くじらびとのレビュー・感想・評価
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今年最高の一本
グローバルな価値観とローカルの価値観が衝突したとき、私たちはどう考えたらいいのか。本作はインドネシアでクジラ漁を伝統文化としているラマレラ村のドキュメンタリーだ。この土地は火山岩だらけで作物は育たない。村人が食べていくにはクジラを狩る以外の選択肢はなかった。それが伝統として今も根付いている。
世界的な価値観の中で、クジラ漁は厳しい立場に立たされている。マイノリティの人権をと叫ばれる昨今ではあるが、こうした少数民族や小さな村の伝統は、グローバルな価値観に押しつぶされかかっている。
クジラ漁は危険だ。映画の中でも1人の若者が命を落とす。クジラの保護とともに、この危険な伝統は若い人の安全を考えていない、とグローバルな価値観の中では言われてしまうのかもしれない。
しかし、この村にとってのクジラ漁は単なる食糧確保の手段ではない。村の文化の中心でもあり、彼らのアイデンティティのよりどころでもある。
自分が自分らしく生きられるようにするのが、今の「正しい」生き方なのだとしたら、いかにクジラ漁が残酷で危険だったとしても彼らのアイデンティティを否定できない。
この映画には、本当の意味での多様性の複雑さと奥深さがある。そして、人間の生きるエネルギーに満ち溢れている。今年最高の一本だ。
☆☆☆★★★ 『おクジラさま ふたつの正義の物語』とゆうドキュメン...
☆☆☆★★★
『おクジラさま ふたつの正義の物語』とゆうドキュメンタリー映画がある。
『おクジラさま…』は、『ザ・コーブ』がアカデミー賞を受賞(してしまったがゆえに)した事で。野蛮な国日本→和歌山→太地町と世界からレッテルを貼られてしまった町である太地町の人々。
そこに住み着き監視するシー・シェパードの人間。
海外の人達がどの様に太地の人達を見ているのか?…を、あくまでも中立的な立場から映し撮った秀逸なドキュメンタリーでした。
では何故その映画に対して貶している者が出現するのか?
こちらの予想でしかないのですが…って言うか。そんな事(不正アカウントを沢山作る輩は)をするのは、ただ単に頭が悪いから、、、としか言えないですね。
そう思う理由をここに細かく書こうかなと思いつつ。それは私が同じハンドルネームで書いた別のアカウントでのレビューをちゃんと読んで貰えれば伝わる筈なので、、、
まあ、100歩譲って考えたならば。ドキュメンタリー映画としての中立性にこだわったがゆえに、シー・シェパード側の意見を聞き。最早飽食の時代の日本に於いては、ほとんどの日本人が鯨肉は食べなくなった…と。確かにそうだと言える本音を言い切ってしまっている辺りを、「何だこの反捕鯨映画は!」…と、間違った思い込みをしているからだろうと思えます。
何故それを間違った思い込みなのか?と言うと。
映画の中で、世界は日本人→和歌山→太地町を野蛮な人達と見ているのは何故か?との問いに関し
…世界に対して「そうでは無いんです!」と言う《発信力》が不足しているからと、はっきりと指摘している。
監督自身が太地町の人々の生活をしっかりと見て感じた想い。
確かに鯨肉やイルカ肉は食べなくなって来ている。
でも、太地町の人々は鯨やイルカに
【きちんと感謝し。有り難みを持ち、余す事なく頂いている】
その姿をしっかりとカメラに収めているのだ。
だからこそ、映画の最後に監督は。ある一言をインタビューの中で口にしている。
「歩みよれないのですか?」…と。
その言葉の本当の意味を理解できなければ、、、これはもう本当にどうしようもない。
『くじらびと』のレビューを全くしないで、ほとんどを『おクジラさま…』に関するレビューになってしまっているのをお詫びしつつ、『くじらびと』に関して一言だけ言うと。
(「一言だけかよ!」と言われそう💦)
