アリスとテレスのまぼろし工場のレビュー・感想・評価
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未来へ。
生きていっても大人になれない世界で、この先何をやっても意味のない絵を描いて描いて描き続けて上手くなっていく正宗が、とても素晴らしいなと思いました。生きていく意味がなくても自分のやりたい叶えたいことを諦めないことを伝えたかったんだと思います。そして、人を愛することで世界が変わるかもしれない。愛の力で世界が変わるかもしれない。そんなことを教えてくれた作品です。時代の設定が今のSNSの時代ではなく、SNSそのもの自体がない時代に設定されていて、なんだか柔らかいみたいな物語だったと思います。このような作品がこれから持って増えていってほしいし、私もいつか人に生きる意味をあげれるような作品作りに携わりたいです。
秋に似合う作品
ストーリーの題材自体はいいと思って、時代に留まる人と前へ進む人の比較、衝突、絆のテーマは繊細に描写された。ですが、さすがに岡田監督らしいというか、複雑な絡み合う感情を含めて、表現したい要素が少し多すぎると感じて、逆に重点に伝えたいことに配る時間は少なくなって、故に最後の泣くシーンも、なんとなく理解できましたけど、泣けなかった。
少し惜しいと思って、ストーリーと脚本、テンポなどの要素を考えて、3.5と評価して、横山さんの音楽はいろんなシーンをさらに表現力を高めるので感服だと思って、結局4とレビューします。
最後まで見終わると、何故かこの作品は秋に似合うと思いました。
うーん
前情報無し、中島みゆきが主題歌と言うので気になっていた作品。タイトル的に、ファンタジー物?と思って見始めたら、何か普通のリアル系?と思った途端に工場の爆発。そして、妙な雰囲気に。
閉ざされた世界、そして時まで止まったまま、主人公らは中学生のまま、妊婦は妊娠したまま。そんな世界で父親が帰って来なくなった。こんな世界で何処に?
主人公はクラスメートの睦実に連れられ工場の敷地内で、睦実に似た少女(五実と命名)と逢う。知能は幼児レベル。
そして、街に亀裂が入り、その向こうにある現実の世界が見える。五実は睦実と主人公の子供。父の残したメモから、父は事故の時、工場に居たので死んでいると自覚している。
主人公らは五実を現実の世界に戻そうと・・・・・
さてっ、ストーリーそのものは分かるんだけど、父親は死んでいる。でも、主人公は現実の世界で子供(その子供がこっちに来て、自分らと同じ位の年齢)まで居る程に時間が経過。二十年~二十五年位は閉ざされた世界に街ごと閉じ込められている事になるが・・・物資は?もし、消費してもいつの間にかに戻っているなら、働く意味は無い。そんなに長く中学に通っても勉強する事も無い。何より、そんなに長く閉ざされた世界に居る割に登場人物は正気を保っている。工場長(睦実の義父)はおかしいが。
映画「うる星やつら2~ビューティフル・ドリーマー」みたいに、自分らが同じ日を繰り返している事に気が付かないと言うなら分かるんだけど・・・
多分、普通なら主人公らはもっと乱れた生活してるよなぁ。妊婦が妊婦のままと言う事は、おそらくセックスしても妊娠しないだろう。思春期の男女が、何年もあんな世界に居たらそういう方向に行くだろう。
なんと言うか、この映画の数日だけを切り取ってみれば理解出来るんだけど、彼らはあの中に何十年。そう思うと設定がザルだなぁ。五実もなんでこっちに来ちゃったのかが分からないし。
神隠し側の社会
ファンタジーとしての構造の面白さと、それに紐づけられたテーマとが、意外に合致してて面白い
話の構造としては、言ってしまえば神隠し先の世界。
見ている最初は、ほーん、ループものに似たような感じかあ、と。成長や時間が止まっているような。事故でみんな死んでしまって、そこで時間が止まっているような感じか?と。パッセンジャーズの映画に似ている感じかなと想像する。
よく分からない少女や宗教じみた男が登場。
なるほど現実の世界はそれはそれで存在しているのかと分かる。
虚構の世界に少女が迷い込み、それを虚構の世界側から描く。元の世界に戻してあげて終わる。
普通に話として面白い。
そしてそこに紐づけられたテーマ。
完全に今の日本社会(特に地方都市)の衰退の一途と、そこで暮らす若者の閉塞感や絶望を描いている。
変化することを大人に禁じられている子供。
社会の生贄のように閉じ込められている子供。
真に絶望してしまえば消滅してしまう。
希望のない社会でも今を生きていこうと。
アリストテレスがエネルゲイアだと言ってるらしい。
衰退する社会でも打ち上げ花火はあるよと。
セカイ系ゆえに、天気の子と似たような感じ。
『現実を生きるのはだれ?』 『IT IS ME♥』なんちゃって
正宗がむつみと縁側で話す現実が、突然夢の中の正宗とむつみの前に現れる。その時開いた夕刊に『憲法改正に向け調査進む』とある。
・憲法改正って現実に於ける挫折?
・仏教が神に変わるって明治維新の廃仏毀釈?
