劇場公開日 2022年9月16日

「「祈りの幕が下がる時」の二番煎じを避けたが為に」沈黙のパレード 羅生門さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0 「祈りの幕が下がる時」の二番煎じを避けたが為に

2025年9月21日
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鑑賞方法:DVD/BD、映画館

泣ける

悲しい

癒される

小説を読んでから見ると物足りない。草薙と湯川の友情に演出のポイントを置いているので、「祈りの幕が下がる時」のような、最初の事件の少女の母親と増村の秘話「砂の器」が原型の肉親関係を隠す悲話、それでも少女の母親が兄である前科者である兄の増村に夫を紹介する感動的なシーンなどを丸々カットしたのはもったいない。新倉の、医者の家系のボンボンだが、悪意はなく創作活動に執念を燃やす理想家、その妻もかつては音楽活動に青春を捧げたボーカルだった拘りをもっと演出すべきだったと思う。また、捜査を撹乱するヘリウムガスボンベの件は残して欲しかった。 何より、ラスト近く「なみきや」通いの理由は「戸倉社長と同じだ」と被害者の妹に言っているシーンは感動的だったのに。「悔しい友人の想いを晴らしてやりたかった」との発言を、今回のベースに置いたので、今回のような脚本に仕上げたのだろう。 やはり「真夏の方程式」が映画としては一番小説の世界観を表現できていた。ペットボトルロケットのシーンの美しさは邦画では出色の出来だった。 「容疑者Xの献身」は小説は面白かったが、映画は困り物だった。小説は単なる自己犠牲の美談だけではではなく、他人に認められない天才が、己の才能に酔って暴走する哀しさを表現していたと思う。最後に何で?と慟哭するのは、単に「なぜ、俺の気持ちを分かってくれないのか?」だけではなく、完璧なはずの作品を、何故ぶち壊してくれたんだ!との悔しさと怒りが込められていたと思う。小説は読み取れたが、映画は堤真一という良い男にして、醜男の独りよがりの深情けと嫉妬と天才故の自己満足・自己陶酔のカオスが表現出来ていなかった。残念でした。 同じように、横溝正史の「悪魔の手毬唄」も、映画では単に近親婚を避けるため、が犯行動機として描かれていたが、小説を読めば、犯人のリカが自分も元芸人で、その能力を発揮出来ずに田舎で燻らなければならなかった哀しさを、「見立て殺人」という奇想天外な犯罪を演出して見せる自己満足・自己陶酔の賜物だと読み取れると思うのだが。 いずれにせよ、蓮沼が殺されるまで、そのふてぶてしさに「なみきや」常連が歯軋りし、今に見てろ、という煽りがもっと欲しかった。小説よりもパレードまでをはしょりすぎ。もったいない。

羅生門
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