Shariのレビュー・感想・評価
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ちば映画祭2024初夏
写真家石川直樹さんの企画に誘われて撮影された作品らしい。斜里町のドキュメンタリーの様であり、ファンタジーの様でもあり。「赤いやつ」が命そのものを体現しながらふらふらと彷徨い歩く様に魅了されつつも、厳しい大地で逞しく笑顔で生きている方々への人生賛歌が止まらない。上映後に監督さんのトークショー付きだったので、不思議な部分への答え合わせ(制作秘話)もたっぷり伺えたので「なるほど」な上映会となりました。感覚派代表のキュートな吉開菜央監督。振り付け演出等々やってらっしゃるという事で、今後の活躍に乞うご期待でございました。
自然との共生
北海道・知床半島の北半分を占める斜里町は希少な野生動物が人間と共存する希有な土地として知られている。そこには、羊飼いのパン屋、鹿を狩る夫婦、海のゴミを拾う漁師、秘宝館の主人、家の庭に住むモモンガを観察する人、など個性的な人々が暮らし、冬になるとオホーツク海沿岸に流氷がやって来る。しかし2020年の冬は雪がほとんど降らず、流氷もなかなか来なかった。そんな異変続きの斜里町に、毛糸のぬいぐるみを着た、赤いヤツ、が現れた。という話。。
赤いヤツの意味がよくわからなかった。
知床の自然は大切にしたいが、ヒグマが怖いなぁ、って思う。
先に住んでた動物達と共生する事の難しさと異常気象への警告なのかな?
何にせよ、よくわからなかった。
赤いやつ……
斜里町は、知床半島の(北というか、西というか、……)半分を占める町で、半島の付け根から知床岬先端までが範囲。
町の中心部は付け根の部分で、斜里岳の広い裾野が緩やかにオホーツク海に広がっています。冬は寒くて、一度高校時代の友達が遊びにきたときに連れていったら、ずーっと道端の雪をつかんでは空中に投げていた。『寒いから、サラサラして、雪、全然かたまらないから、キラキラ光って綺麗!』と。
網走や北見から斜里に向かう道すがらは(山側を通っても、海側を通っても)、斜里岳は神々しく美しいです。
毎年出ていた(ハーフ)マラソン大会、斜里岳ロードレースでは、大会役員長のおじいさんが、毎回『この大会は、斜里岳が爆発してなくなるまで!……そんなことありませんが……、ずっと続けましょう!』と開会式で言ってました。『清里町から見るより、斜里町からみる斜里岳の方が美しい』とみんな思っています。みんな誇りに思っています。
写真家の石川直樹さん(撮影担当)に誘われて、吉開菜央さんが監督した作品。監督の吉開さんは、米津玄師の『Lemon』のミュージックビデオの振り付けや出演してる人なんですね。そして、山口県光市、下松市出身。
萩市のツインシネマで上映された。
映画は、斜里の自然とひとと、そして、ロケした2019年の冬が、記録的に雪が少なくて流氷も少ないふゆだったから、気象にも言及。少しまとまらなかったかな。
斜里岳に登ったときも、きっと、晴天ではなかったのだと思う(あの。転がりそうな大岩に行ったことがある)。快晴に一番のピークに立てばまた違った感想や表現になったのかなと。
旅人が、その訪れた時の印象、空の色を映像に焼き付けた作品。斜里岳何度も登って、斜里の冬も繰り返して体験しての作品も期待します。
現地から遠い人ほど絶賛する傾向に抵抗がある。
映し出される町の人達が、みんな個性的で、興味深かった。
子供達も頑張ってた(だいぶん昔だけど、NHKのローカル番組で、ウトロ小学校の生徒みんなに『この中で、登下校中に、熊をみたことのある人ー』と司会者が質問したら、体育館に集まっていた全員(数十人)、みんな、『はーい』と手を上げていました)。(ウトロと斜里は場所が違うけど)……
これは映画館で観ないとダメだ!