『アリス』は『不思議の国のアリス』
『テレス』は『錆びない ステンレス?』
舞台が『製鉄所』だけに錆びない炭素鋼を象徴して『ステンレス鋼』と言語音の類似性から取ったか?つまり、『錆びない』って『時間が経過しない。』
合わせてアリストテレスは、現実主義を唱えた古代ギリシアの哲学者。
いくつか、いらないキャラクターもあるが、それさえなければ、実に良くできたストーリーだと思う。
やはり、女性が考えたオリジナルのファンタジーだ。きちんと女性の目線で性を描いていて、男性が考えた単純な性と違い大変に奥深く感じる。
テーマとしては『千と千尋の神隠し』のリバースだが、ファンタジーから現実へと誘っている。そして、凄いと感心したのは、むつみの台詞に『貴女は挫折することもあるかも知れないが、それを乗り越え生きなさい』と言葉を結ぶ。だから、不思議な国から脱出するのだ。
傑作だと思う。
残念ながら、
男の性的オルガズムには理解できないだろうな。
『現実を生きるのはだれ?』
『IT IS ME♥』なんてね。
ふと?思い出した。僕は陸奥A子先生の大ファンであった。関係ないか。
希望とは、生きている者が見る現実だ
2020年、レバノンの首都ベイルートで大規模な爆発が発生。
原因は、港の倉庫に保管されていた硝酸アンモニウムの杜撰な管理による引火。
死者218人、負傷者7000人以上、被害者30万人以上。ベイルートの町を半壊。
爆発の規模は1キロトン。遠く離れたアメリカの地震計にも観測され、爆風は宇宙空間にまで達したという。
人類が引き起こした爆発としては、核爆発を除いて史上最大。
別に本作はこの事件を題材にした訳ではないが、ふとこの事件を思い出した。
本作の物語もある爆発事件がきっかけ。
それによって変わってしまったもの、変わらないもの…。
時代設定はいつか分からなかったが、現代でないのは確か。昭和の名残りを感じる。Wikipediaによると、1991年頃だという。
巨大な製鉄工場がある町、見伏(みふせ)。
ある冬の日、工場で突如爆発。
その爆発によって、町の全ての出入口が塞がれ、町から出る事が出来なくなった。トンネルも海からもダメ。なら、空は?…と早々に思ったが、後々衝撃の理由が分かる。
時折空を青白い閃光のビビが入り、狼のような姿をした煙がそのビビを埋める。奇妙な現象。
奇妙なのは町や住人たちも。毎日毎日が同じ。例えではなく、文字通り。
町にも住人たちにも一切変化ナシ。あの爆発から幾年か経っている。
まるで時が止まったかのよう。
そうなのだ。あの爆発で町から出られなくなってしまったどころか、時すら止まってしまったのだ…。
岡田麿里の監督前作『さよならの朝に約束の花をかざろう』のような異世界舞台のファンタジーかと思ったが、異世界ではない。異空間ではあるが。
最初は設定を把握するのに一苦労。
キャラは皆日本人。“アリス”と“テレス”は誰…?
これはある意味、言葉遊び。“アリス”と“テレス”ではなく、“アリストテレス”。古代ギリシャの哲学者で、劇中で言葉が引用されている。
「希望とは、目覚めている者が見る夢だ」
脚本作『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』『心が叫びたがってるんだ。』のような少年少女たちのリアルな感情が迸る。
14歳、中学3年生の菊入正宗。
14歳の多感な時期に、この時が止まった町での暮らしは心中察しが付く。
日々をエンジョイしているバカ友やクラスメイトもいるが、正宗は複雑で悩み多き。
画が上手く、密かにイラストレーターを夢見ているが、そもそも町を出られない。大人にもなれない。
この町では変わる事は許されない。絶対的なルール。
もしまた時が動いた時の為に、自分を見失わないようにする為学校で書かされる“自分確認票”。
矛盾すら感じる。そんなものを書いて何になるのか。
何も変わらないのに。町から出られないのに。大人にもなれないのに。
悶々とし、窮屈で、この叫び出したいほどの心や感情を、何処に何に向けたらいいのか…?
正宗には嫌いな人物がいる。クラスメイトの睦実。謎めいていて、学校でも一人でいる事が多い。
「退屈、根こそぎ吹っ飛んじゃうようなの、見せてあげようか」
そう睦実に誘われ、製鉄所へ。そこで出会ったのは…
睦実に似ている一人の少女。姉妹…? 親戚…? いずれでもないようだ。
見た目より幼く、あどけない言動。小さな子供のように無邪気。自由奔放。正宗は少女を“狼”と形容する。“五実”と呼ぶように。
少年少女が出会った時、必ず何かが動く。変わらぬ彼らと時の中で、何かが変わっていく衝動が…。
最初は設定を把握するのにちと難だったが、見ていく内に。
正宗と睦実のボーイ・ミーツ・ガールな青春ラブストーリー。
止まった時の中で、唯一成長する五実。彼女は何者なのか…?
正宗たちが暮らすこの町の真実。
それらが交錯し、謎が明かされていく展開は徐々に引き込まれていく。
まず発端は、ある失恋。クラスメイトの女子が正宗に告白するも、正宗と睦実が付き合ってると思う。心が傷付いた時、少女は光を発して消えた。空にはビビが入り、また煙の狼がそれを修復する。
何が起きても不思議じゃないこの町。おそらく少女が傷付いた事で異常が。それを正す。
平常な時を続けるかのように。信心深い製鉄所職員はそれを“神機狼”と呼び崇める。
動物のように無邪気な五実。顔を舐めてきたり。
ある時正宗は五実を製鉄所の外へ。
久し振りの外なのか、五実ははしゃぐ。空へ手を伸ばし、「もっともっと!」。
すると空間にビビが入り、そこから見えたのは…。
製鉄所。が、場所は同じでも違う。廃工場となり、季節は陽光眩しい夏。
一体、この光景は…?
明かされる事実。知った衝撃。
ビビの向こうに見えた光景は、“本物”の見伏町。“現実”と言った方がいいか。
あの爆発で、現実とは別に出来た見伏町が正宗たちが住んでいる見伏町。
非現実の見伏町なのか、まぼろしの見伏町なのか。それとも、あの爆発で住人たちは死に、ここは生と死の狭間の空間なのか…?
そしてどうやら、この見伏町に終わりが近付いているらしい。
住人たちはパニックに…ならない。至って平静。
そもそも自分たちは現実世界の者たちではない。非現実の自分たちが消えた所で。
これまでと何も変わらぬまま、受け入れる大人たち。
正宗たちは…。
自分たちに何が出来ようか。
大人になれない。何も変わらない。このままいつか消えていくだけ。
ある事を知るまで、大人たちと同じく空虚に受け入れようとしていた。
ある夜、正宗は再びビビの向こうの“現実”を見る。そこには、自分に似た男性と睦実に似た女性が。大人の姿で、どうやら夫婦のようだ。
現実の世界では二人は結ばれている。が、何か悲しげ…。
二人の仲が急接近。口付けを交わす。
それを目撃した五実は「仲間外れ」と泣き叫ぶ。
空間のビビが大きく、至るところに。
そこからまた現実の見伏町の別の光景が。
夏祭り。大人の正宗と睦実と、幼い少女。駄々をこねる少女を二人はわざと置いていこうとすると、少女の姿は忽然と…。
こちらの世界で五実が見つけられた時、“きくいりさき”の名札が。
五実の本名は“菊入沙希”。現実世界からこちらの世界に迷い込んでしまった正宗と睦実の娘であった。
それを知っていた大人たちもいた。製鉄所の数名。その中に、死んだ正宗の父親も。父親の遺した日記に全てが。
現実世界から来たから五実だけ成長する。
この世界では異端の者。彼女の心の動きがこの世界に影響を及ぼす。
信心深い製鉄所職員は五実を“神の女”とし、全てをひた隠した。
正宗は五実を元の世界に戻そうとする。
五実を元の世界に戻した所で何が変わる…?
