「「プリンは作品のテーマを描く上で必要とされたために生まれたといえます(神山健治)」の意味を読み解いてみる」攻殻機動隊 SAC_2045 持続可能戦争 KN.Yuniyoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
「プリンは作品のテーマを描く上で必要とされたために生まれたといえます(神山健治)」の意味を読み解いてみる
素子のキャラ変も相当違和感がありましたが、9課の新メンバーにいわゆる美少女萌えキャラの江崎プリンが加わったことが、さらに大きな違和感を生んでいました。他にも何人か萌えキャラは登場するのに、なぜあえてプリンを9課のメンバーに加えたのか?その必然性はあったのか?
神山健治監督もインタビューで「プリンは、この作品のテーマを描く上で必要とされたために生まれたキャラといえますが、まぁここでは「(神山は)若い人に媚びたな」とでも思ってもらえれば(笑)。オジサンばっかりの作品ですから。」などとお茶を濁して、真意を話していません。
そこで、プリンの存在とは何だったのかにフォーカスして考えてみました。
プリンの特徴はと言えば:
1. ”江崎グリコのプッチンプリン”を連想させる名前で、甘くやわらかい印象。
2. 愛情を注がれて育ったことがひと目でわかるような、小柄で可愛らしいメガネっ子。
3. 中学卒業後渡米し、飛び級で大学に進学・博士号を取得した天才リケ女
4. レアでダビング不可能なゲームカセットを餌に、タチコマたちをすっかり手なずけているお茶目なキャラクター
5. メカ担当でありながら、捜査には一線で参加するが、戦闘はしない(できない)
6. 電脳化はされているが、義体化率は不明(おそらくトグサ以上に生身)
とまあこんな感じで、押井作品の世界感の中には存在しえないタイプ。
言い換えると、アニメの中では素子とは正反対の存在ということになります。
ここで思い出されるのが原作版の素子。強くて怖ーいお姉さんでメスゴリラと呼ばれる反面、とってもフェミニンで人間的な魅力満載の設定・・下品な冗談で部下を笑わせたり、思わずセクシーな声をあげたり、クルーザーで女友達と快楽プログラム作成したり、同棲中の恋人とイチャイチャしたり、お洒落を楽しんだり・・
それに対して、押井守は全ての作品において登場人物の人間性を極力排除して、一つの特徴のみに整理し、それによって背景の世界を際立たせるという作り方をするそうです(岡田斗司夫談)。95年の劇場版もその例に漏れず、素子の人間性を極限まで排除することにより、ブレードランナー的なディストピア感を際立たせていたということなのでしょう。
つまり、(原作の素子)−(押井路線の素子)=(人間味にあふれた素子)という式が成り立ちます。
続くTVアニメ(2002年のSACと2004年の2ndGig、いずれも神山監督)も、基本的に押井路線でした。なにかのインタビューで、当時若かった神山監督には何の権限もなく、ただ求められるものを作っただけ言っています。このことからも、押井流の作り方とは別のやり方を試みたいと思っていたことが伺われます。
そこで神山健治は、人間味にあふれた素子を、この機会にアニメ作品に取り込もうと試みたのではないか?という仮説を立てて検証してみます。
まず冒頭のカーチェイス/銃撃シーンが繰り広げられる舞台。眩しい青空の下、どこまでも続く広大な自然描写。これによって、今回は押井作品の世界観とは別路線で行くことを高らかに宣言しているように思えます。
別のシーンで、トグサが派手な街のネオンサイン(電脳上に展開されている)を「うるさいな」といってカーテンを払い除けるように消す場面からも、同様のメッセージが読み取れます(これを見た押井さんは苦笑いしたでしょう)。
この考え方をそのまま素子に当てはめると、原作のようなキャラに近づくのかもしれませんが、商業的成功のためには旧来の押井ファンへの配慮も必要です。そこで、前例として存在するAriseシリーズと同程度に素子の外見を萌えキャラ寸前まで可愛らしくしつつも、あくまでクールな設定でとどめました。
そうすると、やはり人間味の行き場がなくなってしまう。そこで、クールな素子を逸脱しないギリギリのところで残しながら、溢れ出した人間味の部分を凝縮し、その後のアニメ文化も加味して新たなキャラクターに仕立てたのが、すなわちプリンであるとすると辻褄があいます。
こうすることで、全方位に配慮し全体としてのバランスを取りながら、原作の持つ人間味の部分をアニメ作品に注入した図式が見えてきます。違和感のあったプリンの存在も、こう考えると受け入れやすくなるのではないでしょうか。
2045のシリーズで将来的に素子が融合するのは人形使いではなく、戦闘に巻き込まれるかなにかで生身の身体を失ったプリンが義体化できず、行き場を失ったプリンのゴーストなのかもしれません。そうやって、原作に近い素子を復活させたいと、神山健治は本気で考えているのではないでしょうか。
次作がとっても楽しみです。