「「よりもい」が良かったので観ましたが、こういう話は好みです」グッバイ、ドン・グリーズ! 福島健太さんの映画レビュー(感想・評価)
「よりもい」が良かったので観ましたが、こういう話は好みです
僕は個人的に、「劇場へもう一度行こう」と思う映画は滅多にないのですが、これは2回目行こうと思います。
1回目でドロップ君の電話の事情がわかったので、今度はロウマ君の「ドロップ15歳最後の勇姿を見届けてやる」のセリフを聞きに。
「宇宙よりも遠い場所」の作中でも、日向ちゃんがキマリちゃんとシラセちゃんの関係を「良いな」と思った、うまく言えないけど「ウソついてないみたいな感じ」だったって。
クラスのみんなに合わせてワイワイやって楽しいフリをしながら、でも友達の前でほんとに包み隠さず自分らしくしているのかっていうと、なんとなく「空気読んで嫌われないように」みたいな。
ロウマ君とトト君はそういうのが苦手で、だけど2人は集団から浮いた者同士で気が合って、「クラスのみんな」とは違うような、「ウソついてないみたいな」親友になったんでしょう?
で、トト君は映画の劇中でもドロップ君とケンカして、ムキになって言い過ぎた後、涙流して弱いところをさらけ出しながら、こんなみっともないところはロウマには見せられないって言う。
空気を読んで嫌われないように自分を偽っているんじゃなくて、ロウマ君の頼れる親友であるために必死で強がってるんだから良い奴じゃありませんか。
例の間違い電話も、ロウマ君の性格を知った上で、親友の背中を必死で押してやるためにチボリちゃんの外国の電話番号を調べてやって、「将来医者になって稼ぐ男だ」なんて強がっても電話をかけたのはトト君が東京の高校へ進学する前、一介の中学生にとって国際電話の通話料が小さな者であるはずがない。
その上で、親友に向けた精一杯の言葉が「15歳最後の勇姿を見届けてやる」でしょう?
それが、間違い電話の向こうのドロップ君に届いた。
ただの間違い電話で、ドロップ君の事情とは何も関係がなく発せられた言葉で、だけどそれが奇跡的にも、病気で死ぬことが決まっていて、自分が生きた証を残したいと思っているドロップ君には求めていた宝物だったんでしょ?
ロウマ君は、かつて親友のトト君からもらった「最後の勇姿を見届けてやる」って言葉をドロップ君に言っていたけれど、是非とも2回目はあのセリフで泣きに行くことにします。
ドロップ君は死ぬことが決まっている必死さとあの赤い電話ボックスで聞いた言葉にも背中を押されてか、ロウマ君を馬鹿にしたクラスメイトを見返してやろうとか、ドローンを探しに行こうとか、明日に後悔を残さないように思ったことはなんでもやっていましたね。
でも、臆病になってじっとしている間に死んでしまったら生きた証を残せないとしても、自分1人が死を前にして生き急いで無茶なことをしなきゃいけない、それにロウマ君とトト君を巻き込んで、傷つけてしまう。
自分1人のエゴイズムだってわかっているから、やっぱり弱音が出ちゃったけれど、それをロウマ君、間違い電話の事情を知らないのに、「ドロップ15歳最後の勇姿を見届けてやる」だもの。
1回観て、あの間違い電話のことを知った後でもう一度聞いたら、僕なんか感動の涙を堪えられる自信がありません。
泣きます。
結局、ロウマ君は仲間に見届けられて思いを遂げることができました。
ただ親の敷いたレールに乗って生きながら「本当に医者になりたいのか」と思い悩んでいたトト君も、死を目の前にして「ただ敷かれたレールの上を歩くだけじゃダメだ」というドロップ君の影響を受けながら、守りたいものが人の命だったら医者にでもならなきゃどうしようもないのだと自分の意思で医者になる目標を定めました。
ロウマ君も、ただ農家の息子で肥やし臭いと馬鹿にされるのを嫌に思って、農業の手伝いをクラスメイトに見られないように隠れたり逃げ出したり、東京の高校への進学をやめたり、現状の自分は嫌だけど自分が何をしたいのかもわからなかったのが、インスタを再開して写真を投稿したり、アイスランドでいろいろな写真を撮ったり、自分を表現するようになりました。
登場人物を死なせてなお、主人公キャラクター全員をきちんと成長させてハッピーエンドにするの、大好きです。
トト君の家は親が医者でお金があるとして、ロウマ君もほうれん草に付けた名前がヒットして、お金がある程度あったろうものの、アイスランドへ行く前に髪を切っていたのはドロップ君が髪を売ったと言っていた部分と繋がるんでしょう?
渡航費用の足しにするために切ったのでしょうか。
すると、ドロップ君がアイスランドから日本へ来たこととも繋がってきて、やっぱりお金が必要だったのかな?と思います。
ロウマ君の好きな女の子はチボリちゃんではないと劇中で本人が言っていたけれど、照れ隠しということもあるとしても、国際電話までかけて応援してくれた気の知れた親友への言葉っていうとただの好意よりは憧れみたいなものなのかと感じました。
クラスの人気者っていうのが、写真の件で「自分にはできない表現ができる人」みたいな。
ロウマ君がドローン探しやアイスランドへの旅で写真を撮っているのも、彼の目標とか夢がそういう表現をする方向に向いているのかと思われます。
だけど、物語を通じて成長する前のロウマ君は勇気がない。
インスタをやめたっていうのも、トト君が参考書を燃やした場面でまたやり直せるって言っていたのと繋がるような、自分で撮った写真を公開する、表現するってことを一度諦めてまたやり直す表現かと思うので、チボリちゃんは憧れとか目標で、単純に中学生がクラスの女の子を好きになったっていうのとは違うように思います。
そういうお話のいくつもの場面の繋がりとか表現しているものを想像しながら観るお話は、一度最後まで観て見えるものが全部見えてしまってから新しい視点でまた最初から観るとおもしろかったりします。
ホント、これは珍しく2回目、3回目と繰り返したい映画です。
Blu-rayビデオソフトが出たらきっと買うでしょう。
それから、山火事の犯人にっていうのをクラスの子が言わなくなったのをご都合主義だというレビューを見かけましたが、花火をしていた場所からドローンを追いかけたとしても徒歩なのでそれほど遠くへ移動できないし、火事を発見した場所から燃えていた場所まではだいぶ距離があるような映像でしたから、警察や消防が真面目に調査してホントに山火事の犯人にされることはないように思います。
また、髪を切る描写があったのは売るためだと想像できる内容ですから、売るために髪を伸ばす時間が数ヶ月もあったと思えばクラス内でのうわさ話がいつまでも残っていると考える方が不自然です。
ドロップ君が電話の相手を見事に突き止めてロウマ君のいる田舎へ引っ越してきたのは、「あんな公衆電話でどうして相手を特定できたの?」って謎に思っていますけれど、ドラマとして必要な要素ですから目をつぶります。
それほどご都合主義とも思いませんでしたよ、僕は。