トムボーイのレビュー・感想・評価
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ロール/ミカエルはあの頃の自分か、または
主人公の少女ロールは10歳。少年になりたいロールは外ではミカエルと名乗って男子たちから一目置かれ、少女のリザから熱視線を浴びている。ロール/ミカエルの一夏の出来事に密着するセリーヌ・シアマの長編第2作には、必然的に主人公が体も少年になろうと工夫する場面や、やがて常識の洗礼を受ける後半部分など、生々しくて痛々しいシーンが用意されている。でも、これをトランスジェンダーについての映画と言い切ることに少し抵抗がある。なぜなら、観客各々が少年みたいな少女ロールや、少しだけ少女の面影のある少年ミカエル、そのどちらにも思春期一歩手前の自分、またはその時に側にいた誰かを重ね合わせることができるからだ。同性と異性の区別が曖昧な季節だけに許された、まだ幼くて、正直で自由だった気持ちを思い出させるのだ。
この映画を成功に導いた最大の要因は、ロール/ミカエルを演じる撮影当時11歳だったゾエ・エランの瑞々しさ、これに尽きると思う。彼女が醸し出す、見た目少年80%、少女20%の絶妙な配分が、性差を超えて魅力的に見えるからこそ、誰もが息を殺して見入ってしまうのだ。
とても繊細な映画。 (初めのドン引きする運転のシーンは別として) ...
とても繊細な映画。
(初めのドン引きする運転のシーンは別として)
本当に男の子に見えるゾエ・エラン。
11歳の時の作品で、長編映画には多く出ていない。しかし私は2024年に観たショートフィルムの『マックス』(2019)も思い出深くて、もう一度観たくなった。18分の作品で自動車整備工場のインターンとして働く、機械工学に情熱を燃やす口の悪い若い女性を描いた短編。2019年のカブール映画祭短編部門最優秀女優賞を受賞。
『TOMBOY』では、気付かれるのか? バレるのか? 打ち明けるのか? バラされるのか?見てて不安になるが、私は母親と父親の気持ちで観た。男の子ぶるのは良いが、友達を騙しては駄目だ。学校も始まるし。
だがゾエ・エランの演技に引き込まれる。監督の手腕なのも間違いない。
まつ毛が長いロールの妹ジャンヌ役のマロン・レヴァナも名演技。
『水の中のつぼみ』(プールから見上げる)、『ガールフッド』(一歩踏み出す横顔)、『燃ゆる女の肖像』(口で息をする)の様にラストショットが印象でいい。Para Oneの音楽と共に!
※ゾエ・エラン:1999年2月2日生まれ。
※パラワン:ジャン=バティスト・ド・ロービエニ、通称 パラワンはフランスのDJ、作曲家でシアマの多くの作品で音楽を担当。
※何かで読んだが「シアマの映画に共通するテーマは、性別の流動性、少女や女性の間での性的アイデンティティ、そして女性の視線である」との事。なるほど。
※『トムボーイ』:シアマは3週間で脚本を書き、3週間でキャスティングを終え、20日で撮影を終えた。
※映画は、第61回ベルリン国際映画祭のパノラマ部門でプレミア上映され、クィアを題材にした映画に贈られるテディ賞を受賞した。
※2011年(第20回)東京国際レズビアン&ゲイ・フィルム&ビデオ・フェスティバルで上映された10本の一つ。
子役達の演技に脱帽
子供特有の漠然とした不安や繊細な心を思い出して、心がギューっとなりました。