『おクジラさま…』は、捕鯨問題に対しての問題提起を促す作品として優れていたと思う。
一方『くじらびと』は、そのダイナミックな映像美が眼を見張る作品だったと思います。
世界的には物凄い勢いで〝 反捕鯨 〟世界へとシフトしているのは間違いない。
作品で描かれていた島の人々も、火山島の為に土地が肥沃にはならず、海の幸に頼らざるを得ない状況で。鯨が獲れないと人々は生きてはいけない土地柄。
だからこそ鯨が獲れた時には。神から与えられた恵みに感謝し、鯨の全てを余す事なく頂いてる。
その姿は太地町の人々と何ら変わりはない。
捕鯨問題に興味がある人には必見のドキュメンタリー映画だと思います。
2021年12月5日 キネマ旬報シアター/スクリーン1
※ 1 2021年12月 初旬現在(その後、この荒らしはいつのまにか居なくなったようです)
奇跡の映像
上空から撮影した大海原と舟とクジラ。面と線が織り成す「奇跡の映像」。
上空からでは、静かな海に漂う舟のようにしか見えない。
けれど、ひとたびカメラが地上に下りてくると、そこはくじらの血しぶきと漁師たちの歓声。
漁師たちと一頭のマッコウクジラの死闘。
そこには、年間クジラを10頭捕獲しないと生活がたちゆかない村人たちの背景まで飲み込まれる。
この遠近の見事な映像に完全に引き込まれる。
このために、漁師みんなが新たに最強の舟を作り、最強の帆と、最強のモリでくじらを迎え撃つ。
その職人芸すらも混ざり合って、私たちが目にするのは、ただただ、大海原と舟とクジラ。
まさに、「奇跡の映像」ここにあり、である。
うばいうばわれ
野生と向き合う人本来の姿に?
迫力に?
おもわず泣いてしまった。
予兆もなく涙が出てきてびっくりした。
フィールドワークの果てにある作品は、
8歳と5歳の子供達にも何かを伝えてくれたようだ。
よかった。
オラ、銛手になる。
400年間、継承されて来た生活。結局、なぜ継承されて来たのか、と言う話。
本を読む事は擬似体験だと、昔々先輩に言われて。映画も同じですよね。ドキュメンタリーなんて、その最たるもんだと思う訳で。
そこで暮らし、その場で人間関係を築き、食べて飲んで寝て、寒さを体験し、暑さに卒倒する。時に捕食されそうになったり、仲の良い誰かの死に涙したり、宴会で呑んだくれたりする。
ここ数年、少なくとも日本人が撮るドキュメンタリーは、ドキュメンタリーとは到底言えないシロモノで溢れてて。もうね。観る気、起きんですから。完全に捨ててましたから。日本のドキュメンタリー。
これは数年ぶりに見た、正当なドキュメンタリーでした。
とは言え。
子供たちが学校に通ってない風に見えたりするんだけど、流石にそりゃ無いよね?とか。
抹香なら竜涎香が取れるはずですが、まさか捨ててるん?とか。
しつもーん!と手をあげたくなる場面もしばしば。
ですがですが。
400年前から続くと言う、銛を使う鯨漁の場面には圧倒されます。二隻の船外機に曳かれて抹香鯨に迫るテナ。海面の黒い巨体に向かって飛び掛かるラマファ。テナに突撃する抹香。海面を叩く抹香の臀鰭。テナの船上を這い回る銛綱の数はクジラに打ち込まれた鉄のクサビの数。赤く染まって行く海に、留めを刺すために飛び込む男。
砂浜に引き上げられた鯨は、脊椎だけを残して、すっかりと解体され村人に持ち帰られる。
脳油の凝固点は常温の25℃。お椀で掬い取る女たちの姿に、この村が熱帯にある事を再認識してしまう。
近接し撮影した漁のシーンの迫力。上空からのドローンの画が、効果的にコントラストを作り出します。
ラストは。
クジラが横たわる浜辺と、ベンジャミンが消えた海を交互に映します。自然の中で命のやり取りが行われて来た村の姿。金銭的な豊かさを求めない人々。村人の死は家族の死。400年間変わらない総分配の決まり。
それが理想だとは言わないけれど、幸福の条件の幾つかを、キチンと見せてくれるドキュメンタリーでした。
良かった。
