「母を守るために」パワー・オブ・ザ・ドッグ sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
母を守るために
リーダーシップはあるが、粗野で横柄な牧場主フィルと、親切だが口下手で鈍感な弟のジョージ。
彼らは牧場を引き継いで25年になるらしく、フィルは今でも牧場を引き継いだ時の恩人である亡きブロンコ・ヘンリーという馬乗りを崇拝していた。
ある日フィルは仲間を連れて一件の食堂を訪れる。そこは未亡人であるローズとその息子ピーターが二人で切り盛りしていた。
女性のように繊細なピーターをフィルは散々馬鹿にする。
その様子を見ていたローズは、ピーターの苦しみを思い一人涙を流す。ローズに気があるジョージは彼女を慰めに訪れ、そして結婚を承諾させてしまう。
ピーターは医学生になるために家を出ていくが、ローズはジョージの元へと嫁いでくる。
しかし彼女を気に入らないフィルは、回りくどいやり方で彼女に嫌がらせを始める。
そしてローズはストレスからアルコール中毒になっていく。
とても骨太なドラマだが、よく登場人物の行動を観察していないと意味が分からないシーンが多くなってくる。
なのでストーリーはそれほど込み入っていないが、難解な作品ともいえる。
説明的な台詞は少なく、常に腹に何か鬱屈したものを抱えているフィルの姿が印象的だった。
物語が進むにつれてフィルの秘密が少しずつ分かってくるが、最後まで明確な言葉で語られることはない。
序盤でも彼がジョージと同じベッドで寝る時の仕草や、ブロンコ・ヘンリーを敬愛する時の表情から、彼がゲイであることは予想できる。
彼が頑なに身体を洗わないのも何か関係があるのかもしれないと思った。
フィルには秘密の水浴びのスポットがあり、そこにはブロンコ・ヘンリーの肉体美が露になった写真が隠されていた。
そしてフィルは秘密の姿をピーターに見られてしまう。
ピーターに秘密を知られた途端に、彼に優しく接しようとするフィルの姿が滑稽だった。
彼はピーターのためにロープをプレゼントしようとし、彼に乗馬のノウハウを教える。そして彼に母親からの束縛から逃れるように諭す。
フィルはピーターのことをずっと弱い存在だと見くびっていたが、実はこの映画で一番怖いのはピーターだ。
彼は冒頭のモノローグで、何としても母を守ると誓う。
とても繊細で芸術的なセンスのあるピーターだが、時に残酷な姿を見せる。
彼は母を慰めるために野うさぎを捕まえてくるが、それを医者になるための参考にと解剖してしまう。
そして彼はローズがフィルの嫌がらせのせいでアルコール中毒になってしまったことを心の中で恨めしく思っていた。
ある日、フィルは牧場の柵に干していた家畜の生皮が全て失くなっていることに気がつく。
実はローズがフィルへの仕返しのために生皮を全部先住民に譲ってしまったのだ。
フィルはピーターにプレゼントするためのロープに生皮が必要だったのだと嘆く。
ピーターはフィルに近づき、実は生皮を切り取って保管してあることを彼に告げる。
それはピーターが山で病死していた家畜から切り取ったものだった。
フィルはその好意を有り難く受け取るが、それが彼の運命を決定づけてしまった。
彼は手に深い傷を負っており、さらに病死した家畜の生皮に素手で触れたために炭疽病にかかってしまう。
そしてそのまま呆気なく彼は亡くなってしまう。
さて、色々と偶然は重なったものの、ピーターが明らかに殺意を持ってフィルに生皮を渡したことは間違いない。
完成したロープを手袋をつけた状態でベッドの下に隠すピーターの薄気味悪い笑顔が印象的だった。
彼はジョージと仲良く抱き合うローズの姿を見守り笑みを浮かべる。
それはローズの幸せを喜んでいるようにも見えるが、実はジョージをも殺そうと企んでいるのではないかと思わせるぐらい不気味だった。
タイトルにある犬の力が何であるかは、ピーターが最後に唱えた呪文で分かる。
牧場の前に聳える山の形もブロンコ・ヘンリーは吠える犬のようだと話していたらしい。
淡々としているが、見応えのあるドラマで、フィル役のベネディクト・カンバーバッチの圧倒的な存在感が見事だった。
ここまで表情だけで饒舌に語れる俳優は他にいないのではないか。