スープとイデオロギーのレビュー・感想・評価
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平和ボケの僕はチェジュ島へ2回行ったことがある。
済州島4・3事件は『シビル・ウォー』に於ける『ジェノサイド』である。
同じ『シビル・ウォー』によるジェノサイドは台湾にもある。台北二・二八事件だ。
『母も私も韓国の国歌を知らなかった。でも、母は周りに合わせて国歌を歌おうとしていた』
続けて
『そこまで韓国政府を否定する人たちの気持ちがわかりませんでした。でも、済州島へ来て、母はこんな故郷を胸にどうやって生きてきたのか。辛くなる』要約
最後
『悲しい事は忘れた方が良いかもね。でも、悪い事をした人はアカンよ』
その言葉に共感した。
戦争ではない。内戦である。
さて『コリアン世界の旅』
野村進著と言うノンフィクションを読むと理解を深める事が出来る。ある高校の図書館に選書したら、
鼻垂れ女子高生が借りてくれた。
やったー♥
追記
日本でこう言った事件が無かったのは大日本帝國が自国民に対して優しかった、若しくは、大切にしたから。って言えるのかなぁ?
百歩譲ってもそう言った気持ちにならないのはどうしてか?
戦後80年も経っていて真相は闇の中なのかもしれない。但し、福田村事件の様な事件はあったね。
【一人の老いた朝鮮人女性の生き様を映し出す事で、戦争の残酷さと、その運命に抗いながら生きて来た女性の姿に心の中で頭を垂れるドキュメンタリー映画。】
ー 恥ずかしながら、”済州4・3事件”はぼんやりとした概容しか知らなかった。だが、今作を観て戦争は悲劇しか生み出さない事を改めて学んだ。ー
■年老いたオモニが、娘・ヨンヒに初めて壮絶な体験を打ち明ける。
1948年、当時18歳の母は”済州4・3事件”の渦中にいた。
朝鮮総連の熱心な活動家だった両親は、「帰国事業」で3人の息子達を北朝鮮へ送った。
そして、父の死後も母は借金をしてまで息子達に多額の仕送りを続けたのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・という事が、前半は娘・ヨンヒとオモニの会話の中で、比較的明るいトーンで語られる。だが、後半30分にアニメーションで描かれる”済州4・3事件の中でオモニの身に起きた事実”には、涙が出そうになってしまったよ。
・以前から、何故に大阪の朝鮮総連は「帰国事業」を熱心に行っていたのかを、私は今作で語られる事実とは別の解釈をしていた。
多分その解釈は、間違ってはいないのだろうが、このドキュメンタリー映画を観ると”別の要因”が有った事が分かるのである。
・オモニは、”済州4・3事件”を経験した事で、韓国を憎み”地上の楽園”と謳われた国に渡った3人の息子達に多額の送金をし続けたのである。
■アルツハイマー型認知症に罹患したオモニが、娘・ヨンヒと共に済州島に行くシーンは印象的である。
オモニの済州島で経験した出来事がアニメーションで描かれる。
そこでは、オモニには済州島で出会った恋人キム・ホンヒと言う青年が居た事。そして、彼が韓国政府に抵抗したために帰らぬ人になり、オモニは幼い兄弟を連れて日本に命からがら来た事が描かれるのである。
その事を、アルツハイマー型認知症に罹患したオモニは覚えていないのである。
だが、娘・ヨンヒはオモニの生き様をこのドキュメンタリー映画を製作する事で、後世に残したのである。
<このドキュメンタリー映画を観ると、朝鮮半島分断、”済州4・3事件”が起きた理由は、全て、戦争である事が改めて分かる。
当たり前であるが、戦争はイケナイ。負の歴史しか生み出さないからである。
だが、このドキュメンタリー映画はその歴史に抗い、必死に生きて来た一人の朝鮮人女性の生き様を見事に描き出しているのである。>
イデオロギー < スープ
超久々のドキュメンタリー映画の鑑賞です。昨年見逃してしまった作品でしたが、ナナゲイで「ヤン ヨンヒ特集」として再上映してくれたので早速見に行ってきました。
本作は私の好きな『かぞくのくに』('12)の監督作品だったので非常に興味があったのですが、本作も思っていた以上に考えさせられました。
あの家族の後日談的な構成になっていましたが、『かぞくのくに』では分からなかったことの多くが本作で説明されていて、あの宮崎美子が演じていたお母さんにはこんな人生があったのかと理解させられました。
そして、歴史に翻弄された一家族の人生は、恐らく一家族だけではなく多くの隣人の人生にも重ねられるのだろうということも教えられた気がしました。
