あのことのレビュー・感想・評価
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「痛み」を含めた身体感覚の擬似的な体験が強烈に印象的な一作。
本作のカメラはほぼ全編、主人公アンナ(アナマリア・ヴァルトロメイ)に密着しており、観客はまるで彼女にまとわりつく透明人間にでもなったかのように、彼女の肩、あるいは頭越しの映像を辿ることになります。
完全な一人称視点とも異なる、こうした「密着型三人称視点」とも言うべき描写は、『サウルの息子』(2015)や『レヴェナント:蘇えりし者』(2015)でも用いられた手法ですが、本作は画面がスタンダードサイズに近く、要するに左右が切り詰められた画面であるため、さらに『サウルの息子』を想起させる画面となっています。加えて被写界深度(ピントの合う範囲)を極端に狭めて、画面の大半がぼやけているところもまた、『サウルの息子』を思わせます。
こうした撮影手法の目的は明確で、オードレイ・ディヴァン監督はアンナが見たもの、感情、そして痛みの感覚すら、観客との同期を試みています。観客が体験するものは1960年代の大学生、アンナの数週間の経験です。中絶が違法だった1960年代のフランスで、予期していなかった妊娠が明らかになったアンナがどのような判断を下し、行動するのか。その下した決断と行動は余りにも鮮烈で、疑似体験とは言え時に目を背けたくなります。近くで鑑賞していたご年配の男性が思わず「お、おお…」と言葉にならない呻き声を発して身をすくませるほどでした。
ポスターの文言ではアンナが目的のために主体的に「闘った」ように受け取れるのですが、彼女はむしろ、実際に妊娠した女性の身体や感情を置き去りにしている当時の法律、人々の相互監視、社会関係だけに関心がある男性などに翻弄され続けていることは明らかで、鑑賞後にポスターを見返すと、ちょっと違和感を感じてしまいました。
鑑賞にはそれなりの心積もりを要しますが、遠い国の過去の物語ではなく、現代の問題として多くの人に観られるべき作品でした。
フランス版"広瀬すず"
主演のアナマリア・バルトロメイという俳優ははじめましてだが、なんだか似た匂いを感じる日本の俳優をずっと思い出しての表題である 日本では絶対不可能であろう題材に、もし所属事務所が赦されたのならば、今一番可能性を感じるのは広瀬すずだと思う 何と言ってもあの強い目は今作の女性のそれであろう
逃げることなく真実を語ること それは政治的なことに帰着させることではなく、あくまで私小説としての自分の結論 それを忖度無く表現することに映画としての意義を強く感じる一作である 『主婦になる病』、この台詞に今作の全てが凝縮されている・・・
当時の苦しさを追体験
中絶が違法である時代。
妊娠によって将来を閉じることになってしまう。
その中で、一人戦う女性の経験を追体験する。
周りから理解が得られず、親友からも拒絶される辛さ、息苦しさ淡々とだが強く伝わってくる。
今もだが、女性が被るリスクの多い社会となっているよなぁと改めて感じる。
胸いたくなる苦しさ
良きも悪くも自分でなんとかしなくてはという苦しさが伝わる。
とにかく余計なドラマは排除して、なんとかしなくては、なんとかしなくてはが続く構成が見てる人間に苦しみ痛みを追体験させる。主人公の自業自得、勝手というのも良かった。
罪と罰を背負いしれっと生きてる人間そのものの描き方が共感できた。
シンプルながら力強いメッセージを放っている
アンヌはたった一度のセックスで妊娠してしまい、堕胎を決心する。しかし、1960年代のフランスでは中絶は違法で、大きな罪とされていた。彼女は成績優秀で周囲からの期待も大きい優等生である。世間体のこともあり家族や友人に相談できず、医者に打ち明けたとしても力になってくれる人は皆無で、どんどん絶望的な状況に追い込まれてしまう。
本作には原作があり(未読)、原作者本人の実体験を元にしているということだ。本作のアンヌのように、原作者もさぞかし苦しい思いをしたのだろう。
物語は非常にシンプルである。過去には「JUNO/ジュノ」や「4ヶ月、3週と2日」等、同じテーマを扱った作品があるし、かつての人気ドラマ「金八先生」の中では「15歳の母」という中学生の妊娠を描いたエピソードもあった。こうしてみると題材自体、決して新鮮というわけではない。
ただ、緊張感を持続した演出が素晴らしく、観ているこちらも終始、この息苦しさに押しつぶされそうなってしまった。