現実世界の自分たちの為…? この世界の為…? この世界の自分たちの為…?
分からない。何も変わらないかもしれない。
それでも少年少女たちは一つの衝動に突き動かされる時がある。
今が、それだ。
それは大人たちも。大人たちだってただ指を咥えて何もしないなんていられないかった。
消えゆくなら、消えゆくまで生きていく。
正宗の叔父を中心に、ビビの修復を試みる。
各々の目的の為に奮闘する正宗たち、大人たち。
何も変わらないでいたこの世界で、今確かに動き、変わろうとしている…。
岡田麿里の繊細にして大胆な世界観。
寒々とした非現実の見伏町、空を裂く青白い光のビビ、現実の見伏町はまるで別世界のよう。圧巻の映像美。
うっすら新海イズムを感じるが、あちらはもっと万人受けの作風(ユーモアや音楽)に対し、こちらはもっとナイーブ。
少年少女たちの悩み、苦しみ、怒り、悲しみ、そして喜びと温もり。
それら複雑な感情を経て、知るのだ。
あちらの世界でも。こちらの世界でも。
今は変わらなくても。いつか終わりが来ようとも。
今を一瞬一瞬。生きていこうと。
難しい
主人公達がいる世界は、そもそもが幻の世界である。
その世界に偶然に訪れた少女によって、世界の秩序が崩れる始める。
現実とまぼろしと中である世界観がどう捉えればいいのか?が少し難しいと感じた。
少女が主人公たちと関わる中で、嬉しい、悲しい、楽しいという気持ちを手に入れ、そして傷つくいた事を覚える。
この作品の良さを理解するのにもう少し見直す必要があるのかもしれない。
瑞々しいととるか、生々しいととるか
試写会にて鑑賞しました。
閉鎖された町での鬱屈とした感情など色々あったとは思いますが、思春期の性への興味とそれに合わさる感情ばかりが印象に残ってしまいました。
中身は年齢を重ねているにせよ、感情は成長はしていないようなので性に興味を持ち始めた子どもの恋愛を見せられているようで鑑賞中はムズムズしました。可愛らしさはなく、中途半端に大人で子どもで痛い。そういう描写をされたかったのであれば手中に落とされたということですが…
私にはそれが生々しく、言葉悪く言うと気持ち悪いと感じてしまいました。
壮大で美し過ぎる絵空事の街
初秋に観た不思議なアニメのレビューを、結局、物語世界と同じ冬の季節に投稿することになってしまった。映画と同じく、冬でも凍てつく感じではない。
◉風景のこと
まず、校舎を照らす夕陽の影や川沿いの道、廃工場の赤錆びた鉄骨や線路脇の微かな草地のことを書かねばならないと思う。ノスタルジックな景観が、本のページを風がめくるように次々、現れてはひと時わだかまって、また消えた。霞んでいく様も滲んでいく様も、とてつもない美しさと、途方もない儚さ。
逃げ水のような実在感の希薄な景観。それはそうか。まぼろし工場の生産するものと言えばある意味「絵空事」だ。
◉街の人のこと
人々の姿や表情も、何故かノスタルジーたっぷりに見えて仕方なかったのですが、彼らが未来をなくした時空の漂流者なのか、死を忘れた死者なのか、終盤まではっきり分からずに観ていました。五実が祭で迷子になって街に紛れ込むシーンに至って、死に気づかない死者たちの物語だったのだと、一瞬、判った気がした。「天間荘の三姉妹」に登場する三ツ瀬のような。
ところが正宗が列車から飛び降りて街へ戻るのを見て、あぁこの人々は死者ではなくて生者ではあるが、時を失ってすくんだまま霞んでいく存在なのだと気がついた。
正宗と睦実と五実が存在する時制と、三人の関わりが最後まで判りにくかったのは、私にはやはり辛かったのですが。
それにしても、亀裂の向こう側に見えているのが現実であると知ってからの気持ち悪さ。不快感ではなく、不安感。崩壊しているのに、季節は冬のままの一見、穏やかにも見える魔法の街。ハッピーエンドとかバッドエンドとかとは、全然違う収束になるなと思った。全てがなくなる、あるいは初めから何もない。見続けてはならない、目を伏せて生きるのだ。だから見伏?