私は基本的にはあまりドキュメンタリー映画は見ない傾向の人間で「なぜ積極的に見ないのだろう?」と深く考えたことは無かったのですが、本作を見て思ったのは、問題があまりにもダイレクトに伝わり過ぎて、個人的にその問題に対応し切れないというか、自分自身にそれを受け止められるだけの器がないからなんだろうとという思いに至りました。
正直言って自分の人生だけで精一杯の器しかない人間が、他人の人生まで覗き込んで何になるという、身も蓋もない究極の結論になりそうで怖くなります。卑怯なのかもしれませんが、それがフィクションならちょっとだけ他人事にもなれ外野からの感想位は発信出来そうな気にはなれますからね。
本作でも、物語の中心にあった済州4・3事件など、私は全く知らなかったし「歴史を学べ」なんい偉そうなことを言われても、一般的には海外の近代史の事件など学校教育では大半教えられませんから、海外の一般市民は知る由もないということです。
ただし、私は大阪生まれで、子供の頃には近くに在日の人達は一杯いたし、同じクラスの同級生にも必ず何人かいた時代に育ちました。それを考えると身近に住む人たちの中にもああいう歴史を背負わされた人達が何人もいたという事であり、同じような生活をしている中で、ただ「そんなこと私は知らない(関係ない)」で済ませたくはないような感情も湧いてきます。
とくに本作のオンマは私の母親とほぼ同年齢で、私の小さい頃に住んでいた近所のオバちゃんという雰囲気の人だったので、なんか胸に迫るものがありました。
日本生まれの韓国人で、戦争の疎開先の済州島での事件で決死の中日本に戻り、そこで祖国韓国を恨み、息子たち3人を「帰国事業」で北朝鮮に送るという、彼女のアイデンティティー崩壊を強いる人生は壮絶過ぎて想像も出来ないのですが、もしかしたら隣のおばちゃんがそうだったらと考えると、他人事にもしたくはなくなりますよね。
その辺り、本作のタイトルの『スープとイデオロギー』が効いてきます。
スープ(料理)は、彼女のアイデンティティそのものの様な気がします。一市民にとってのイデオロギーって何だろう?とは思うのですが、日本・韓国・北朝鮮という国家それぞれに対しての思いはあれど、所詮国家は国家であり、市民とは別個のものであり、監督ヤンヨンヒの夫である荒井カオルという存在そのものが、オンマにとってのイデオロギーという言葉の重みだったのかも知れません。
国家のイデオロギーなんてものより、そばで寄り添う人間の心遣いの方が、個人にとってはずっと重いという事なんだと思います。
年上妻と婿の視点もおもしろい
ヤン・ヨンヒ監督、十数年年前の「ディア・ピョンヤン」が話題になったころから関心を持ってきた。
本作の中でも相変わらず、おきれいな方で、時々その点にドキドキしながら見てしまった。
それはともかく。
昨年の公開時に、見たい――と思いながら、そのままにしていたのだが、年明けのNHKEテレ「ETV特集」で、取り上げられていたのを見て、「見なきゃいけない」と慌てて、上映館を探したら、たまたま再映していたので駆け付けた。
平日午前。11時開始のところ10時半過ぎに行ったら、映画館は結構な人がいて、「えーっ入れるかな。テレビの影響は大きいな」と慌てたのだが、待っていたほとんどの人は別の作品目当てであり、本作の客入りは20人ほどだったか。
ETV特集で、ヤン監督は北と日本と在日とをめぐる関係についてのやり場のない気持ちを訴えていた。この映画もそんなトーンに満ちているのか、と思ったが意外な展開があった。
彼女が、12歳年下の男と結婚することになり、大阪・猪飼野にひとり暮らすオモニに紹介する場面…そこが面白い。
ヤン監督、20代のころに一度在日の人と結婚していたことがあるそうで(本作では触れていない)、その後ずっと一人だったのかは分からないが、少なくとも2度目の結婚相手は亡くなったアボジが反対していた日本人、しかもずいぶんと年下の男であった。
オモニはその娘よりずっと若い婿に、鶏まるごと一羽を煮る参鶏湯を作ってもてなす…。
一方の婿は、オモニがいないときに、彼女宛に来た「不愉快なダイレクトメール」についてクレームの電話をかける。彼は、そのDMについてクレームをつけることが彼女に代わってやる英雄的行為でもあるように、スクリーンに映り出される。
それぞれが。それぞれの立場でひとつになろうとする――カメラはそれを追う。
その後は、1948年にヤン監督の両親の出身地・済州島であった虐殺事件70周年記念式典に、臨時パスポートで参加が許されたオモニとともにヤン監督夫妻が参列する姿などを描く…。
ヤン監督の過去作の延長にある映画であるのは間違いないが、若い婿とオモニの関係を「スープ作り」を通じて描いたところが秀逸。