劇中には目を覆いたくなるような凄惨なシーンも出てくる。そこもカメラはカットを切らずに彼女の苦痛の表情を生々しく捉えている。特に、終盤はほとんどホラー映画のようなトーンになっていき、この畳みかけるような演出には戦慄を覚えた。
尚、フランスでは現在は中絶は容認されている。日本でも、もちろん認められている。しかし、世界を見渡せば、宗教上の理由から中絶を認めていない地域がまだあり、この手の話は決して過去のものではない。今まさに起こっている現在進行の話でもあるのだ。
もとをただせば、避妊をしてセックスしろという話だが、若さゆえの過ちというのは誰にでもあるわけで、現実問題としてそう単純に割り切れない面がある。それゆえ、この手の作品はいつの世にも通じる普遍性を持っているのだろう。
過去の時代の話のようで……
中絶が違法だった頃のフランスでの話。
思いがけず妊娠してしまった前途有望な女子大生が
なんとか中絶しようと奮闘する話。
かなり生々しい描写もあり
なかなかん衝撃作だと思う。
男性にこそみてほしいとも思うが
どのような受け取られ方をするかわからない部分もある。
主人公の女性を通してみる世界は
非常に孤独で、やりきれない気分にさせられる。
ただ、これは単なる過去のことという話ではなく
現在でも中絶を違法とするところもあるし
違法ではなくても、決定権が本人のみに帰属するものではなかったり
中絶の方法が、決して安全とは言えない方法で行われていたりなど
どこか本質的には現代にも通づる話であったように思う。
中絶という選択をしなくてはいけない状況にならないようにすることも含め
女性の権利というものをいま一度真剣に考えられる社会であってほしいと思った。
これがノーベル賞作家の作品?
法律で中絶が禁止されていた1960年代フランスで、望まぬ妊娠をした大学生のアンヌは、学業を続けるため違法な中絶を流産という形にするため12週間にわたり色々試す話。
アンヌの目線で困ったり嘘をついたりする様子は確かに臨場感有ったが、これでノーベル賞作家の原作?って思った。
ま、小説と映画は別物だから小説は素晴らしいのかもしれないが。
高校生ならもっと困るだろうが、大学生なら休学とか他にも手段がありそうな気がする。特に、なりたい職業が小説家なら、時間はどうでもなりそうだし、子供がいても小説なら書けるでしょ、って感じた。
アンナ役のアナマリア・バルトロメイは頑張ってたと思うが、綺麗でも可愛い訳でもないから、あまり感情移入できなかった。
題の「あのこと」とは「出来事」らしいから、中絶の事なんだろうが、原作者の実体験なのかな。
理不尽な世界の中で窮地に立たされた女性の凄惨な試行錯誤を至近距離で凝視するドラマ
1963年のアングレーム。大学で文学を専攻しているアンヌは教授もその才能に一目置くほど優秀な学生。進級のための大切な試験を前にしたある日体調の異変を感じた彼女は病院に行き妊娠していることを知らされ愕然とする。すぐさま中絶を希望するアンヌだったが当時妊娠中絶は違法であり、それを口にすることすら憚られる時代。親にも友人にも相談出来ないアンヌはただ一人で解決策を模索するが・・・。
アニー・エルノーの約60年前の実体験を綴った短編『事件』を映画化した作品ということですが、映像そのものには画面アスペクト比が4:3のスタンダードサイズであること以外ノスタルジーを喚起するような装飾は一切なし。引きのカットもほとんどなくアンヌに寄り添うカメラが彼女の試行錯誤を凝視しているので、アンヌの透き通るような佇まいに目を奪われながらもその試行錯誤の凄惨さに何度も目を背けそうになりました。劇中で引用されるルイ・アラゴンの詩に象徴されている通りアンヌが求めているのは自由であり、教授が読み上げるヴィクトル・ユーゴーの言葉を聞いた瞬間のアンヌの表情を見た瞬間に、本作が一人の女性が理不尽な世界を相手に戦い抜く勇敢な物語だと気付かされました。
このような非人道的な時代は1973年の米国における“ロー対ウェイド”判決、そしてフランスにおける1975年のヴェイユ法の施行によって終わったわけではなく、その後も延々と無数の悲劇が繰り返され、果ては米国連邦最高裁が“ロー対ウェイド“判決を覆す判断を示すという逆風の中で本作が上映されていることには途方もなく重い意味があると思います。