◉激情のこと
自らの命と引き換えるように、生きる歓喜と苦悩を、激しい叫びと泣き声で表す五実。壊れてしまうまで止まらない、獣みたいな激しく自由な生のままに育っていった。彼女が突き破ろうとする壁が、やたらに眩しかった。
正宗と睦実の執拗なまで、いや執拗を越えた抱擁と口づけを見ているうちに、人を思う熱い気持ちと、人から思われる温かい気持ちは、それっきりに縋りつく哀しい感触はあろうとも、取りあえず生きる糧にはなる、魔法は一瞬のために存在すれば、それで良いのだと感じました。
ただ、他のどんな場所とも隔絶されていたら、経済や社会は成立しないのに、人々は自給自足ではなく生きていた。ここで、街の生活はこうした手段で成り立っていると言う、何でよいから説明が欲しかったかなと、思いました。魔法にも更なる現実感があったら。
取り残された世界
1つの事象により並列世界の様にひとつの地域が時間軸から取り残されたこととにより起こる物語。
そしてその世界へ偶然訪れた少女との触れ合いにより彼らが何者なのか、そして未来について選択する人生。
何を目指すことも出来ない同じ日をくりかえす日々の中、徐々に紐解かれるこの世界と未来の選択を登場人物の心情と合わせて上手く描かれてた。そしてこの世界の表現方法も面白かった。
『ハッピーエンドにならなかった方』の物語
中盤まで話が進むとなんとなくわかってくるのですが、普通はある事件がきっかけでいくつもの世界線に分かれるようなお話は『未来に進めた方』、ハッピーエンドになれる方の物語が多くの作品で描かれるのに対し、本作は『取り残された』方が主に描かれているのが新鮮でした。
岡田麿里さんの作品はなんとなく食わず嫌いしてたのですが、思春期独特の苛立ちや焦燥感、嫌悪感を大人と言われる年齢になってもあれだけ描き出せるのはすごいなあと思いました。情緒的なところばかりでなくSF要素が多かったのも自分の中で見やすさに繋がったかもしれません。
ツッコミどころ満載な映画
この監督の前の作品でもそうだったけど、いまいち、作品に入り込めなかった。
・キャラクターに一貫性がない
主人公をパンチラで誘っていたヒロインが、そのあと、主人公と工場の少女(娘)がじゃれあっていると、「お前も所詮は男なんだな」と激怒しているが、元々パンチラで主人公を誘ったのは、ヒロインなのに、その感覚はおかしく感じた。
・悪役がバカっぽい
悪役の父親自身に、もっとした高さが欲しかったけど、作品上ではただただ、神に逆らうなとかバカっぽい発言ばかりだったのも、残念。
・大事なネタをセリフだけで説明してしまう
主人公が工場の少女を、自分たちの娘と気付いたことを、映像的に見せるでもなく、ヒロインとのやり取りのセリフだけで見せている。それだと、印象に残りづらくなる。
父親の日記も何故か終盤に出てくるのも都合良すぎるし、なんか、色々と残念な作品だった💧
おかしな状況と、おかしな人物
いいところ
プロの声優さん、特にその中でも上手い人達の演技
ラストシーンは色々に解釈できる余韻
ダメなところ
タイミング良すぎるいつみの出番(ゲームセンター)
生活時間と精神年齢の乖離と成長の歪さ
声優は上手い人がやれば誰がやってもいいけど、わざわざ作り上げた作品を台無しにするような配役がおおいオリジナルアニメ作品のなかで、普通に配役するだけで評価したくなる。それでもむつみといつみの2人はホントに上手い。むつみの感情を押し殺したような希薄さから感情的に切り替わるところや、いつみの本当の子供のような演技はさすがとしか。
基本的にSFというかあの手の異空間みたいな話はおかしな状況に普通の人か、普通な状況におかしな人でないと説得力や現実感がなくなって嘘っぽくなると考えてるので途中までおかしなところでおかしなことやってるな、という冷めた目線だったけど、親子の手紙あたりからはごくありきたり反応になって、異常な状況が生きて来たと思う。特にラストはそれぞれの感情が単純で共感出来るものであるし、そうであってほしい流れである意味ハッピーエンド。物語はこうでなくては、という終わり方だった。
時間と変化とかが語られてたけど、あの神隠しの三伏と現実の三伏はある時点から分かれて同時に存在し、神隠し側だけがループしていても時間進んでるとすれば、現実でゆうに10年以上経ってるなか神隠し側は冬を延々とそれこそ10年以上も繰り返してる訳で、いくらなんでも悠長すぎんか?発狂する人間は全て煙に呑まれてるにしてもなあ。もしかしたら神隠しの一年は現実の数年とかか?物資はどこから供給されてるとか、電気や水道は?とかいろいろ疑問はあるけど、まず間違いなくそこらへんは意図して無視してるんだろうな。
ダメ映画だが、青春の残滓としては
中島みゆきの歌謡曲の流れるなか、スタッフロールのラストですべてが腑に落ちました。
「脚本 監督 〇〇〇〇」
OK,これですべて説明がつきます。同一人物でしたか。
私はこの作家さんを存じ上げません。過去作を見ないでの鑑賞でしたが、ああなるほど。
作家と演出家が同一人物でしたか。成程合点。
ずっと苦笑しながら、首を捻りながら、鑑賞した120分の長かったこと長かったこと。
設定も緻密に見えて雑、そして登場人物の演技も台詞も謎だらけ
絵のカットもあまり良くなく、音楽もそれほど心に残りません。
SFの文脈でいえば、「フリクリ」や「ママは小学四年生」の匂いを残しつつ、
新海監督のような、極めて自己中心的な、(こういうのをセカイ系と呼ぶのでしたっけ?)
