華のスミカのレビュー・感想・評価
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横浜中華街の歴史から見る日中台の複雑な関係
横浜中華街における、中国と台湾の対立の複雑な歴史を、監督の家族のルーツをベースに個人史と絡めて解き明かす素晴らしい作品。
中国大陸と台湾の対立は、近年国際社会の中でも大きな関心ごとになっており、日本も利害関係においても地政学的リスクにおいても無関係ではない。その中国と台湾、そして、日本の歴史が複雑に絡まり合い、今の横浜中華街が出来上がっている。大陸系と台湾系の対立はこの街にも存在し、学校が分裂、中国と台湾の政治的な動きに常に翻弄されてきた。親戚同士でも政治的な考えが対立することすらある。
今でも横浜中華街には、中国系と台湾系の学校に分かれている。それぞれの学校に通わせるのか、日本の一般の学校に通わせるのかの選択は、中華街の住民にとって大きな意味を持つようだ。
中華街では国慶節などを祝う行事も催される。それぞれの記念日には、台湾系の店は国旗の旗をしまうなど、譲り合いの精神もあり、対立はあっても共存している様子をカメラは映し出す。だから、いつ訪れても、水面下での思想的、歴史的対立はあれど、中華街は平和に見える。しかし、中国と台湾の大陸はどんどん先鋭化している。これからも中華街の平和は保てるのだろうか。
この映画は見せる歴史は間違いなく、日本の歴史の1ページでもある。この歴史を知ることができて本当に良かった。
私、家、町、国家の繋がり。
セルフドキュメンタリーは10年以上前に流行って今でも嫌な言い方をすると濃厚なサブカルシーンでたまに話題になったりしているが、あまり楽しく観たことがない。
そんな、構えを持って観に行ったが、素晴らしかった。自分、家、町、国家のアイデンティティーの葛藤を連ねることで、厚みができている。ビジネス本でもたまに架橋に学ぶ交渉術のような本が出版され、私の実感でも架橋の人はビジネスに強いと思っているが、このような広がりのある考えをするから、強いのではとさえ思った。ある時代の終焉を静かに見届ける聡明な感覚が素晴らしい。今後の学習教材資料の定番になりそうな気がする。
これは、個人の歴史の集合体
横浜の華僑の台湾系、大陸系の対立の歴史をたどりながら、視線はあくまで個人の歴史をたどる。監督自身の父を起点に、おじ、祖母、そして父の恩師、中華街の顔役。個人の歴史に徹することで、政治に巻き込まれない歴史記述になっている。
印象に残ったのは、蒋介石も毛沢東も食べ物を持ってきた人として、支持されていた事。結局、そこなのかも知れない。
こんな映画が観たかった!
日本最大とはいえ行ってみると決して広大ではない横浜の中華街にある、台湾系と大陸系(中国系)2つの中国学校の話は以前新聞で読んだことがある。
記事によると驚いたことに日本人の入学も受け入れ、実際に毎年希望者がいるというので興味深かった。
その2つの中華学校を中心に語られる中華街の歴史と関係者の証言によるドキュメンタリー。
中華街というと中華人民共和国(大陸系)のイメージだったが、中華民国時代(国民党政権)に整備された街である為、実は今も台湾系住民が多いというのが驚きだった。
近々、中華街に行ってみよう!
横浜市民なら知っててもいいよね
私は横浜市民ではありません。
一昨年、神奈川県立歴史博物館で横浜の浮世絵に関する展示がされていました。開国後には写真はありましたが限定的であり、その代わり浮世絵が横浜の街の成り立ちを克明に記録していました。外国人居留区や遊郭が何度も移動したり、元町がどうして元町なのかとか、とても興味深かった。しかし、なぜか中華街に関する絵がほぼなかったような気がします(図譜を買ったのでチェックしなくては)。このため、中華街の成立には興味がありました。
しかし、この映画は本当は個人的なルーツを探す旅であり、華僑の問題は背景に過ぎないのではないかと感じました。個人的なことが面白いと感じるか、そうでないかにより本作に対する評価が分かれると思います。ある日自分がハーフであることを知ったら、びっくりするでしょ?そんなこと疑って見なければ調べないもの。親が早く亡くなっってると、もう闇の中。そんなにドラマチックな展開はありませんが、中華街のいろんなところに関係者がいて、それを辿って行くんですよ。私は大好物です。(うちの子は所謂ふつうの日本人ですが、母親が米国籍を持っていたので、お前たちもハーフだと言ってます。)
中華学校が2つあるのも知ってました。自分は日本で好きに自由主義の中で生きているのに毛沢東の写真を掲げていたり、今は自由主義側として対立しているのに最近まで独裁制だったり、本当に国なんてどうでもいいと思っちゃいます。中華街の住民の中には何十年代も日本にいるのに全く日本語喋れない人が結構たくさんいます。安全で貧困がなければ、国籍なんでどうでもいいんじゃないですかね、ドラゴンボールでもブレードランナーでも、国境とか言語とかもう関係ないでしょ、未来では。
横浜は間違いなく近代化の最先端の街でした。せっかく、横浜市民なら横浜のことをもっと知ってほしいです。
「歴史だよね」
横浜中華街。
外から見れば、エキゾチックな“美味しい空間”にすぎない。
しかしそこで、台湾系と大陸系(共産党系)の対立があったとは、ほとんど知られていないはずだ。
そうだったのか、と非常に興味深く観たドキュメンタリーだった。
構想から10年を要した作品だそうで、この間に亡くなった証言者もいるから、制作のタイミングとしては良かったのだろう。
1952年の「学校事件」以来、両派が分裂して、「関帝廟」のウラにある「中華学校(のちに中華学院)」と、大陸系の「山手中華学校」(“山手”と言ってもJR石川町駅の隣だが)ができたという。
興味深いのは、台湾系と大陸系のどちらの学校に行くのか、あるいは日本の学校やアメリカンスクールに転校するかの選択は、必然的な理由がなかったらしい。
要するに“思想”や“イデオロギー”の問題だったようだ。(※)
証言者は、「歴史だよね」とか、「俺は共産主義はキライだから」とかいう感じで、けっこうサバサバしており、深く悩んでいる様子がない。
((※)ただし、生臭い話には口をつぐんでいるだけで、本当は人間関係や経済面での理由を持つ人もいるのかもしれない。)
そしてそこには、“教育”が重要な役割を担っている。
例えば、「山手中華学校」で育った人間は、毛沢東を「貧しさから中国を救って、独立を成し遂げた」と称え、「オヤジのような存在」と言う。
ただ、残念ながら本作品には、監督の父親を含めて、大陸系の証言者がほとんどで、バランスを欠いている。
台湾系の証言者は、老齢の反共主義者である魏さんだけなので、「中華学院」側の意見は聞くことができない。
榎本武揚にかけて、面白い“例え話”が語られる。
北海道に逃げた江戸幕府が「北海道共和国」を樹立して独立したら、あなたはどっちにつくの? というのだ。
現代的なイデオロギー対決ではないにせよ、確かにそういう問題なのである。
4代目の「関帝廟」の再建を機に、台湾系と大陸系の和解は進んだという。
ただ、台湾人にとっては、戦前の大陸は「オールド・チャイナ」であり、自国は「台湾」であって、もはや「中国」ではないという認識のようだ。
一方で、「一つの中国」を主張する大陸系がいる。
このストーリーには、いまだ終わりが見えないのかもしれない。
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