笑いのカイブツのレビュー・感想・評価
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-_-b 笑いの学問化問題
こんな世界があるんですね。笑いに全てを捧げる世界。笑いのために人間関係を壊して人生を狂わす。笑いのために笑えないことをする世界。
最近 m1グランプリなので笑いが職人芸みたいになってしまって何か構えて見るようになってしまったような気がします。人がどんなところで笑うのかをまるで学問のように分析し研究して、主人公のような怪物たちがそれを競い合い世に発表していく。
昔からこの世界が続いていて、我々がこの舞台裏を知らなかっただけなのでしょうかね?
私は漫才とかコントで心から笑った事がなく、自分がおかしいのかと思ってしまう事が多々あるのですが、なんとなく理由がわかったような気がします。
正直、怪物が作り出す笑いの究極奥義っていうのは、それができる過程で何か不純物が入っているような気がして笑えないのでしょうか。
この間YouTubeだったか?みやぞんが凄くいいことを言っていました。
『苦労した努力は実らない』って。
笑いも同じことで苦しみの中でもがいて生まれた笑いはつまんないんだろうと感じます。
【人間関係不得意】でも笑いがあれば生きられる
岡山天音さんの演技をしっかり観たのはこの作品が初めてだと思う。すごく魂がこもっていた、というか、暴れていた。とにかく凄かった。
笑いのカイブツがレジェンドになろうとしていた頃、僕はのほほんと笑っていた。テレビを介して彼と同じ時間を共有していたんだ。渾身のアンサーに笑った事もあったのかもしれない。
「面白い」を評価するのも人。されるのも人。面白さの軸がそれぞれあるから、評価する者の軸から外れると「おかしい」とか「ふざけるな」になる。評価なんてクソ。そばにいる誰かの「面白い」が一番心強いんだ。
笑いのカイブツじゃないと出会えない縁があった。みんな彼を「俺はお前を面白いと思うよ」と言って慕っていた、一方的な感じで。でもそんな関係性に彼は救われていたのだと思う。
ピンクを演じる菅田将暉さんもよかった。居酒屋のシーン、もう一度観たい。ピンクにしか言えない言葉だったな、あれは。この時の岡山天音さんの演技が一番好きだ。泣きの演技が上手い俳優が好きだと改めて思った。
ねじれ
生き苦しい。熱い。だから観る人の心が動く。
すべてのジャンルはマニアが潰す
「すべてのジャンルはマニアが潰す」これはブシロードの木谷高明会長が2012年に新日本プロレスを買収したときに言った言葉です。
私自身も年間100本以上劇場で映画を観る習慣は、(自分ではそう思っていなくても)周りからは恐らく「マニア」認定されていると思います。そして、興行成績や一部の賞レースにおいて評価される作品が自分と違ったりすると、基本的には無視の態度を取りつつも、正直にはそれらを「否定」していることを自負しています。また、不意に「今おすすめの映画ありますか?」と質問を受け、いきなり本命を答えずに当たり障りのないところから探りを入れたり、あまり相手のことを知らない場合は「行くならどの辺の映画館ですか?」と結構面倒くさい逆質問をしたり。。
時代を経るごとに、「カルチャー」はいわゆる王道から徐々に細分化が始まります。そして、プラットフォームが増えてコンテンツを選び放題、享受しやすい環境ができると気づいた時に残っているのは「マニア」の比率が高くなり、「そうでない人」には入りにくい環境になっていることがあります。「お笑い」というカルチャーにしてもそれは同様で、テレビのバラエティー番組や主に暮れに開催される賞レースは観ても、わざわざ劇場やライブに出向いたり、ましてやラジオというコンテンツまで追いかける人は案外多くないのではないでしょうか。さらには、最近のYouTubeやPodcastなどの配信コンテンツまで拡がりを見せると、もはやカルチャー同士が時間を奪い合って結局はまた蛸壺化していきます。
ちなみに、私はすっかり「お笑い」観なくなりましたね。それでも昔からラジオは好きだったので、いくつかの番組については今も聴いています。それこそ、radikoのタイムフリーは便利で助かっています。ただ、時代的にツチヤタカユキという「ハガキ職人」は存じ上げなかったのですが、そもそもこの「ハガキ職人」や「構成作家」と言われる人たちの存在を知り興味を持ったのは私にとって、とんねるずの『二酸化マンガンクラブ(文化放送)』や『オールナイトニッポン(ニッポン放送)』がきっかけです。なので、時代こそ違えどこの作品の世界観について解るような気はします。そしてツチヤタカユキという人に対しても、違和感という感じはありません。が、勿論お近づきにはなりたくありません。そして、なるほどこの感触こそ「すべてのジャンルはマニアが潰す」につながるのかもしれない、と思いながら観ていました。