思春期の男女の恋愛感情(ですらない、未熟な性衝動=リビドー)ですべてが解決するように出来ている、
刺さる人には刺さるが、まともに映画を評じられる人には最低点という、とんでもない仕上がりに仕上がっています。
かといって、駄作凡作とも思えない、とても尖った魅力のあるダメ映画だと感じました。
この作品は、とても頭でっかちな、理屈くさい脚本の上に成り立っていて、
設定もキャラクターも脚本(というか、脚本家の頭の中)のご都合主義のためにあるのですね。
だから、説明不足でも気にならないし、作者の頭の中では破綻していないのですが、
通常の表現作品としては、世界設定も、人物もまったく血の通っていない
(例えば、その人物の血縁や設定が細かくされているということは、イコール、その人物が深く描かれている、という事ではないのですね。
その背景があるからこそ、この人物はこういった行動をする、発言をする、こういった考え方をして、それに沿った感情の動きがある。
文字にすると、そのままそれは実行されているように見えるのですが、肝心の演技が
声優と作画任せになってしまっていて、これは良い言い方をすれば、脚本家が声優や作画を信頼して委ねているという事なのですが
悪い言い方をすれば、脚本家はともかく、演出家(監督)が仕事をしていないという事になります、
結果、まったく、バラバラな物語の筋に、バラバラな人間が描かれ、乗っかっているように見えてしまいますね
声優、作画の力量はそれなりかと思いましたが、これでは劇作としての順番が違います)
そういったデティールだけの存在が右往左往する、しかし商業主義的にこうすれば感動的に見える、という
感動ポルノに近い強引なまとめ方をされている、謎の怪作に仕上がっています。
いやいや、私は褒めているのですよ。
いやいや、なかなか、こうはならなくて。出来なくて。
作家としての個性が強ければ強いほど、そして、商業主義に迎合すればするほど
こういった謎の仕上がりになるのですね。普通は、そのどちらかに傾向するものなのです。
しかし今作は、その両立が(ものすごい力技で)融合されている。
その熱量たるや、凄いものがあるのです。
ふつう、タイトルからしてもう、これはタイトル詐欺と言われてもおかしくない。
アリスとテレスなのですから、アリスもテレスも出てないじゃないか! というレビューは極めて正しい。
しかし、母アリス(=娘アリス)も父テレスも主人公枠で登場しているのですから、これは(少なくとも作者にとっては)理解できない方がおかしい。
或いは、理解できない者が大多数で、理解できる人だけ理解してくれれば良い。
この映画が、脚本家と、監督が別の方が作った作品なら、こうはならなかったでしょう。
しかし、幸か不幸か、同一人物による狂気的な一本の背骨の通った作品になってしまったからこそ、
この作品が、単なる駄作や感動ポルノではなく、不思議な魅力と力を秘めた怪作となった理由かと思います。
一昔前なら、これが実写や特撮で、カルト映画と呼ばれかねない作品だったはず。
(土俵は違いますが、某「帰ってきたウルトラマン」「ガンヘッド」的な事ですよね、あ、異論は認めます)
映像の進歩とアニメーションの力、様々なものが折り重なって、この映画を謎の改作に仕立て上げているのです。
芸術には時に、こういう面白さもあるのが、とても良いですよね。
まぁ2回も観たいとも思わないですし、40代のおじさんですが、今さら14歳(という設定の中身はオトナ)の
パンチラやブルマ姿やキスシーンを見返したいとも思いませんね。気持ち悪い。
私はとっくに卒業してしまいましたから、まだ卒業する前の、この作品がザクザク刺さる人にはお勧めです。
あのパンチラひとつとっても、「むつみ」というキャラクターの行動とはとても思えないのですね。
冒頭で、ヒロインは主人公をパンチラで釣るのですよね。(台本上は、退屈な繰り返される日常を打破する危険な遊びの延長線上だった…のだが! という)
それでいて、男子としての腕力は期待しているという言い方で、女子を求めてこない都合の良い相手として、
主人公の隠れた好意を意図的に利用しつつ、気を引こうとする彼女の根底には、本人にも本音ともいえない好意があって…
しかしその好意はこの特殊な世界線ゆえに素直に認められておらず…
屈折した結果が彼女をこのようなツン風にしてしまっているのである…(あとはこのツンをどこまでどう引っ張って、どうデレさせるかが山場の一歩手前となるのである…)
ほらね。
作者のなかでこれは矛盾していないのですよ。
しかし一般的に、これは難しすぎて、映像作品のなかで、時系列や演技のなかでこれを説明することはとても難しいですよね。
それに果敢に挑んでいると言えば良い言い方ですが、普通は矛盾し、破綻していると思いますね。
(この矛盾性を、「深く、単純でない人間性を描いている」と捉えられる方は幸福です。そしてある意味貴方は正しい)
そしてそのクッソ面倒くさいヒロインに、なぜ主人公が心惹かれる事になるのか。その気持ちを自認するに至ったのか。
そこがちゃんと描かれてる前に、「現実世界で本来結ばれる相手だから」という文脈を先に見せてしまいますよね。
これもおそらく、作者のなかで破綻していないのですね。しかし客観的に、これでは破綻しているようにしか見えない。
(これが破綻していないと言い張れるのは、もはや昭和の少女漫画の文法ですよね)
じゃあ、もうひとりのヒロイン「いつみ」はと言えば、登場シーンも設定加減も謎で、
ネグレクトの具合も、それによる被害の内容や心の傷も、知能レベルも、年齢設定も良くわからないまま、物語が進みます。
それに伴い、悪役の存在定義も曖昧で、ただの変人狂人という描かれ方をしていますが、
極めて閉じたコミュニティにおける狂信的な指導者先導者として描くには、パンチが足りないというか、
ただの道化になってしまっていますよね。彼の存在自体が良くわからないし、残虐性や専制性を描くには物足りない。
(まさかあれで天〇か総〇を描いたつもりでしょうか? だとすれば畏れ多い)
この物語に必要なのは設定なのであって、人間ではないのですね。
ラストシーンなんてもう完全に謎ですよね。
しかし、作者の頭の中ではちゃんと、「いつみは現実に戻った時点で時空を超える前の年齢に戻っているが、あの世界の記憶もちゃんと残っていて、あの世界はパラレルワールドであると同時に時系列的に破綻のない集約をされていて、それが証拠に工場跡にはその名残のメッセージが残されていて、だから、いつみはこの年齢だが、失恋したというモノローグを発している…ほら、ぜんぶ破綻なく説明されているじゃない!」 となっていますよね。
普通はこれは破綻していて、謎なんですよ。(謎を残して含ませる手法はありますが)作者の頭の中でだけ成立している。(多少マリンエクスプレス的な捻りを利かせたのだと思うのですが)
いやあ、言い出したらキリがないので、このあたりで止めますが、
映画としてのメソッドをちゃんと踏んでいないため、様々な設定や人物や感情が伝わらないのですね。
だがしかし、作者の表現したいことはなぜか伝わってくるのです。理解できますよ。
それはかつて私も中学二年生だったからのでしょうね。卒業してしまった身からしたら、気恥ずかしい、卒業文集のようなものなのですね。
(この作者、ちゃんとしてくれたら化けるのかしら? それとも、ダメになってしまうのかしら??)