自分自身がトムボーイだったわけではありませんが、親の都合で引越して新しいコミュニティに入ったり、子供だけの独特の人間関係、兄弟関係、親への秘密など共感しながら観ました。水着のシーンではいつバレるかとヒヤヒヤしました。
よりドラマチックにするために家族関係を複雑にしたり大きな事件を起こしたりはせず、ありがちな流れが続くのが良かったです。
主人公は演技とは思えないほど自然ですし、お母さんも筋が通っていて素敵だったけど、なんといっても幼い妹ちゃんがとっても女の子らしくキュートで姉思いなところが最高でした。姉妹がじゃれたり、音に合わせて踊ったり、新しいお友達と会話したり、ドキュメンタリーのようでした。
そして、ラストシーンの主人公の表情が印象的でした。これが演技だとは。天才子役です。
心理は微妙
自分をどう見せるか、どう見られたいか、という葛藤を率直に描いた一作
後年『燃える女の肖像』(2019)で映像作家としての卓越した手腕を発揮したセリーヌ・シアマ監督の、長編2作目にあたる作品です。
少年少女たちの瑞々しい姿、美しい光で描き出す情景、そして少年としてふるまうロール(ゾエ・エラン)を中心に展開する物語など、その演出力はこの段階で既に確固としたものがあります。
とはいえ『燃える女の肖像』で見せたような、いくつもの要素を重層的に織り込んでいく複雑かつ濃厚な描写というよりも、描きたい主題を率直に表現するというある種の素朴さも垣間見えるところもあり、シアマ監督の作品をこれから辿ろうとする人にとっては格好の入り口となっています。
中性的な顔立ちのゾエ・エランが本作に強い説得力と魅力を与えているのは確実で、その強さと美しさを兼ね備えたまなざしは忘れがたいものがあります。
どうしてロールが新しい場所で自分を少年と見てもらおうとしたのか。作中でもさまざまな示唆を含んでいるものの明確な説明には踏み込んでいないので、観る人によって解釈がいろいろできそうです。
どうも少年たちの輪の中に入りたい、というよりも、女の子に異性として見られたい、恋愛をしたい、という気持ちが強かったように思えたのですが、どうでしょう!?
シアマ監督の『秘密の森の、その向こう』(2021)も、コンパクトかつ主筋が分かりやすい作品なので、続けて観ても面白いかも!
トランスジェンダー
半分少女
男の子のふりをする女の子の話だが、これを見る限りでは同性愛なのかトランスジェンダーなのか、それともそれ以外の何かなのかはよくわからなかった。最初に思い浮かべたのは、ラッセ・ハルストレム監督の「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」に登場した少女サガだ。
休暇中に周囲を偽っていても、学校が始まればたちまち露見してしまうのだから、あまり深い考えがあったわけではないのだろう。揺れ動く成長期の心的葛藤の只中で煩悶しているというか。リザに本当のことを告げた時の、二人の何とも言えない対峙の表情がリアルだった。
セリーヌ・シアマ監督の初期作品とは知らず、先に近作の「秘密の森の、その向こう」を見ていたので、森の中で遊ぶ子どもたちをカメラで捉えるという点で共通しているなと思った。監督のこれまでのフィルモグラフィーは自身のセクシュアリティと不可分のように見えるが、今後もずっとこの傾向を維持していくのだろうか。思いっきり離れたテーマを採り上げてみても面白いと思うのだが。
☆☆☆★★★ 2008年、渋谷のAーQXで初めてこの女性監督のデビ...
