある)、日本ではここ数年取り上げられてきたところ、といったところではないか…と思えます。
結局のところ色々な考え方がありますが、性の選択は本人ができるものではないので、性自認と実際の性が異なる場合にどう扱うかというのは国の考えにもよりますが(宗教が強い国では、宗教の影響を受けることもある)、究極論を言えば「刑法など、犯罪などに関して個人情報が追えなくなる状態を避ける」ことと、「民法(など、相当するもの)の親族編(に、相当するもの)で矛盾が生じない」のなら、どう考えるかは結局個人の考えが尊重されるべき、というのが私の持論で(まぁ、ここで持論書いても仕方がないですが…)、潜脱的に「申請を変えまくる」というようなムチャクチャなことをやらない限り、「常識的な範囲で、一定の証拠が取れるなら申請通りに対応する」というのが、日本がやっと始まったところで、このような映画を通して、「LGBTに対してどう考えるか」ということの問題提起と解するのが妥当と思います。
※ もっとも、デンマークは「かなりの先進国」であり、日本と比較するのはすこし難しいかなぁ、という気はします。
この映画自体はPG12扱いですが、一部に未成年のアルコール飲酒を想定できる部分があるためで(大人の営みのシーンや暴力的シーンは一切でない)、問題提起が足りていないかなと思える点はありますが(デンマークがこうした施策の先進国である、という点に触れていないため)、それでも推せる一作です。
※ なお、一部に、北欧特有のキリスト教文化を前提にする字幕がありますが、ある程度推測がつく範囲かな、と思います(まるで何かわからない、という状況になっていない)。
日本でもこうしたことは起きうるものであり、その時にどう個人が考えるかは、常識的な範囲では憲法の要請するところ(思想良心の自由)ですが、国や地方自治体としてどう動いていくか、というのは、こうした問題が提起されてから数年といった日本では、これからかな、と思います。
※ ただ、LGBT問題による「性の自認の問題」と、「フェミニスト思想」が混ざってしまうと「どちらの性で論じるのか」という複雑な問題を抱えてしまうため、そこは非常に難しいところだな、と思います(映画内ではこれらの内容は一切出てこない)。
※ もちろん、こうしたことは、例えば「学校の事業参観で誰が行くのか」「母・父と書いた場合にどう扱うのか」といった、「子供を巻き込む公教育」では事実上地方自治体の裁量になっており(地方自治法)、国はガイドラインは示せますが、強制はできません(法を作らない限り)。
日本ではこうしたことも、今後は取り上げられるのだろうと思います(地方行政が絡む公教育と、私立による学校は単純に民間の話で、単純に同一視して議論はできない。もちろん、あまりにも支離滅裂なことを言い始めると、地方行政とて介入はしてくる)。
こうした映画が公開されて見に行けたこと、それ自体に意味があると思えますし、特に減点対象にするような内容はないので、フルスコアにしました。
あるべき親子の関係なんてないことを教えてくれる
父親が性転換したいと言い出すって、子どもにしたらどんな気持ちなんだろう。母親にしたら妻ではいられないから離婚となるのはわかる。でも子どもたちにとってはパパでもママでもない親としての存在になる。
私は母親が高齢出産した子どもだったので、学校の催し物に出席する母親が恥ずかしかった。周りの母親と明らかに年代が違うから。女性になった父親のことを恥ずかしがるエマのことを観ながらそんなことを思い出した。全然違うかもしれないけど。これって子どもが成長して受け入れるしか解決法はない。まぁ、そんな感じになってて安心した。ラストの笑顔で救われる。
映画を観終わってから知っだのだが、これは監督が実際に体験したことをベースにした物語だそうだ。そう考えるとなかなかすごい話だ。一人の男が結婚して二人の娘ができて、その上で女性になるって決意するまでの過程が気になってしまう。子どもが欲しかったのか、後から自分の性別に違和感を持ったのか。そして、性転換したときの職場の反応とか。ここらへんのエピソードがなかったのは娘の実体験からきた物語だからなんだな。妙に納得してしまった。