ツチヤを演じる岡山天音さん、見事に「カイブツ」を演じておりこれぞ「怪演」と言えますね。一部聞こえづらいセリフもありますが、それこツチヤという人のキャラクターなのでしょう。そして滝本憲吾監督、フリーの助監督として下積み長く多くのヒット作品に関わってきた実績もありキャスティングが豪華、且つ要所要所。当然、キャストの方皆さん素晴らしい演技で応えています。中でも菅田将暉さん、そして片岡礼子さんの存在感は抜群ですね。
さて、ここまで肯定しておきながらも私の評価は「まぁまぁ」かな。ストーリーそのものは私にとってそれほど興味をひくものがなく。ただ、これを普段それほど映画を観ない方に言われると若干嫌な気持ちになるんだな。たぶんそれがお笑いファンの方からであっても、本作はあくまで映画だし。と、この辺もおそらくはマニアやファンの面倒くさいところですね。すいません。。
人間関係
狂気多めですがとても良かった
好きな俳優さんが沢山出ているで鑑賞です。
岡山天音、菅田将暉、仲野太賀がとても良い。それぞれ良さがあって感動しました。
ラジオは大好きで良く観ますが、ラジオネームだけでよく聞く人がたくさんいますが、こんなに心血注いでネタを書いている人がいるとなると、、、逆に笑えないかも。
お笑いは令和ロマンが監修との事。いいタイミングですね。
「笑い」と「かいぶつ」ですが、「かいぶつ」の狂気が強いので、ところどころの大喜利は「笑」えない。
笑えて泣ける、みたいなバランスではありません。見ていると辛くなる感じ。
けど、最後の方はとても良かった。
映画、演出としてとても個性のある作品で、監督子名前が気になりました。こういう個性的な監督は良いと思います。
こだわりすぎ・・・
うーん、おもしろくない。
公開初日の一回目で見ました。
十人もいませんでした。
主人公が笑いを生み出すのに苦しんでたり
周りの人とうまくやれないところは描かれてたけど
実際の笑いのセンスがどの程度のものなのかが
まったくと言っていいほど描かれていないように私には感じられました。
なので、ほとんどリアリティがなく面白くなかったです。
ラストのまたお笑いに向かっていくんだろうな、というところは
かろうじて共感できましたが。
あ、当日入場者特典としてポストカードらしきものをもらったんですけど、
これが意味不明でした。
片面が映画のチラシみたいになってて
その裏面にポストカードって印刷されてて郵便番号欄も印刷されていて
切手を貼るところもあるんですけど
全面に主演の方のメッセージが書かれていてポストカードとして
全く使えないものになってるんです。
なんの嫌がらせなんだろう、って思いました。
どんな道も人間関係から
俳優さんの力量でなんとか
真似はできないが、理解はしたい生き方
どんな役でもイイ感じに爪痕を残す、若き名パイプレイヤー岡山天音さんが主演ということで注目していた本作。予告での鬼気迫る演技に惹かれたことも相まって、公開初日に鑑賞してきました。
ストーリーは、テレビのお笑い番組にネタを投稿することを生きがいとしていたツチヤが、念願かなってお笑い劇場の作家見習いとなるものの人間関係が原因で続かず、その後ラジオ番組へのネタ投稿をきっかけに人気芸人から認められて上京するもののやはり人間関係が原因で続かず、それでもお笑いの道を捨てられずにあがき続ける姿を描くといもの。
笑いを求めるあまり、他の全てを犠牲にするツチヤの姿が、強烈なインパクトを残す本作。そのストイックな姿勢には、決して真似のできない圧倒的な熱量を感じる一方、なりふり構わず突き進む姿には狂気さえ感じます。ステージで華々しくスポットを浴びる芸人の裏側にある壮絶な物語に息を飲みます。
そんなツチヤのまわりには、よき理解者となる人間もいました。ツチヤの才能を信じ、彼が仕事場で浮かないように支え続ける西寺の姿が熱いです。また、久しぶりに戻った大阪で、すっかり雰囲気の変わったミカコやピンクの前で、ブレずに突き進む苦しさを口にするツチヤに対して、ピンクのかける言葉がじんわりと沁みます。最終盤、帰宅後のツチヤに対するおかんの言動にも深い愛を感じます。