☆☆☆★★★
2008年、渋谷のAーQXで初めてこの女性監督のデビュー作『水の中のつぽみ』を観た時、多感な少女が知る《性のめざめ》には、何か不思議な感覚を覚えた。
昨年、『燃ゆる女の肖像』で日本の映画フアンから絶大な支持を集めたものでしたが。個人的には思いのほか刺さらず…「アレ?良作だとは思うんだけどどなあ〜」と、生意気にも💧
鑑賞後に『水の中のつぽみ』の監督と知り。少女の繊細な心模様の波紋から、どうゆう経路で大人の女性の話へと至ったのかに興味を持つたのでした。
本作品は監督第2作目らしく、題材となるのは今回も子供。
何人かの子供達が登場しますが、どうゆう演出をしているのだろう?出て来る子供達がとにかく自然で、(日本映画等によくある)子役独特のいやらしさが皆無で、この女性監督の演出の確かさが良く分かる。
どこか、かってのトリュフォーの映画(『トリュフォーの思秋期』等)に出て来た元気な子供達を思い出したのは、こちらがおじさんになってしまった証拠だろう💦
映画が始まり、暫くしたところでのお風呂の場面で、この主人公のミカエルが持っている悩みと秘密に関する予想はついてしまうので、その後に待ち受けるサスペンス的なドキドキ感はないものの。ミカエルが抱える心情に、段々と没入してしまい、(多分少数意見にはなるでしょうが)『燃ゆる…』を観た時よりもこちらの胸にはガンガンと刺さって来る作品でした。
バレエを題材とした作品の『girl』も秀作でしたが、あちらとは逆の意味で対を成す作品かと思います。
撮影当時は、まだ監督としての評価も定まってはいなかったであろうし。観ていれば分かる通りに。低予算、且つ与えられる作品としての尺も短く纏める要求を受けていたであろう…と見受けられる。
それだけに映画本編は、中途半端気味に終わってしまうのですが。逆に言えば、その後ミカエルに起こりそうな子供のイジメであり残酷さをリアルに描かない事で、観客側は嫌な気分にならずに済んでいる…とも言えると思う。
今後は『燃ゆる女の肖像』の成功で、大きなプロジェクトを請け負うのでしょうね。
監督デビュー作に2作目と、共に素晴らしい子供の演出技を見せてくれただけに、更に子供を巧みに演出する新たな作品もまた是非観てみたいものです。
リザの美人さと、ジャンヌの可愛らしさにも一言触れておきましょう( ;´Д`)ハアハア
2021年10月23日 キネマ旬報シアター/スクリーン3
ボーイッシュでお転婆
これ、あらすじを読まないで観た方が断然に楽しめる、仲間の輪に入ろうと探り探り、流石にサッカーは遠慮気味で、上半身裸で唾を吐きそんな姿に憧れを、控えめな少年が野蛮にも思える団地の男の子たちと仲良くなるまで、幼い恋もしてみたり、そんな微笑ましい物語を素直に観ていると??
疑いもなく美少年な男の子だったのがあら不思議、ワンピースを着たら女の子にしか見えない、六歳の妹がナイスキャラで一番の理解者、純粋無垢で無邪気な子供たちは残酷でもありながら受け入れられる柔軟性を兼ね備えている、この一夏をそう遠くもない将来で行うと『ボーイズ・ドント・クライ』のように無残な結末が訪れてしまう!?
単に映画の題を鵜呑みにできない、チョットした悪戯だったのか、トランスジェンダーの問題が見え隠れしながらも爽やかで清々しい余韻を残しながら。
【人生の中で僅かしかない第二次性徴期を前にした中性的な雰囲気を持つ少女の、妹を想っての挑戦と葛藤を鮮やかに描いた作品。”ジェンダーって何だろう・・。”と思った作品でもある。】
ー ご存じの通り、今作は『燃ゆる女の肖像』で、世界を驚嘆させた(含む、私。)セリーヌ・シアマ監督による長編第2作である。ー
■夏休みに新しい街に引っ越した10歳の少女・ロール(ゾエ・エラン)。
周囲に「ミカエル」と名乗った彼女は、新しくできた友人・リザたちに自分を男の子だと思い込ませる。
リザからの好意に葛藤しつつも、2人は距離を縮めていくが、夏の終わりはすぐそこまで近づいていた。
◆感想<Caution! 少し、内容に触れています。>
・妹ジャンヌ(私見であるが、ロールのボーイッシュな雰囲気を前面に出すために、可愛らしい女の子が演じている。)から”強いお兄ちゃんが欲しい・・”と言う言葉を聞き、ロールは一夏だけ、男の子「ミカエル」に成り済まそうと決意する。