【命懸けで、巨大なマッコウクジラやマンタを捕らえ、広大な海原と共に生きる人々。インドネシアの伝統捕鯨の実態を、石川梵監督が30年以上掛け、関係性を築いた事で描くことが出来たドキュメンタリー作品】
ー 後半のマッコウクジラの群れに新調したテナと呼ばれる小型舟で突撃し、銛で仕留めるシーンは圧巻であった。
真っ赤に染まる海面。
それを、ドローンから映した俯瞰した映像。
銛を持って、海に飛び込むラマファと呼ばれる銛打ちの姿。
舟の上のカメラは、人々の激しい動き、声を捉える。
だが、何より、石川梵監督がインドネシア・レンバタ島の島民1500人と長年交流を続けて来たからこそ、撮れた映像に敬服した作品である。ー
◆感想
1.くじらびとたちの、400年続く、伝統捕鯨の厳格な規律の数々。
・漁期間中は、もめごとは厳禁。
だが、夫婦喧嘩をした漁師がマンタに海に引きずり込まれて、亡くなってしまう。
漁師たちが、漁は神聖なモノであるという思想が、良く分かる。
・くじらが捕れた時の、肉の分配方法。役割によって、部位が違う。決して変えない。
・テナの製作方法。神聖なるものとして、眼を入れ、鉄の釘は使わずに木のみで、工夫して作る。
2.くじらびとたちの、島民全体を公平に扱う姿勢。
ー クジラが捕れた時に、貧しき人、未亡人にも肉をフツーに渡す。
3.エーメンを始めとした子供も、テナに乗せ、漁を体験させる。文化の継承である。
4.撮影方法
・舟の上
・海中
・ドローンを使った空から漁を全体を俯瞰した映像。これが、実に効果的であった。
5.老漁師の言葉
”我々はくじらを殺すが、大切に思っている。”
そして、くじらやマンタも、漁師を海に引き込み、殺すのである。
遺体は海に帰り、それを食べる魚を人間が食べるのである。
潔い、食物連鎖である。
<次作は、ラマファになる事を夢見るエーメンが主人公だそうである。
成長したエーメンの姿や、この伝統的な捕鯨文化がどのように変わって行くのか・・。
楽しみである。
グリーンピースの皆様にもご覧頂きたい、素晴らしきドキュメンタリー映画である。>
<2021年10月23日 刈谷日劇にて鑑賞>
仕事とは聖なるもの
海 人 人の営み全てが美しい のは 撮影者が美しいと思って撮っているから それが伝わってくる
彼らの暮らしはシンプルだ 漁が生活 鯨を捕る それが全て 全員の生活はそれで一つになっている どの仕事も大切だ どれ一つ不備があれば それは漁の失敗だけでなく 命の危険である
だから 祈りながら船を作り タブーや信仰がある 仕事とは本来そういうものか 聖なるものだった
ただ 途中 音楽は要らないのではと思うほど 自然の音が綺麗に録れていた
《人間としてこう生きたい》
インドネシアのレンバタ島ラマレラ村は、文明の利器が侵食してきているが、人間らしく生きることができている美しくも厳しい村。
農業には適さない土地なので漁で生きている。美しい海の側で村民はみんなが家族のように生きている。そこには不寛容さ、見栄、建前、世間体といった生きづらさは見られない。精神疾患に無縁で、豊かな表情で生活している。
主人公のエーメン少年の父ビストニは、お金を稼ぎにバリで暮らしたが「お金に追われる生活」が嫌で戻ってきた。バリでの生活は不寛容さ、見栄、建前、世間体に侵され始めているのかもしれない。
素晴らしい映画体験
【命をいただき、命をつなぐ】
インドネシア・ラマレラ村で400年以上に渡り脈々と受け継がれてきた鯨漁。村人たちの希望でもあり村人たちの生活や生命までも背負ったラマファは命懸けの役目で常に死と隣り合わせである。実際に命を落としたベンジャミンの死を悲しむ父の姿に私も涙が溢れた。
この村の人々は当たり前のように男女の役割分担を受け入れ、淡々と日々の生活を営んでいる。ジェンダーがどうのこうのと訴える私たちの国は豊かな証拠なんだろう。彼らの姿から本来の人類の姿が見られた気がする(善悪は別として)。
ラマレラ村の人々が生きていく為には鯨が必要で、そもそも鯨でしか食い扶持がない。