映像と音の構成や編集が最高!
間違いなく今年のベスト5に入る(名作リバイバルも含めて)
特に”あの”サウンドトラックは映画館で体感しないと絶対ダメだ。
あの透明感のある「シャリ、シャリ」がとてもキャッチーなのに、突然、凶暴なサウンドが鳴り響いたりする。
アレはデカイ音で聴かなきゃダメなヤツだ。
欲を言えば、ドキュメンタリーの部分をもう少し深掘りして欲しかった。
先住民のアイヌ文化との直接的な接点が無かったのも物足りなかった。
人類学や民俗学の視点から写真を撮っている石川直樹が撮影なら尚更だ。
もしアイヌの末裔が、もう居なくなったというのであれば、そんな悲しい(近代文明という横車に蹂躙されてしまった)題材も必要だったのでは?
それに、やっぱり雪合戦は”赤いやつ”に乱入して欲しかったな。
子供たちの超ハイテンション一気にMaxになったに違いない。
そして無垢な子供たちの雪玉の集中砲火で赤い身体が真っ白になってしまって、雪と同化しちゃうファンタジーな展開も良かったかも。
あとラストは、もうちょっと詩的な余韻が欲しかった。
とはいえ、本当に久々に詩的なマジックをスクリーンから感じることが出来た。
全く新しいタイプのドキュメンタリー+マジックリアリズムの傑作だと思う。
作品の気色は随分と違うが『MONOS』なんかより、断然こちらの方がマジックと現実世界との融合を感じた。
もう1回くらい体感したいところだが、
東京は今週のユーロスペースで終了だ。来月、逗子での映像祭でも上映あるようだが1回だけの上映だ。
まだの方は是非お勧め。
特にポエティックな表現だったり批評的なメタファーを映画から感じたい人にとっては、間違いなくGO!だ。
"映画"で近似された体験型アート
「赤いやつ」は屠殺場で流れた血の塊であり人々が生きるのに利用するべく発火させられた炎であり、東京から持ち込まれた災厄の象徴でもある。その象徴と人々の直接の関わりは始め、妄想癖が発露した結果であるかのように、少女の一夜の夢かのように、明確なフィクションに見えるように、巧妙に遠ざけられ畏れられる何かかと思わされるが、一転、「相撲」という力を受け止め合う関係性の中では、突然生々しい実体を持って描かれることになる。
登場する現地の人たちの言葉は、それぞれのやり方で実体のない実感と、実感のない実体の双方を抱えて、その狭間で押し合いへし合いしながら生きている命の声であり、その言葉を背景にすれば、次第に「赤いやつ」がそれらのつなぎ目として、質量をもたされていくのが分かる。しかし、そいつはもとより非平衡状態でしか知覚されないのだから、必然的にこの映画にはあの子供たちの相撲のシーンが必要になったのだ。力を受け止め合い、押し合いへし合いする中でしか存在しないもので我々はみんな繋がっているということを大声で叫ぶ、そのために必要な「声のあげかた」を、子供たちから教わるために。
毛玉ムック
知床半島の斜里町で暮らす人達と赤いヤツの話。
メエメエパン屋に始まり鹿猟師とかモモンガの住む家の人とか世界中の木彫り彫刻を集めて展示する人とか、斜里町に住む人々のインタビューと子供たちの様子にナレーションでみせるドキュメンタリーに、全身真っ赤な何者かが徘徊する様を交えながらみせていくけれど、この赤いヤツは何でしょうかねぇ。
命とか熱とか生命力とかそういうものを表現しているのでしょうか…良くわかりません。
町の人達のインタビューにしても、移り住んで来た人達のものもあるし、アイデンティティとか伝統とか、この町で暮らす覚悟とか大変さとかを語るでもなく、何をみせたいのか良くわからず、単なる町の紹介という風にしか感じなかった。
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