ほとんど笑顔を見せることのないままずっと映り続けているアンヌを演じるアナマリア・ヴァルトロメイの文字通り体当たりの熱演がとにかく凄まじいので、いつまでも脳裏に残像が残ります。
女性にも選択肢はある。
まだ中絶が法律で認められていなかったフランスで望まぬ妊娠をしてしまった女子大生の主人公があらゆる手を尽くして自分の人生を犠牲にしないために中絶しようと模索する話。
カメラはずっと主人公に寄り添い、画角も狭く、妊娠してからの時間経過がこまめに提示される。そんな中で、誰も頼りにできずに孤独に苦しむ主人公を見ていて「どうか無事に中絶できますように!」と祈らないではいられない。これなら中絶に反対する人でも多少は主人公を応援してしまうのではないか。
中絶が違法だったが故に何度も痛い思いをする主人公を見て、自分だったらこの苦痛に耐えてまで中絶するだろうかと思ったけど、痛みは一時のもの、今後の人生ずっと苦しむと考えたらそんな痛み痛くない。てかどうせ産むにしてもめっちゃ痛いし。同じ痛い思いするなら確実に私は人生を選びたい。
そして中絶が合法な現代でもこの時代と変わらないところは未だにあるし。アメリカほどキリスト教が浸透していない日本は空気的に中絶も1つの選択ですよみたいな面してるけど、実際自分妊娠しちゃったら誰にも何も言わずに中絶すると思う。そうして、この主人公みたいに何事も無かったかのように社会に戻る。妊娠において産むも中絶するも本人は孤独なのはずっと変わらない気がする。
本当につくづく思うけど男って夜遊び何のリスクも追わなくて羨ましいなー!一度の過ちで全部が犠牲になるなんてフェアじゃない!中絶したとしても「中絶」という苦しみは残るし!もっと女に敬意を払えー!!(笑)
トランプ元大統領はマジでない
男性からすると、まさしく女性性を擬似体験できる作品となっているのではないでしょうか?
メディアに良く出てくるお化粧をしておしゃれをし、恋愛を楽しむのが女性ではないです。だってこれは、男性でもできることでしょ?本作のアンヌの様に妊娠のリスクがありキャリアを断たれるリスクがあり主婦という病になるリスクがあるのが女性の本質です。
舞台は1960年代でしたが、人工中絶が合法化された現代に生きる日本人の私にも、他人事には思えませんでした。だから、本作を通して女性性の痛みを感じた全ての人達は、人工中絶禁止法が、女性の人権侵害、生命侵害をする全くばかげた法律だと理解できると思うのです。「生命の尊重」だと?だったら、戦争をする意義も説明してみろと言いたい。
戦争は、支配層が神の名の下に神を利用して民衆の命を握る行為ですが、人工中絶禁止法も戦争と本質が同じだと感じます。それは、絶対的に自分のものである女性の命、女性の身体の一部である胎児の命を支配層が日常的に握っているからです。
アメリカの中間選挙は予想外に民主党が得票したわけですが、これは人工中絶禁止法に反対する女性の票が入ったと言われています。
トランプ元大統領及び人工中絶禁止法に賛成する奴らは全員、アンヌと同じ目にあわせたい。また、中絶が出来なかったor失敗した大勢の女性達とも同じ目にあわせたい。本作は男性にも十分想像力を発揮できる作品だと思うのですが、同じ目にあうとか、どうですかね?
仮にこんな野蛮な法律が復活するならば、もうテクノロジーの力で、機械的に妊娠出産を性別問わずコントロールできる様になって欲しいですね。セックスというのが、過去の野蛮人が行ってきた行為になれば、人類はもの凄い進化といえますし、性欲を取り上げちゃえば、犯罪も大幅に減るのではないでしょうか。それくらい、女性は怒っています。
女性の性欲や向上心を隠さず(隠す必要がないから)表現しているところも、清々しくて良かったです。
衝撃の映画体験
2022.97本目
自分の体との、そして周りの人間との孤独な戦い。
その苦しい戦いの末に「ドボン」と便器に落ちた
赤黒いぐちゃぐちゃの塊。
大切な一つの生のはずなのに、「彼女を長く苦しめてきた悪魔だ」と思ってしまった。
スリラー映画やホラー映画より、痛くて、苦しくて、
焦燥感と閉塞感を感じた。
この映画には、性や生が美しく描かれない。むしろ、生々しく恐ろしいものとして描かれている。それも良かった。
鑑賞中の衝撃は、今年1番かもしれない…
自分と歳が近く、そして自分も生理が遅れていてソワソワし始めているから、感情移入も一層だったと思う。
鑑賞中も鑑賞後も、痛くて苦しくてボロボロ泣いてしまった…
すごいものを体験してしまった…!!