船を作る、綱を編む、祈りを捧げる、村人が協力しながら、それぞれが伝統や掟にそって役割を全うし、後世にも受け継ごうとする姿にジーンとくる。
映像はさすがの石川梵、美しい映像、リアルな鯨漁にグイグイ引き込まれ、凄まじい臨場感に息を呑むほどだ。捕らえられた鯨を助けようと寄ってきた仲間の鯨、鯨の血で染まった海、鯨の目、、、しっかりと目に焼きついている。
“食物連鎖” 私たちは生かされているのだということを実感した。
本作は貴重な映画である。自分の子供達と一緒に観に行けば良かったと思った。見る機会があるなら是非観てほしい。
クジラ年間10頭で島民が潤う
返しモリでのクジラ、マンタ漁
インドネシアの大自然
島民全員が家族か
漁で命おとしても前をすすむ、クラウドファンディングでこの映画ができたとは
良い時間を過ごしました
エンドロールのアベマリアは、亡くなった漁師、海の秋生き物への鎮魂歌か
衝撃的な映画
石川梵監督が、マラレラのラマファと同じく、銛一本のところをカメラ一つで鯨を追いかけた、迫真のドキュメンタリー。
村人達が生きるため、巨大なマッコウクジラに挑む男たち。鯨が舟にぶつかる迫力、血を流す鯨を助けにくる仲間たち。こんなシーン、普通じゃ撮れない、撮影も命懸けの行為だ。実際、捕鯨中に亡くなっている人もいる。
舟を作る人、行われる儀式、鯨舟に一緒に乗り込む少年、皆が一つになって生きている世界。子どもたちの笑顔が印象的で、光り輝く海の映像美も素晴らしい。
皆んなに見て欲しくなる、語りたくなる、そんな映画です。
生きるために殺し生きるために死ぬ
写真家・映像作家の石川梵監督が、クラウドファンディングでつなぎながら30年追いつづける、インドネシア島嶼部のラマレラ村、マッコウクジラの捕鯨で糧をえる人たち
だいぶ前になにかの番組で見かけて、その捕鯨のあまりの伝統的な建付に衝撃を受けたやつ、昔ながらの手作りの舟と打ち出しの銛で10mはゆうに超えてる鯨と対峙する
漁のさなかに実際に亡くなる人もいる文字通り命のやりとり、生きるために殺し生きるために死ぬ
都会に住んでると遥か遠い、自然への畏怖とともに過ごす日々、確かにサステナビリティの原点だと思う
それを天高く俯瞰する映像の美しさたるや
消滅した伝統文化の貴重な記録にならないことを祈らずにはいられない
インドネシアの小さな入り江の村での伝統的な鯨漁を題材にしたドキュメンタリー映画。村人との交流に30年をかけた大作。監督は国際的な写真家の石川梵氏。給食で月に2回は鯨の竜田揚げを食べた世代ですね。
水中映像、ドローンを使った空中映像と船の上からの映像と音声をあわせた鯨漁のシーンはものすごい迫力でした。暴れる鯨が舟にぶつかる鈍い低音が本当に恐ろしかった。
人間と鯨、両方への慈愛を感じられる映画。何を感じて、どう思うかは人それぞれでしょうが、できるだけ沢山のメッセージを汲み取りたいと思いました。
私は最初の方の村の入り江のドローンの映像で20年前の朝ドラ、ええにょぼ(戸田菜穂、的場浩司)の舞台にもなった丹後半島の船屋の集落、伊根を思い出しました。江戸時代以前から木造船による鯨漁が行われていたところです。伊根の郷土資料によると270年間で捕ったクジラは350頭です。湾内に入り込んだクジラを総勢100隻の舟で捕ったそうです。クジラ銛での漁。この映画との違いはモリで刺されて弱ったクジラを網で包囲して取り込んだこと。やはり、網や綱に身体が絡んで死んだ漁師もたくさんいたらしいです。捕ったクジラは神社でちゃんと供養しています。
クジラが捕れると藩の役人が来て、クジラの長さに応じた年貢を課して行ったそうです。村人は測定する巻き尺に細工をして、少しでも多く年貢を取られないようにしました。お役人も分かっていて、見逃したそうです。この地区は年貢を鰤で払い、自分たちはへしこ(鯖の塩漬け)を食べて耐えていました。のんべのかたはアテに一杯やったこともあるかと思いますが、本当にしょっぱい。