これは、作者が渾身の選りすぐりでもって、自分のなかのもっとも良い要素を練り上げて、「名作」を作り上げようとした結果、商業主義の洗礼もあり、「怪作」となってしまったように見受けられます。
ううん、久々に、評価に困る問題作と出会いました。
最後にひとつ。
この映画がいわゆる「失われた30年」を重ねて製作された作品なのであれば、
虚構の世界は消滅して、本来の時間が流れ始めることがトゥルーエンドになる筈ですよね。
しかしこの物語は、虚構の停滞した世界「も」残す事を選択しました。
現代日本にとって、バッドエンドとなる選択肢を残した訳ですよね。
でも、本当、わかりませんよね。
私はこの戦後バブル後の数十年の停滞し安定した日本は、全世界史に残るレベルでの桃源郷だと思っています。
しかし、時間は流れ始めたのですね。
その流れの行き着く果てが正しい選択なのか、それとも、桃源郷に残り続けることが正しい歴史なのか
それは未来の歴史が証明してくれる事なのでしょう。
もちろん、過去も事実もなかったことにはならないし、なのですけれど、やっぱり、作家として
この世界の主人公や生きている人々を、最後に消滅させることはできなかったのでしょう。
その青臭い甘さも含めて、青春の残滓と呼ばせてもらいましょうか。
いやあ、ホント、評価に困る問題作だ。困ったもんだな。
不覚にも涙が
賛否両論のこの作品。
まっさらな気持ちで、感じたまま見ました。
終盤、心は多分25歳位の中学生たちが、もとの世界にいつみを帰そうと頑張る場面から、もうぐっときました。
ラジオから、同じ年代の子からと思われる相談内容に叫んで答えるところでは、強烈なメッセージを受け取りました。その応えが単純であろうと幼いと思われようと、今の社会には必要な考え方だと痛感した次第です。
いつみが、この街に迷い込んでからのむつみの心情を説明する場面では、もう自分の孫と重なりどうにも涙が溢れてきてしまった。
この街は、製鉄所の事故の時に、パラレルワールドに入ったのか、もしかして亡くなっているのかと感じました。
いずれにしても、「生きろ!」というメッセージは、「君たちはどう生きるか」よりも、激しく心に響きました。
中島みゆきの「心音」は、素晴らしいです。
※長文です 評価としては素晴らしい映画の一言につきるのでネタバレ考察
私は監督の前作にして初監督作品からのファンで、前作についても何度も視聴した身である為、岡田麿里監督の作品に共通するテーマはズバリ「変化」だと考えている。
前作は不老の種族イオルフの少女と人間の赤子の出会いをきっかけに、イオルフの不変への安心感、人間の不変への憧れに対する、変わってしまうことへの苦しみ、その後に訪れる幸福を描くもの。
それに対して今回は変わることが出来なくなってしまった見伏の人々の苦しみ、変化への憧れに対して、咲希というただ一人の異物である少女との出会いをきっかけに、変化によって齎される不幸、終わりを描きながら、最後にはそれでも変化することでしか得られない未来を描いている。
どちらにしても同じことだが、変化するということは必ずしも良いことばかりではない。
しかし、変化の先にしかないものも必ずある。
それが二つの作品を通して、私が受け取った岡田麿里監督が伝えたかったテーマだと思っている。
それを踏まえての細かい考察。
■見伏という街とそこに生きる人々について
製鉄所の事故の際に作り出された世界、という認識は作中人物含め視聴者の多くが共感しているはず。
では、実際にどういう世界であるのか。
作中では神の与えた罰によって生み出された世界であると言われ続けるが、それを否定するかのように次々と真相が明らかになっていく。
この世界の外には現実があり、さらにそこにはこの世界で過ごした時間と同じだけの時間を経て変化した本当の人々が暮らしていること。
つまり、この世界の見伏の人々は偽物であり、罰を与えられて閉じ込められたという話に矛盾する。
ではこの世界と人々は何なのか。
これは作中にて登場人物の一人の言葉が鍵になるのだが、見伏の事を愛している神が製鉄所の事故で命を落とした人々、主要産業が衰退して死にゆく街を哀れに思い、生存者を含め街の今をコピーして作り出した幻という答えになるのではないだろうか。
創作としてのメタ視点で話せば、あのタイミングで颯爽と登場して主人公たちを助け、意味深に語ったお祖父ちゃんの考えが、ただの妄想であるわけがなくズバリ制作者の解答であるとする方が理に適う。
その為、この世界と現実の世界には例外を除き繋がりはなく、この世界で消えた人々がどうなったのかは、作中で描写がない現実での生死によるところなので視聴者が推察することは難しい。
製鉄所の事故だけに限れば、関係者は死に、他は生きているだろうが、その後生き続けているかは定かではない。
■では何故人々が消えてしまうのか
神機狼が現実との境界に入った罅を修復する存在であることは間違いないだろう。
しかし、人々に入った罅は一体何なのか、それによって罅が修復されるのではなく世界から消えてしまった理由は何なのか、作中で言われていたように変化によるものなのか。
まず、これが変化によるものという回答は作中から否定出来る。
正宗に至ってはズバリ指摘されているが、他の登場人物に関しても彼らは作中で成長し、変化している。
しかし、彼らに罅は入らず、消えてもいない。
では何故かといえば、これもまた見伏の神の優しさなのだろうと私は考えている。
例えば、作中初めて消えることになった友人の少女の心中を察すれば、彼女はともかくあの場から消えてしまいたい程の羞恥を覚えていたはずだ。
そして、その場をただ逃げ出したからといって、逃げ場のない世界で明日から変わらない生活を彼女は送れたはずもない。
次にDJを夢見ていた友人の少年。
彼は明確な夢を持っていた。
しかし、この世界が現実でないと知ってしまったことで、夢を叶えることは不可能だと思ってしまった。
その上、この世界がいずれ消えると知らされていたのなら、心が折れてしまっても不思議ではない。
そして、主人公の父親。
彼はこの世界の真実を知っていた。
幻であることも、自分が死者であることも。
だからこの世界が存続するようにと咲希を現実に戻そうとし、それを否定された後も世界の存続に努めたが、彼は息子である正宗を見て、この世界の人間であっても変わっていけることを知った。