いらなきゃやるな! これも人類の永遠のテーマ
40過ぎても不妊治療や大金払ってまで人に産んでもらおうなんて人もいれば赤ちゃんポストや中絶や捨て子は後を絶たない やらりアラブの国の様に夫婦以外のエッチ禁止や男の側に罰則を設けるべき❗でも今のフランスはパートナーはいらないけど子供だけ欲しい何て人も多数いるようで現状はどうなのだろうか⁉️
でもハサミで切って捨てたら今でも犯罪だろ!
主人公に「案ずるより産むが安し」と教えたかった。賢さゆえに孤独になっていく女子大生
これは震え上がる男性続出だろうなあ。原作も監督も演者も、女性の賜物である。中絶のリアル描写は圧巻だ。かと言って、フェミニスト寄りのメッセージを感じるだけの啓発映画として見てはもったいないと思う。
欲望が羞恥心に勝った、って登場人物の一人が言ってたけど、二十歳前後の若者ってそんなものですね。そして、頭ではサルトルの実存主義を理解しようとしているのに、自分の身
に起こったことには脊髄反応のように一つの結論しか持てない悲しさ。発想を転換すれば、命を危険に晒すこともなかっただろうにね。60年代ってそんな時代だったのか。かたや「本音と建て前」の日本社会、(最近まで優生保護法なんかもあり)昔も今も比較的容易に中絶できてしまう。そして少子化。かたや現代フランスでは婚内子より未婚非婚カップルの子どもの数の方が多かったんでしたっけ。この辺はエビデンスなしに勝手に言えないけど、婚内子にこだわる日本社会の歪さの方にまで考えが及んでしまった。
刹那的に深く交わってもその後の妊娠をきっかけにどんどん孤独になっていく皮肉。相手の男性とも、両親とも、友人とも。自分だけの努力と才能で勝ち取ってきた高学歴者ゆえの孤独がヒリヒリ、相談下手。ヤンキー気質の人の方が柔軟に運命を受けれてコミュティの中で問題を解決する知恵を持っている?のはどこの国も同じなのかな。
365日働く階級の両親、特にお母さんとアンヌの関係性、セリフや所作によく表現されていたと思う。お母さんのピンタは、本当に痛かった。子どもって、いい方向にも悪しき方向にも、親の理解と想像を超えていくものだ。
ちょっと長くてつかれた。
監督が女性でよかった
妊娠中絶の是非については、議論の余地はあるとは思うけど、まだ妊娠中絶が認められなかった時代に、誤って妊娠してしまい未来を奪われそうになる女性の葛藤と苦痛が伝わってくる。
生々しいシーンも多く、男性監督だったらヤバいな…と思っていましたが、監督が女性で少しホッとしました。
主演のアナマリア・バルトロメイの体当たりな演技が凄まじいです。
意味深な映画
1960年代初頭と思しきフランスが舞台の映画でした。主人公は文学専攻の女子大生のアンヌ。成績優秀で担当教官からも将来を嘱望されるほど。ところが同年代の男子大生といい仲になり、生理が来ないので検査してみると、妊娠していることが発覚してアンヌの苦闘の物語は始まります。
これは観終わった後に調べたことですが、フランスでは19世紀初頭、まだナポレオンが皇帝だった1810年に制定された刑法により、中絶も避妊も違法とされており、1960年代に至ってもこの法律は生きていたようです。そのためアンヌは、普通の病院に行っても人工中絶手術を受けることが出来ず、自分で子宮に棒を突っ込んで堕胎を試みるものの失敗。最終的には同級生の男友達に紹介された非合法の中絶専門の女医(医師免許があるかすら不明だけど)に施術を依頼することになりました。
これまた鑑賞後に調べたことですが、当時人工中絶が非合法だったとは言え、その需要は少なからずあったようで、本作に登場するような非合法に中絶手術を請け負う女性が結構いたとか。ただ当たり前の話設備も技術も覚束無い闇医者が手術をする訳で、リスクも高かったようです。
そんな中絶禁止法がなくなり、フランスで人工中絶が合法化されたのは、この物語から10年以上経った1974年に成立した通称ヴェイユ法を待つことになるそうです。
要はこの物語、女性にとってのある意味暗黒時代の夜明け前を描いた作品でした。