- 彼女が、決して好奇心だけから男の子に成りすましたとは、私には思えなかった。-
・そして、転入前、級友になる筈のリザたちとサッカーなどをしながら、交流を深めて行く姿。
- 30年位前の記憶であるが、ボーイッシュな女の子はスポーツが得意だった子が多かったと記憶する。-
・けれども、リザから好意を寄せられ、戸惑いながらもそっとキスをするシーン。
- 極、自然に描かれている。
それにしても、「ミカエル」を演じた、ゾエ・エランを見出したセリーヌ・シアマ監督の慧眼と、それに応え、勇気ある(相当な勇気だと思う)演技を披露したゾエ・エランさんには、敬意を表したい。ー
・妹のジャンヌを”ウザイ”と言って苛めた男の子に対し、身体を張って抗議、喧嘩する「ミカエル」。しかも、見事に勝利する。
- が、この一件から「ミカエル」が女の子である事が、周囲に伝わって・・。-
<人間は、男女を問わず第二次性徴期前には、中性的になる瞬間がある。今作は、そのわずかな瞬間を物語性を絡めて、鮮やかに切り取った稀有な作品である。
それとともに、、「ミカエル」を勇気を出して演じたゾエ・エランさんが、現在ジェンダーに関わらず、幸多き人生を送っている事を、遠き日のいずる国から願った作品でもある。>
■友人の人類学者から言われた事であるが、人間は第二次性徴期前と、人によっては(女性に多いらしい・・。)70歳を超えると再び中性的になる方がいるらしい。
成程。
理に適っている気がする・・。
嘘をついてどうするんだとドキドキする
小学生の高学年になってもまだ男の子として通じる女の子が、男の子と嘘をつき新学期が始まるまで過ごすドラマ。夏休みの開放感や思春期の直前のような世界に眩しさを感じるものの、これから新学期が始まって可愛いサスペンスのような嘘をどうするかわからないドキドキがある。
見ている間そればっかりはしょうがない、でも許してあげて欲しい、みたいなことをずっと考えていた。
メタファーとしての森?
森がとても印象的な作品。
ロールの、ミカエルのの、心の中のような森。
迷い込み、駆け抜け、逃げ込み、彷徨う。
自分はナニモノか、意識が芽生えてくる頃の子供の揺らぎを丁寧に描いていて、共感しすぎず、突き放し過ぎず、子供だからと変な気も遣わず、自然体でとても良い距離感の作品。
自分も、小さい頃からスカートや女の子らしいアイテムや女の子らしい遊びが苦手で、なぜ他の子みたいにできないのかと詰められてきた事を思い出して苦しくなった。
生理が始まった時に感じた、人生が終わったような絶望感。女の子か達からカッコいいと言われた方が嬉しかった事。髪の毛は伸ばさず、パンツ(ズボン)しか履かなかった。
そんな自分の子供時代に、ロールの父親のような親がいたら、きっと少しだけ心が楽になっただろう。
そしてロールの母親には、いずれ、ロールをミカエルとして受け入れてほしい。
きっと、ワンピースを森の中に置き去り、タンクトップと短パンで生きると決めたんだろう。
その決意が羨ましくて、眩しかった。
色んなことに絶望し、諦め、今を生きるしかないけれど、ラストシーンは少しだけ希望が持てて良かった。
どうかその希望の火が消えませんように。
ジャンヌ
何者でもない時代は大事!
一言でいえば 良かったのか、悪かったのかLGBTQ前のフランスの男の子か女の子か曖昧さのなかにある子どもの話である。
この監督の「燃える女の肖像」という作品は観ていないが、約10年前に撮ったこの作品にも、ある種の刃を突き付けられるような場面が後半にある。私たちはジェンダーの烙印から逃れられない。しかしそこに人間は”ひとりの個”であり、だれもが自分はじぶんであり、誰にも命令・指示されるものではない。という確固たる個が育つ前の前段階の映画というとらえ方をしてみると主人公(トムボーイ)は愛おしくもあり、周囲の接し方の重要性は肝に銘じなければならない。
途中眠くなったのも事実ですが、子ども時代から遠ざかってしまった、ある種大人のリトマス試験紙みたいな映画です。興味があれば是非観て下さい。
解釈が分かれるところですね
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