そして、自分はそれが出来ないと知った時、身体だけでなく、心も死んでしまった。
このように考えると、変わってしまうことでなく、この世界で生きていけなくなることがトリガーになっているように思え、これも神の優しさと考えることが一番しっくり来ると思う。
■咲希とこの世界の今後について
基本的には繋がりのないこの世界と現実において例外的な繋がりを持つ少女、咲希。
繋がりと言っても、本質的には現実の少女である咲希はこの世界にとって単なる異物である。
ただただ何の因果かこの世界に迷い込み、異物であることから罅を生み出していただけで、咲希個人がこの世界に対して影響を与える因果を持っているわけではない。
現実の主人公、ヒロインの娘であるということから登場人物に対する因果があるということで彼らが行動を起こし、彼らの変化とその自覚を促す役割だったことは間違いないが、この世界の存続という意味では主人公の父親が提案していた時点で咲希を現実に帰していれば現時点で問題にはならなかっただろう。
実際には年々この世界も限界を迎えていたようなので、今回の騒ぎで消えてしまった人々は可哀想ではあるが、今回の騒ぎをきっかけにこの世界でも変化し、成長出来ることが分かったこと、そしてそれを知った色ボケ叔父により製鉄所を稼働させることでこの世界を存続することが分かったことは意義のあることである。
そして、咲希がこの世界への因果を持たない以上、この世界は咲希が現実に戻った後も当然存続していくことだろう。
今までとは違い、変化し、成長していきながら。
■最後に
纏めになるが、最後にこの世界は結局何なのだろうと考えると死者の世界とするのが妥当ではないだろうか。
まず肉体が成長しないという点。
特に印象的なことは妊娠中の子どもが生まれないという描写で、この世界が精神的には変化し、成長していける世界であると優しい神様が作り出す世界としてはどうにもしっくり来ない。
その点でいえば死者の世界であるから新しい生命が生まれないと考えるとしっかり来る。
世界的に死者の国は神話などでよく描かれ、日本神話にも黄泉の国として描かれている。
また、現実の生死に関わらず、同じようにコピーとして作り出された街の人々だが、生者と死者のどちらにとってこの世界が重要かといえば死者だ。
勿論、現実の自分とは別人格であるのだからどちらにとっても大切ではあるが、死者には現実の未来がない。
そしてタイトルについて。
まずアリスは分かりやすい。
不思議の国のアリスであり、咲希の事。
そしてテレスに関しては私の中で該当するものがないので、単にアリストテレスの言い換えだと思う。この映画でいえば登場人物たちが生きている主観の世界を現実、その上位世界とも言える現実をイデア界とし、イデア界こそ真の存在であるプラトンに対し、自分たちが生きている現実こそが真実であると捉えたのがアリストテレスである為、この映画に相応しいタイトルではないかと思う。
長くなったが、私の中ではここに書かなかった細かい描写含めこの考察で概ね納得できているので、この後2回目の視聴をして答え合わせをしたいと思う。
勿論、本当の解答は岡田麿里監督の中にしかないので、いずれ知る機会があれば嬉しい。
色々?な事が多すぎました。絵は最高に美しい
さすがMAPPAと言わずにはおれません、なんと素晴らしい背景の描写✨そしてキャラクターも少し古い感じがしますが、それが返ってこの映画にとってもあっていると思いました。
物語は大筋は理解できたけれど、細かいところで?な事が多くて…
あの世界の人たちは幻になってしまったという事ですが、それならなぜイツミが生まれるのか?あの事故が起きなかったパラレルワールドなのか?イツミが生まれるんだからムツミと政宗も生きて大きくなるんですよね?途中でひび割れに吸い込まれてしまったムツミのことが好きなパッとしない女の子は死んでしまったのか?それとも現実世界に戻ったのか?政宗のお父さんが亡くなって、叔父さんが云々の件も必要なのか?後になって考えれば考えるほど謎のことが多くなっていく映画でした。
変化を望まぬ人達の暮らす工場の街。中学生の男女と一人の少女との出会いが、この街と人の運命を変えていきます。鑑賞後の余韻が凄く、好き嫌いが分かれそうな作品です。
岡田麿里さんの脚本作品は、劇場用アニメを中心に
何本か観てきました。秩父三部作など。
一番最近観た「空の青さを…」は良かった。・_・ハイ
この作品も気になっていたのですが、ようやく鑑賞
することができました。
さあ鑑賞
ふんふん
エンドロール…
…
終了… えっ??
う~ん
観た感想を一言で …と聞かれたとして、正直
返事に困る作品を観てしまった感じです。・_・;
あのエンディングをどう受け止めるかで
評価も180°違ってくる作品のように思えます。・_・;
「理解し難い不親切なエンディング」
「色々な想像をさせるエンディング」
天の邪鬼な私は、その両方を感じ取りました。
鑑賞直後は「えっ?」 でしたが、
日が経つうちに「あれはこういう事に違いない」と
考えることを楽しんでいたりします。
※これを書いているのは鑑賞後4日目。
まだ自分の脳内では完結していません。うー。
◇
工場のある地方の街でのお話。
一見普通の街に見えるが、実は普通ではない。
時折、空にひび割れが出来るのだ。
そのひびを、工場から立ち上る白煙が修復する。
煙は白い竜の姿となり、ひび割れた空を直していく。
やがてヒビは消え、人も日常の暮らしに戻る。
主人公は、そんな街の中学2年生。
仲間と共に「普通に」暮らしている。
だが、ここでの普通はやはり普通ではない。
・人は自分が変わらないように務め
・中学生も車の運転ができる
・「自分ノート」に自分を記録しては、自分が
昨日と変わっていないことを確認する
ひとつの街全体が、とても危ういバランスの上に
成り立っているようなのだ。
誰かが「変わりたい」と考えると、世界が揺らぐ。
「消えてしまいたい」と口にした人はひびの中に消える。
◇
この作品の登場人物の数は、多い。
その中でもお話の重要な人物と言えるのがこの3人。
・菊入正宗(中2)
・佐上睦実(中2)そして
・少女(最初は3~4才くらい?)
