「救いか、犬か」パワー・オブ・ザ・ドッグ 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
救いか、犬か
オーストラリア人女性監督とイギリス人俳優主演で描く、異色の西部劇。
決闘などのアクション要素は一切ナシ。愛憎渦巻く濃密な人間模様と、その果てに…。
牧場を営むフィルとジョージのバーバンク兄弟。
開幕早々、兄弟の性格が分かる。
弟ジョージは穏やかな性格。…いや、兄に対し畏怖すら抱いている。
兄フィルは弟を“太っちょ”と呼ぶなど威圧的な性格。周囲からも恐れられているようだが、カウボーイ仲間からはカリスマ的に尊敬されている。
西部の全てを叩き込んでくれた亡き親友、ブロンコ・ヘンリーを崇拝。西部の男こそ、男。男は男であるべき。
牧場の仕事で町へ。ジョージが手配してくれた食堂で食事を取る。
未亡人とその息子が営むが、フィルは繊細な息子を散々からかう。ナヨナヨした男は男じゃねぇ!
未亡人も息子も気に食わないフィル。
涙する未亡人。深く傷付く息子。
慰めるジョージ。
フィルは誰かが陰に隠れてコソコソコソコソやってるのも気に食わないようだ。
最近何かと町へちょくちょく繰り出しているジョージ。
突然の告白。兄に内緒で結婚した事を。相手は、あの未亡人ローズ。
彼女を牧場暮らしに招く事になるのだが…
ローズからすれば、夫との死別後、息子と二人三脚。やっと巡り会った優しい男性。
ところがその男性の兄が…。
暴力を振るったりはしない。精神的な圧。気付くと、憎悪に等しい目で見ている。重々しい足音すら心地悪い。
極め付けは、ピアノが趣味のローズ。その音色に合わせ、フィルはギターで邪魔をする。執拗な嫌がらせ。
一応“奥様”として周囲の使用人やカウボーイに扱われているが、まだ食堂で額に汗して働いてた方が満ち足りてたかもしれない。
夏。都市部へ留学していた息子ピーターが“里帰り”。
あの一件以来の再会。ピーターはフィルに対し未だ恐怖と苦手意識、フィルはピーターに対しこちらもやはり女々しくナヨナヨした“お嬢ちゃん”。
が、後半はこの二人がドラマを大きく動かしていく…。
本作で第78回ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)受賞。
ジェーン・カンピオン、『ピアノ・レッスン』以来の大傑作の評判に異論ナシ! オスカーノミネート落選はまず100%有り得ず、『ノマドランド』のクロエ・ジャオに続きアカデミー賞史上初の2年連続の女性監督賞受賞に期待が掛かる。と言うか、私なら迷わず一票入れる!
何が素晴らしいって、一見取っ付き難そうに思える西部劇というジャンルと重厚なドラマだが、見事な語り口で引き込まれる。静かな作風だが、ピンと張り詰めた緊迫感。
章分けも見易い。脚本も自身で担当。
登場人物一人一人の性格、内面、変化、それらの掘り下げも完璧。
雄大なモンタナの自然の中に。緑の大地、美しき森林、何処までも拡がる地平線と山々…。
そして、耳に残るはジョニー・グリーンウッドの不穏を煽る音楽。
監督を始めスタッフの仕事ぶりにも一切の抜かりナシ!
物語を動かす登場人物は4人といったところ。各々、キャラ描写や背景を体現。名アンサンブルを見せる。
高慢な天才役が多いベネディクト・カンバーバッチが粗野なカウボーイを力演し、圧倒的存在感! イギリス人ながら西部の男に見える。
完全に役に同化、パワハラ言動には見てるこちらも恐れおののく。少しずつ揺れ動く感情の変化はさすがの名演。
子役のイメージを完全に脱したキルステン・ダンストも本作で新境地。未亡人の苦悩、苦難を魅せてくれる。
受け身の好演を見せてくれるジェシー・プレモンス。4人の中で出番は控え目。前半はフィルやローズとの絡みがあったが後半はほとんど出番が薄くなってしまったが、それでもしっかり脇固め。
この二人、実生活でもカップルとは…。
子役として活躍し、大作や大ヒットシリーズにもチョイ役で出演していたらしいが、本作で大きく飛躍!
ピーター役のコディ・スミット=マクフィーが素晴らしい。
繊細な演技。この実力派たちに囲まれて、一際印象に残る。
動のカンバーバッチに対し、静。堂々と渡り合い、全く見劣りしない。
後半は本当に二人の関係とピーターの動向から目が離せない。
登場人物皆、コンプレックスや弱さを抱えている。
ローズはフィルからの嫌がらせとジョージの両親との関係。そのストレスからアルコールに溺れてしまう…。
兄に見下されているジョージ。
そんなフィルにも誰にも絶対打ち明けない“秘密”があり…。
フィルやカウボーイに嘲笑されているピーターこそ実は芯の強さがあると感じた。
タイトルの意味は、聖書の詩篇から。
“私の魂を剣から、私の命を犬の力から救い出して下さい”
犬は“邪悪”を表すという。
聖書には疎いので、正直ピンと来ず。が、印象に残ったのが…
牧場から望める丘をよく見渡すフィル。
問う。
何に見える?
ジョージは平凡な答え。
しかしピーターは、口を開いた犬。
そう答えた人物は初めてなのだろう。
そしてフィルもそうなのだろう。
フィルがピーターに対し、心境の変化があった瞬間。
ピーターに乗馬、縄の作り方、縛り方などを厳しく叩き込むフィル。
ピーターもフィルの鬼指導に死に物狂いで食らい付く。畏怖がいつしか憧れに。
ローズはそんな息子を案じる。ますますアルコールに溺れる。
二人でブロンコ・ヘンリーが辿った道程を旅。その道中、フィルはナイーブ過ぎるピーターと弱いローズを非難。暴力的だった亡き父の話に及び、ピーターの思わぬ冷酷さを知る…。
人は一つの感情で生きられやしない。
強さと弱さ。
穏やかさと哀しさ。
優しさと冷酷さ。
良くも悪くも。
ローズがついしてしまった事がフィルの怒りを買う。これまでもうんざりだったが、いい加減大爆発!
そこを救ったのが、ピーター。思わずピーターを抱き締めるくらい。
ピーターを侮辱していたフィルが。他人に対し威圧的で恐れられていたフィルが。
そこには、“人間”としてのフィルがいた。
ここで特筆なのは、安直なお涙演出などではなく、自分の中にある人の心を求めた事。
自分もまだ人の心、愛する事が出来る…。
最後は意外な結末。二つの意味で。
フィルは亡くなってしまう。死の間際まで、自分を救ってくれたピーターを求めた。
しかし、その死の原因は…?
フィルの死後、牧場で平穏に暮らすジョージ、ローズ。
それを見つめるピーター。
そこに、OPのピーターのナレーションが重なる。
それが本当…いや、本気だとするならば。
ピーターは救いだったのか、犬だったのか。
余韻が暫く後引く。