「どう形容して好いか悩んでいたけれど、これはこの監督バージョンの『アマルコンド』だ、という事に思い至ったらストンと納得。秀作だ。」The Hand of God もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
どう形容して好いか悩んでいたけれど、これはこの監督バージョンの『アマルコンド』だ、という事に思い至ったらストンと納得。秀作だ。
①監督の出身地だけあって空からの、海からの、日光の中の、夜景のナポリが実に美しい。②フェリーニへのオマージュだと思えるところは映画のあちこちにある。ファビエットがついていった兄のフェリーニのオーディションのシーン。如何にもフェリーニの映画に出てきそうな奇抜な役者群の中で、兄が「普通の農民顔」と言われるのも良くわかる。オーディション会場の舞台裏を覗いたファビエットの目に飛び込んでくる色んな女性たちの顔写真…「女の都」?ファビエットの親戚の女達の大半が太っているのも如何にもフェリーニ好み?ストロンボリ(イングリッド・バーグマンを思い出す)から一人帰るファビエットを乗せたフェリーに向かって人々が海に飛び込むシーンはまるで『アマルコンド』を思い起こさせる…④見る側と見られる側との切り返しを多用しているのも如何にも映画らしい。ほぼ冒頭、《見る側》ファビエットと両親とが部屋を覗き込んでいる→カメラが切り替わると→《見られる側》叔母(母親の妹、ファビエットのミューズ)が鼻血を流し片方の乳房を露にしている姿。初めの方でファビエットの親族が集まってのパーティーのシーン。《見る側》叔母(父親の妹)が新しいボーイフレンドを連れてくるのを皆待っている。叔母さんの新しいボーイフレンドはいとも醜男らしい。二人が坂を上がってくるのを代りがわり望遠鏡で覗く「脚が悪いらしいぞ。」「やはり醜男だ。」→《見られる側》二人の到着。それほど醜男ではないが何と声帯マイクを使って話す男!《見る側》パーティーのあと水泳を楽しんだ一行が船の片側にまとまって座って困惑した顔で何かを見つめている→《見られる側》ファビエットのミューズである叔母が全裸で船のもう片側で日光浴している。《見る側》隣人宅で母親のイタズラを謝って畏まる一家四人→《見られる側》先程の喜び様とは真逆のぶちきれた隣人家族※ここは逆でもいいか。《見る側》ファビエットが街頭でふとあるものに目を吸い寄せられる。見ると周りの大人達も一点を見つめている→《見られる側》マラドーナらしきた男が車に載っている。⑤