工場の中、敷かれた線路の中に入り込む正宗。
目の前に小さな女の子が現れる。
話しかけるのだが、通じているのかいないのか…。
そこに現れる佐上睦美。
この女の子の世話をしているらしい。
そして正宗にも、世話を手伝えという。
訳が分からないまま、その後も工場に足を運ぶ正宗。
睦美との仲も、少女との関係もゆっくり進展する。
いつの間にか、少女は大きくなっている。
彼女だけがひとり成長しているのだ。
自分の気持ちを言葉にするようになった少女に
正宗は思いついて名前をつける。
「いつみ」
睦美よりも罪が一つ少ないから「いつみ」。
少女もその名を気に入った様子なのだが
その場に戻ってきた睦美が、名前をつけた正宗を
非難する。
” 私たちはこの子に深く関わってはいけない ”
この少女は、街の外から迷い込んできた。だから…
そういう睦美は、他にも何か大事な事をを知っている
らしいのだが…。
◇
最終的に、正宗と睦美は決断し行動します。
少女を元の世界に戻そう と。それがきっかけで
この街が消滅してしまうのだとしても…。
一方で、この世界が少しでも長く続くように と
少女を元の世界に帰すまいと動く人びとも。。
さあどうなる、この街。そして正宗たち。
とまあ
おおむねこんな感じでお話は進みます。
登場人物の多さと、それぞれの思惑とが複雑に
絡み、理解に頭を使う作品でした。
この街での、正宗たちの生活は生き生きと描かれて
いたと思います。
ラスト近くまでの展開にもリズム感があって良い感じ
を持って観てました。
なので、基本的には観て良かった。
満足です。
ただし、やはりあのエンディング。
考え甲斐があるというか何といいますか
単純に一目瞭然な終わり方ではありません。-_-;
観た人の好み等で評価が分かれそうな作品です。
興味が出た方は、その目でエンディングを
確かめてみて下さい。
決して「つまらない」作品だったとは
思っておりません。はい。・_・
で
◇鑑賞後6日目(わーい)
主題曲の「心音」(by 中島みゆき)。
上映終了後に、年配のご婦人方数名が ” 未来へ~♪” と
口ずさみながら退席していたな と思い出しました。
確かに覚えやすいフレーズです。
歌詞の他の部分はどんな内容なのだろうかと気になり、
Spotifyで聴きました。(歌詞も表示できます♪)
この作品のために書き起こしたのか? と思えるような
内容の歌詞でした。(事実がどうかは確認していません)
何回か繰り返し聴いている内に、こう思えてきました。
# 現実の世界から、まぼろしの街に少女が迷い込む
# 迷い込んだ先は、少女の父と母の育った街。
# その街は、工場の火災事故で大勢の命が失われた。
# その現実を受け入れることの出来ない人達が、
# 閉じた時間の中で毎日を繰り返している。
# それほど親しくなかった中学生の父と母。
# 迷い込んだ少女を現実の世界に送り返そうとする。
# 上手くいけば,少女は未来の現実に戻る。
# その事で、まぼろしの街が消えるとしても…。
こう考えた上での、あのエンディング。
少女は未来の現実世界に戻ったのでしょうか。
◇最後に
タイトルの意味が、未だに理解できません。+_+
まぼろし工場の街。
「アリスとテレス」は「アリストテレス」から。
アリストテレスは古代ギリシャの人。プラトンの弟子。
哲学を始め、様々な学問の始祖のような学者らしいです。
この作品の内容に関わるようなことを、アリストテレスは何か
述べていたりするのでしょうか…。(…不勉強)
公式サイトや他の方のレビューで何か分かるかなぁ。
ということを期待しつつ、レビューを見に行ってきます。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
・_・
・_・
・_・
・_・
・_・
・_・
・∀・
◇以下、おまけ(あれこれと考えてみた推察 @_@;)
以下は削除した上でUPしようと思ったのですが
この作品ほどあれこれ考えた作品も珍しいので
思考過程を書き残して置こうと思って追記します ・_・;
■町の外は「現実」なのか「死後の世界」なのか
この街では、「いつみ」だけが成長を続けていた。
いつみだけが「外からやってきた」からなのか。
ならば「外の世界」とは「生きている者の世界」で
「工場の街」とは「生きてはいない者の世界」なのか
「生きていない者の世界」は、その存在がとても脆く
そこから「消えたい」と願えば「消えて」しまう。
「消える」とは
存在の消滅なのか、現実世界への送還なのか。
前者なら「死」。
後者なら「蘇生」または「神隠しからの帰還」。
そう考えたなら、この「まぼろし工場」の位置づけは
「三途の川」のようなものなのだろうか。?_?
正臣と睦実は「いつみだけ」を外の世界にいける列車に乗せた。
「生きている者」は現実の世界に戻さなければと考えた。
その結果は…
■工場跡の廃墟を尋ねてきた少女は「いつみ」なのか
人の生活の痕跡など、何もない廃墟。
そこをタクシーで尋ねてくる少女が一人。
携帯電話で、「母親」と会話をしている。
この「少女」は「いつみ」なのだろうか。
電話の相手は「睦実」なのかそれとも…。
ああああ また思考のループ。
変化することが正しいという結末でなかったことがこの作品の優しさであ...
変化することが正しいという結末でなかったことがこの作品の優しさであると感じる。
登場人物の生々しさはやはり岡田節が効いていた。つい恥ずかしさに目を背けたくなるものもあるが、そこがまたリアル。中学生ならではの行動(原ちゃんの車のシーン)がまさにそれだ。見ているこっちが恥ずかしくなるところがたまらない。あと園部さんたまりません。セツナレンサ。
成長、変化、進化、を止めた町が舞台なわけだが、登場人物からも見てとれる。特にイツミの幼児のような振る舞いが印象的。人間は学ばなければ人間ではないかのような演出。少しやりすぎな気もするが、あの背格好であの口調だからこそ可愛さもあり不気味さもある。どこへも行けない運転免許の件も好き。
まぼろしの世界が消えるかと思ったが、あえて残したことに優しさが詰まっている。
前に進むためには、自分1人で進むしかない(ムツミ)厳しさを電車の描写で表していた。変化を望むということは現状からの脱却を意味する。未来を掴むためには1人で立ち向かって行かなければならない現実を叩きつける。
しかし、あのまぼろしの世界が消えなかったことで、前に進むことが正しいとは限らないと優しく諭してくれている。止まることもいいんだよと肯定してくれている。最後にムツミが故郷に立ち戻ることでも、たまには戻ってきてもいいと許しをくれる。しかし、まぼろしはまぼろし。いつかは忘れられて消えていく。見ている側が投げかられる大きな問い。
進むための厳しさと、止まることへの許しを与えてくれるそんな作品だ。
個人的には「俺はいいオカンのままでいさせる気はないね」というセリフが一番人間ぽくて好きだった。
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