感動的な方向に持っていきたいのだろうが…。
ある日突然、パパが「私は女性だ」と言い出した娘の心情を描いたということなのだが、これは、この映画の監督の実体験らしい。
こういう話を私小説風に、赤裸々に描けば、それだけでおもしろいといえるかもしれない。
ただ、これを父と娘がLGBTという障害を超えて、お互いを一人の人間として理解しあえましたという美談に仕立てても、感動しました!と言えるものでもない。
デンマークでは、人道的に認められるのかはわからないが、お父さんがタイに行って性転換手術を受けてくるところをみると、国内でそんな手術をする医者はいないということだろう。
少数派の人達が、世の中から迫害されないようにしてあげるのはいいことなのかもしれないが、それをあまりにも表側に持ってくると、世の中がおかしくなってくる。
この映画も、監督の実体験ぐらいでいいのではないだろうか。
性転換した父親と十代の娘が抱き合っても、感動できるものでもない。
ゲイを描いた映画で幸福な様子を描いたものは少ないので、そういう意味では、いい映画と言えるのかもしれない。
劇場で確かめてみてほしい。
本当に大切な事は…
ある日突然両親の離婚を言い渡された11歳の少女、エマ。離婚の理由はお父さんが女性になりたいと希望した為、母親から言い出したもの。大好きだった父が女性になるという現実を目の当たりにし、複雑に揺れ動くエマの心を描いた作品。
父親の性転換に関し、拒絶に近い対応を見せる母親。無理もないよな…。対して、寛容的な態度をみせるのはエマの姉、カロリーネ。そしてエマは…。
全体を通し、エマにとって厳しすぎる現在の現実と、良かった頃の思い出が詰まったホームビデオのシーンが繰り返され、そのコントラストが非常に印象的。
いやぁ~やっぱり非常に難しい問題ですよね。
ちょっと自由過ぎるように見える父親。母親との約束も破り、女性の格好で娘達の前に…。
憤慨する母親をよそに、女性の名前で呼んでほしいとまで言い出す始末。正直ワタクシ自身も、母親と同じ気持ちになっていたが…。
でもこれも、娘たちを愛するからこそ本当の自分を受け入れてほしいという父親の願いでもあったのかな。
そしてエマの気持ちやいかに。本件に関し寛容な姉程ではないが、全体を通して、女性となる父親を完全に拒絶している程ではない(ように見える)エマ。
一緒に旅行に行き、踊り楽しむ笑顔には、やはり父親が好きだという気持ちは消えていない。
それでも、友人達やその他第三者が絡む場面が来る度、思う所あるエマは問題を起こしてしまう。
どうなんでしょう?やはり本人にしかわからない、多感な時期の少女の気持ちがあるのでしょう。
クライマックスに向けての流れは切なかった。どんな形になっても、やはりエマの中にある根底の気持ちは…。ワタクシ自身、自由に振る舞う父親の気持ちが理解できなかったが、僅か11歳の少女が見せた姿に、ハッとさせられた気持ちになった。
男か女かではなく、本当に大切なのは、好きな人がその人である、ということなのかな。子どもながらそんな父親と向き合おうとするエマに心が洗われる。そして、幸せのホームビデオに追加された場面は…。
厳しくも、幸せを感じることのできる暖かな作品だった。
思い出と今とこれから
ハンドカメラのホームビデオの映像が何度も挟み込まれていたのが良かった。小さい時のカロリーネとエマをパパがお話ししながら撮っている。そして今度はロンドンでお姉ちゃんとアウネーテをエマが撮影している。
拒否して受け入れて我慢してを繰り返してゆっくりと普通のことにしていくプロセスはとても説得力があった。偏見もあるし子どもほど残酷な存在もないけれど、大人がしっかりと受け止めていれば子どもは学んでいく。そういう家族、対人関係、社会はいいなと思った。