興味深いのは、フランスで中絶が合法化されて半世紀ほど経過した訳ですが、同時期にロー対ウェイド判決により人工妊娠中絶が合法化されたアメリカにおいて、先ごろこうした流れに逆行する動きが出ているということ。事ある毎にアメリカの野卑で幼稚なところをバカにするフランスのこと、本作も婉曲的にアメリカの昨今の動きを皮肉っているのかしらと思わなくもないというのが感想でした。
肝心の映画の中身ですが、アンヌ役のアナマリア・ヴァルトロメイが難しい役柄に体当たりしていたのが印象的でした。親や友達に当たり散らしながらも、必死で中絶をしようとする哀れな姿を演じる様は、まさに迫真の演技でした。
あと、筋とは全く関係ありませんが、アンヌに闇医者を紹介した同級生役のケイシー・モッテ・クラインが、若い頃のプーチンに似ていて何となく笑ってしまいました。
そんな訳で、体当たりの演技で物語を面白くしてくれたアナマリア・ヴァルトロメイの活躍に★4の評価としたいと思います。
目を背けてはいけない作品
「レボリューショナリー・ロード」
「17歳の瞳にうつる世界」
のどちらも見たが、そのどちらとも違う作品。
一言で言えば「孤独」だ。
中絶が違法な時代、誰にも言えず、悩み苦しむ。
その苦しみを観客も追体験する。
目を背けてはいけない。
映画は「省略の芸術」なので、「見せなくても分かるよね」ということは見せない。
でも本作は違う。
その生々しい場面を見せる。
これは監督の明確なメッセージだ。
「目を背けるな」と。
なぜなら、これは「昔話」ではなく、「現代の問題」なのだから。
米国で「ローvsウェイド判決」が覆された今こそ見るべき作品。
これは海外の問題じゃない。
安価で安全な薬品による中絶方法が海外では一般的なのに、
日本ではリスクのある「掻把法」という方法が用いられる。
(本作と同じかな?)
ピル、アフターピル使用のハードルは高い。
これらは全て同じ延長線上にあり、他人事じゃなく、日本でも同じなのだ。
「妊娠と人生と引き換えにはしたくない」と闘った女性のありのまま。
中絶が違法であった60年代フランスで、人生を取り戻すべく中絶を受けるため最後まで戦い抜いた大学生の物語。ノーベル文学賞を獲ったエルノー氏の私小説に基づく。狭い画角、息遣いまで容赦なく描くリアリティに貧血や腹痛を感じ、動悸が起きたくらい。
この作品は男性にこそ観て欲しい。
セックスは2人で行うもの。
なのに、妊娠?中絶?女の問題でしょ?となるのはなぜだろう。
妊娠も出産も、中絶も、最後までふたりの問題ですよね。そこまで背負えないなら性行為はしない方がいい。
生涯生理もなく、妊娠もせず、出産もしない身体とは、どんな感覚だろうか。想像もつかない。
1週づつ、1日づつ、妊娠は進んでいく。
その恐ろしさ、焦りをここまで当事者以外の鑑賞者にまで伝えてくる作品、本当にすごい。
目を背けたくなる?とんでもない。気持ちのいいセックスの、すぐとなりにある現実です。
これは1975年まで中絶が合法化されなかったフランスでのお話ですが、現代においてもアメリカでは一部の州での中絶が禁止とされ、それが増えていくかもしれない状況。とんでもない話です。
その人の体はその人のもの。その人の子宮で起きていることを、他人の男性たちがとやかく決めて制御しようとするなんて、醜悪すぎて到底受け入れられません。
例外としてレイプによるものなら仕方ない?たとえいい加減な性行為による妊娠中絶であっても、最終的な決断権は女性本人にあるべきです。
そして一番男性に伝えたいのは、
「中絶の権利を女性に!」
これは中絶を良い手段と思っているのとはまったく違うということです。
進んで中絶したい女性などいません。心身ともに大きく傷つく処置です。
「望まないすべての妊娠を『ふたりで』避ける努力をした後で」最後の救いとして中絶は絶対に許されるべき手段だということです。
こちらの感想の中にも「女性も男遊びをしている」「自業自得」「消される命が」など散見しますが、それすべて、男性も背負っていますか?妊娠=軽率な女性への罰、かのような受け止め方が令和の今でも見られるのは残念ですし、道のりは遠いと感じさせられます。
この作品は、フェミニズム作品ですらありません。ひとつの事実を写しているだけです。
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