そのほかにも鯨やイルカ漁をしていたところは昔から日本にはたくさんあったと思います。
この映画の村落はひとつの共同体です。船の先端で銛(モリ)を突く男(ラマファ)は特別な存在で、子供から憧れの的、ヒーロー。1500人の村人みんなから頼られていますが、命の危険と常に背中合わせ。八丈島や三宅島などでのカジキマグロのつきんぼ漁で船の先端で銛を撃つ男も憧れの的でした。古くから世界中にある伝統漁法です。
クジラを絶滅の危機に追い込んだ大型船団での捕鯨は油を取ることが主目的の商業捕鯨。そこには命に対する敬意なんかなかったでしょう。アジアの共生的文化は本当に豊かです。ごはんの前にお祈りの歌を歌いたがるエーメンの妹イナがとても可愛い。仲のいい家族にもたくさん癒される映画。マンタ漁で命を落としたベンジャミン。喪が明けるまで皆漁に出ない。村人全部が家族のよう。なにより「和」を重んじる考えが浸透している。弱いものに分け与えることになんの不自然さもない。素晴らしいです。この村には警察なんかいらないなぁと思いました。謙虚に自然の恵みに感謝して生きている彼らを心から敬います。「海の番犬」とみずから名乗る反捕鯨団体は自分達が狭量で片寄った行動を高慢な態度で行ってきたことを心から恥じてほしい。多様な生き方や文化を否定することのしっぺ返しは回り回ってやって来るはずです。
リアルな生き方、その美しさ
これがリアルな生き方なんじゃないか、、
その美しさに涙がでます
今の私たちの生活には沢山の余計なものが加わってしまったのかもって思いました
見たくないものは見えない振りをして表面的な美しさで飾って、本来大事なものを沢山失ってしまったのを感じます、、
生きるとは何かを考える時間を貰いました。
人間が生きて行くには食料を確保しなければならない。村が生き延びためには、鯨を仕留めなければならない。この作品は、生きるとは何かを改めて考える時間を貰いましたドキュメンタリー映画です。登場する人々と撮影者との信頼関係の深さがなければこの作品は生まれなかったでしょう。石川梵監督が村に足繁く通い、人間関係を深め、村人たちとの信頼関係がなければこの作品は生まれなかったと思います。みなさん、是非見て欲しい。人間が生きることとは何かを考えてみませんか。素晴らしい作品です。
伝統を守り続ける彼らの意志!
彼らは、船の動力に船外機を使うが、くじらを撃つのは、自分達の体であり、手だ。
銛を撃つ銃のようなものは決して使わない。
船も、その船の帆も、銛も、すべて彼らの手作りだ。
くじらを小さな木造船で追い、漁をする。マンタやエイも漁の対象だ。
人間の手で、くじらに向け銛を放つため、命を落とす者が出てくる。しかし、彼らは文明の力を使うことを良しとしないのだろう。
実際のくじら漁は、息をのむ緊迫感が伝わってくる。船に乗り、映像を撮る方も命がけだろう。
巨大なくじらは捕れれば大きな恵みとなるが、いつ捕れるかはわからない。彼らの住む場所には、文明や貨幣経済も存在しない。狩猟と農耕と物々交換の世界があるのみだ。
彼らの内のひとりが、「バリ島にいたときは金に追われていたが、ここでは、金が無くても生きていける。」と言っていた。まさにそのとおりだろう。
この映像を撮り続けるのは大変な労力だと思う。本当に見る価値のあるドキュメンタリーだ。
映画館のスクリーンで、ぜひご覧いただきたい!
生きるってこういうこと?
完全に体験型ムービー。
村の暮らしや壮絶な狩を、まるで体験するように観ることが出来る。解説の無さ、音響の凄み!
それらを通して浮かんでくるのは、
生きるってほんとは、こういうことだったのかな…
共に生きるの本当の意味って、こういうことなのかな…
ということでした。
劇場で観られるうちに、大きなスクリーン、出来たら最前列ど真ん中で観てほしいです、
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