完璧でも普通でも無くなってしまった家庭に馴染めない多感な少女がガンガン壁にぶち当たる様を温かく見守るささやかな物語
デンマーク郊外に両親と姉カロリーネと暮らす11歳のエマは父トマスの影響で物心ついた頃からサッカーが大好きな女の子。ある日突然母エレから離婚を告げられる。理由はトマスが女性になりたいから。タイで性転換手術を受けてトマスからアウネーテとなって帰ってきた父をすんなりと受け入れるカロリーネに対してエマはそれがなかなか出来ずに葛藤する。
これが長編映画デビュー作だという監督のマルー・ライマン監督自身が11歳の時に父が女性になったという実体験を基にした物語だというところにまず驚くわけですが、本作の舞台となっている20世紀末のデンマークに生きる大人達がトマスがアウネーテになったという事実を当たり前のように受け入れているということもシレッと描写されていることにもビックリ、ここから20年も未来に生きている我々が果たしてこんな多様性を獲得しているのかという疑問がドンと突きつけられます。アウネーテやヘレ、アウネーテの父といった人達の苦悩や狼狽も描かれてはいますがそれはあくまでエマ目線でチラリと見えたものだけで、物語の核にいるのはあくまで子供達。男性が突然女性になるというヘンテコな現実に単刀直入極まりない疑問を浴びせる無邪気さと残酷さに晒されてグラングランに揺さぶられるエマの心情に寄り添うように時折挿入される幼い頃のビデオ映像を眺めながら、大人から見ると未来しかないように見える子供達にとって何よりも大事なのは思い出なのだということを思い知らされます。そんな思い出を大切にしながらも新しい現実も受け入れていくことが人として成長することであることはカロリーネの凛とした姿を通じて表現されていて、そんなカロリーネが拘るのが15歳になる際にキリスト教への更なる信仰を誓う儀式である堅信式。そこには大人になりたいという願望と焦燥が滲んでいて、それを見透かしたかのようにエマがアウネーテの伴奏で歌う姉に捧げる替え歌が実にキュートでニヤニヤしてしまいます。サッカーの試合でもさりげない毎日でもガンガンに他人とも家族ともぶつかり続けるエマが最後に手にするものはささやかなものですが、それは頑張っている大人から子供への贈りもの。大人の理屈を子供に押し付けるのではなく自分で答えを見つけるまで温かく見守る包容力が子供時代に体験して得たものを大事にする環境を作る、そんな国民性を見せつけられた気がしました。
普通であることや完璧であることは重要ではない、誰に遠慮するでもなく自分が自分らしくいられる場所こそが家庭であるべき、それをさりげなく思い知らされる愛すべき作品です。
親として家族として
両親の離婚とその理由として父親が女性になることが告げられた11歳のサッカー少女と、その家族の話。
犬を飼おうと家族で出かけた最中両親の諍いが始まり、帰宅後突然離婚が告げられて…。
あらすじ説明では1990年代とあるけれど、Cartoon Heroesが流れていたしエマのユニホームの印字ををみるに2000年頃ですね。
13歳にして見た目も中味も出来過ぎな長女カロと比べて、戸惑いが顕著にみえるエマだけど、いやいやエマも充分出来過ぎですよ!
むしろ1番我を通し、出来る家族に甘えて好き放題なのはパパでしょう。
とはいえ、ちゃんと娘達への思いや愛情は持っているしね。
観る前はコメディなのかと思っていたけれど、形は変わっても、家族として、個人として尊重しあう家族の関係と、家族愛の溢れる至ってマジメなドラマに幸せを感じ胸が熱くなった。
2人娘の揺れ動く気持ちはよく表現出来たと思うけど…
パパが自由過ぎて振り回される娘達がかわいそう…なんて感じてしまった。なぜ、子供を作ったの、っていうエマの気持ちは単純に思うことで。それは簡単に答えられるものでもないんだろうけどね。
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