ヤン監督は阿久悠に取材し、1960-70年代の日本の歌謡曲について取材した作品を撮るという話を聞いたことがあった。しかし、今はソウルを拠点としているよう。日本での新作を期待したいのだが…。
戦争ではなく戦後に韓国済州島から大阪に移住した人が、子供を北朝鮮が楽園と信じて送ってしまい後悔する。
在日朝鮮人にはいろんな経緯や境遇の人がいる。
この方は、戦後に済州島から大阪に移住。
日本では北朝鮮シンパの夫と結婚し、子供3人を北朝鮮に送り出してしまう。
現実の北朝鮮は酷く、子供達は困窮、
母親は贖罪の気持ちで多額の仕送りを続ける。
やがて認知症が進み、心の中では家族と同居しながら生きる。
韓国版『土用の丑の日』
参鶏湯(通常"サムゲタン"だが、発音として"サンゲタン"としか聞こえないのはドイツ語の"ウムラウト"みたいなものか)は正月料理かと思っていたが、どうも表題の通りらしい、夏に食べるものだから今作品もなぜわざわざ暑いときに食べてるのか分らなかった。勿論、祝い事に振る舞われる料理とすれば正しいのだけど・・・
監督の特異な家族環境故の聞えは悪いが『豊庫なネタ』を映画化していることは決して否定されることではなく、
寧ろそのプライバシーを潔く作品化していることに尊敬の念を禁じ得ない。
在日の人達はその人口数だけドラマがある。もはやファンタジーと言っても過言じゃない。日本人にとっても戦中戦後は今と比較すればかなりの"異世界"だろうが、彼等彼女の運命はその乗数が計り知れない。
今作品の、原因と結果をきちんと演出できてるドキュメンタリーは、まるでこれはモキュメンタリーと見間違う程、腑に落ちる出来映えになっている。命からがら日本に逃げてきた"アブジ""オモニ""ハーべ""ハンメ""サンチュン""コム""スンモ"達を、日本人は冷たくあしらい、差別してきた。逆の立場だった場合というイマジネーションはこの民族にはあるのか、そんな質問を投げ掛ける作品である
只一つ、作り方に疑問があるのが、キチンとした撮影日のアナウンスが欠如してること。勿論監督の意図なんだろうけど、場面転換が曖昧な編集のつなぎで、旦那さんの結婚挨拶と、その後のサンゲタンを旦那さん自身が調理する件が、もう少し分かり易かったら親切だったろうと思ったのだが、之も又意図があるのだろう。読み取れない自分の愚かさを恥じるのみである
韓国が嫌いな在日朝鮮人のオモニ
朝鮮総連の熱心な活動家だった在日朝鮮人のヤン監督の両親は、1970年代に帰国事業で3人の息子を北朝鮮へ送り出した。借金をしてまで息子たちへの仕送りを続ける母を、ヤン監督はどうしてそこまでするのかと責めてきた。年老いた母は、心の奥深くに秘めて誰にも語らなかった1948年の済州島での壮絶な体験について、父が亡くなってから初めて、ヤン監督に語り始めた。ヤン監督は、アルツハイマー病を患った母を済州島へ連れて行き、自ら済州4.3の現場で壮絶な虐殺の事実を知ることになり、母の韓国に対する嫌悪感や行動に理解が出来るようになったというドキュメンタリー。
サムゲタンばかりで作ってたが、確かに美味いが、もっと違う食事も見せれば良いのに、って思った。
済州4.3も韓国の不都合な真実だろう。
自分達は侵略をしたことがないと言ってる韓国人に、イデオロギーの違いにより自国民を虐殺した歴史についてどう思うのか聞いてみたい。
上映後のヤン監督と夫の荒井プロデューサーのトークショーとサイン会があり、その中で今年の1月にヤン監督のオモニは亡くなったそうだが、いつアボジの眠る北朝鮮に遺骨は届けられるのだろうか?って言われていたが、早く実現する事を祈ってます。
歴史は学べたが「かぞくのくに」より劣る
町山さんがラジオで紹介していたから見に行きました。正直?かな。カオルさんが葬式会社に汚い言葉でクレームを入れる所はヨンさんへの愛情を表現したかったのか?カオルさんの言葉の辿々しさに微笑めば良いのかいずれにしてもクレームは丁寧な言葉の方が在日の方への配慮になると思った。ヨンさんの「4.3の事は知らなかったから」の言葉にも映画監督の貴方が全く知らなかった筈はないでしょうとなんだか白けてしまった。あと画面が揺れるシーンが多かったので最後の方は酔った。
ただお母さんのキャラクターは良かった。病気になる前のオモニは逆境を耐え抜いた人にしかだせない明るさがあふれていた。病後は別人になる所もドキュメンタリーの醍醐味を感じた。
実はjejuには縁あって何度も行った事がある。ハルラ山に登った事はないが何度もあの辺を車で走ってる。アスファルトと新緑の清々しい所という印象しかない。次はやはりハルラ山に登ってみたい。
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