孤独な戦いに身を投じていたツチヤが、その苦しみを他人と分け合えたなら、また違った未来が開けたのかもしれません。しかし、彼はそんなものは求めていなかったのでしょう。彼が求めるのは「笑い」のみ。まさに求道者です。おそらくそこにゴールはないのでしょう。一つのことを極めること、その姿勢を理解すること、折り合いをつけること、そのどれもが難しく感じ、観ているこちらも苦しくなる作品でした。
主演は岡山天音さんで、渾身の演技は観る者を魅了します。脇を固めるのは、菅田将暉さん、仲野太賀さん、松本穂香さん、片岡礼子さんら。中でも、菅田将暉さん、仲野太賀さんが、役の上でツチヤを、演技の上で本作をしっかり支えています。
笑いとは、狂気から生まれるのか
笑いとは、狂気から生まれるのか。そう思わせるツチヤタカユキ。その狂気に才能を感じるベーコンズの西寺。実際は、オードリーの若林らしいが、しかめっ面でネタを捻り出す隠キャ同士で通じるものがあるのだろう。
面白いことを考える才能と、人を面白がらせることができる才能を持ち合わせる天才型の芸人は数が少ない。だから、コンビ組んで漫才をしたり、構成作家にネタを提供してもらう芸人が存在するのだろう。
とはいえ、笑いの世界は体育会系であり、陰鬱を身にまとったツチヤが足を踏み入れれば踏み入れるほど、ツチヤの精神は壊れていく。
岡山天音が演じるツチヤタカユキは、笑いに取り憑かれた狂人そのもの。捻り出される大喜利の答えは、めちゃくちゃ面白いが、本人の姿は、全く笑えない。ブラックユーモアを通り越して、ホラーといった方がいいかも。
狂人日記となりそうな物語に笑いを差し込んでくれるのが、ファーストフード店員のミカコ。ミカコが、絶妙のタイミングで発した「私の胸、見てたでしょ」には、思わず吹き出してしまった。
後は、天才菅田将暉。この人は、主役でも脇役でも、場面を支配する力がすごい。ラスト近くで、ツチヤに言ったセリフが心に響くこと、響くこと。
再出発しようとするツチヤに、お母さんがかける言葉が、とってもジーンとくる作品でございました。
背中のシミとファイナルファンタジー
面倒臭さがヘビー級パンチ
社会に認められたいのに、社会に適合できない者の辛さが、痛いほど伝わってくる
笑いのネタを考えているのに、主人公には笑顔がなく、それどころか、壁に頭を打ち付けてもだえ苦しむ姿は、最初こそ、そのギャップが面白く感じられるが、見ているうちに息苦しくなる。
やがて、これが、仕事には人一倍の情熱があるものの、社会には適合できない者の物語であることが分かってくる。
それでも、主人公が、自分の好きなことをしてさえいれば満足できるような人物ならば、まだ、救いがあるのだろうが、彼には、社会で認められたり、成功したいという強い欲求があったため、より悲劇的な人生になってしまったのだろう。
社会で生きていくためには、当然、最低限の社交性が必要になるが、主人公の場合は、生きることに不器用であるとか、コミュニケーション能力が低いとかといったレベルの話ではなく、おそらく「○○障害」といった病名が付くと思われるくらいの「対人関係不得意」さで、その言動には、到底、共感することも、同情することもできない。
ここで、自分自身が、世間の常識に囚われて、主人公のような人物を、「生意気」だとか「礼儀知らず」だとか「非常識」だとかといった言葉で、頭ごなしに否定する人間であるということを思い知らされる。
その代わり、この映画の救いとなっているのが、菅田将暉演じる友人や、仲野太賀演じる芸人で、社会に馴染めず、異端とされる人物の才能を活かすためには、彼らのように、そうした異端者を理解し、寄り添い、励ます人物の存在が必要不可欠であるということがよく分かる。
中でも、「世間に笑いを届けようとしているのに、その世間の常識に潰されようとしているのは地獄だ」という菅田の台詞は、強く心に響く。
ただ、それにしても、岡山天音の熱演も相まって、社会に馴染めずに苦悶する主人公の姿を見ていることが、だんだんと辛くなってくる。
それだけに、主人公が東京と大阪を行ったり来たりする終盤は、やや冗長に感じられ、もっとスッキリと、東京から大阪に戻って来るだけの展開にできなかったものかと、残念に思ってしまった。
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