「恐竜少年の恐竜愛を踏みにじるのは本当にこれで最後に、と願う。暴走する人間のテクノロジー批判は良いが、悪を一個人・一企業に集中させる話は進歩がない。グラント博士とサトラー博士の再登場で★一つオマケ。」ジュラシック・ワールド 新たなる支配者 もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
恐竜少年の恐竜愛を踏みにじるのは本当にこれで最後に、と願う。暴走する人間のテクノロジー批判は良いが、悪を一個人・一企業に集中させる話は進歩がない。グラント博士とサトラー博士の再登場で★一つオマケ。
①恐竜少年(もう老年の入口に立っておりますが)の夢は、死ぬまでに一度でいいから生きている恐竜をこの目で見たい、ということであった。従い、恐竜少年の愛読書は「恐竜図鑑」と共に「世界のUMA(未確認生物)図鑑」であった。恐竜の生き残りではないかといわれるUMAである、ネッシーに会いたい、モケーレ・ムベンベを、マレーシアのタセク・ベラ湖の怪物を、オボコボを、シャプレーン湖のチャンプを見たい等々(クッシーは兎も角イッシーやモッシーは居てもデカイ魚だろうから 興味は薄い)恐竜少年は奈良の片田舎から遠い世界の様々な湖に夢を馳せたのであった。②時が経ち、自分の金で本を買えるようになった(①の本は親やお祖母ちゃんに買って貰ったので)恐竜少年は当然の事ながら恐竜に関する本を買いまくった。恐竜に関する研究は新しい化石の発見がある度に著しく進み、新説が次々と唱えられ、最新の恐竜本が続々と刊行され、恐竜少年の財布を軽くしていった。③そして恐竜少年が少年の頃に親しんだ旧態依然とした恐竜像はドンドン修正されて行った。恐竜は陸棲生物であり基本的に陸でしか生活しなかった。水の中に棲む首長竜や魚竜、空を飛ぶ翼竜は恐竜ではなく同時代を生きた別系列の爬虫類であることを知り、モササウルスやティロサウルスは海に棲んでいたでっかいトカゲでしかないことも知った。恐竜少年の少年時代の夢は儚くも消えた。ネッシーやオボコボ等々湖に棲むUMAは恐竜ではなかったのだ(ネス湖の成り立ち等周辺知識が増えると、いまではネッシーは首長竜ですらないとわかってきた。ムケーレ・ムベムベは辛うじてもしかしたら長い年月の間に水中生活に適するようになった竜脚類ではないかという薄い可能性はあるが)。④そこで登場するのがマイケル・クライトンの『ジュラシック・パーク』。2億数千年前~6500万年前の琥珀の中に閉じ込められた蚊が吸っていた恐竜の血から恐竜のDNAを取り出してクローンを作るというクレバーな発想。但し、取り出せたとしてもDNAは破損されているので破損された部分を近縁の鳥やカエル等のDNAで埋めたので純粋な恐竜とは言えないが、それでも恐竜少年には"おお、そういう方法も有るのかもしれない"と興奮させるだけのものではあった(直ぐにDNAはそんなに長い期間壊れずに残ることはない、と学会からあっさり否定されましたが。)小説も当時の最新の恐竜学の情報を取り入れていたし、恐竜の造形や筋書きに強引なところもあったが、恐竜少年を夢中にさせるほど怖くて面白かった。※最近、恐竜の化石自体にDNAが残っていたというニュースがあったが本当か?)⑤"ああ、もう生きている間に生きた恐竜を見ることは出来ないのか😢"と落胆した恐竜少年に20世紀の末に(まあまあの)朗報が!始祖鳥が鳥類の祖先ではないかと昔から論争があったが、鳥類が小型獣脚類の直系の子孫であること(骨格が非常に似ている。羽毛恐竜の化石の相次ぐ発見と、そまの殆どが小型獣脚類である)が学会の通説となった(分類学で言うと恐竜上目━竜盤類━鳥類、となるのだ)。今や恐竜を見たいと思ったら、窓の外を眺めてスズメやカラス、シロサギ、渡り鳥のカモやシギを見れば良いのだ。鳥類のティラノサウルスに当たるものを見たければ動物園に行ってワシ類を見れば良い。恐竜少年は遂に幼少からの夢を叶えましたとさ。ちゃんちゃん❗⑥で、ここからが映画の話。恐竜少年はモチロン古今東西の恐竜映画やUMA(恐竜型に限らず)映画を観まくった。ただ、これらの映画に出てくる恐竜は全て旧態依然とした昔の再現像ばかり。そこに満を持して『ジュラシック・パーク』がスピルバーグによって映画化された。内容は原作を十分の一くらいにスケールダウンしていたし(まあ、原作をそのままに映画にしたらとんでもない製作費が掛かったろうから仕方がない)、ちょっと考えたらオカシイとわかる台詞やシーンもあったし、ショックやスリルを盛り上げる為に無理繰りな描写もあったが(『ジョーズ』と同じ手法)、何よりCGで(あくまで当時の最新の恐竜学の情報で再現された想像の姿ではあるが)恐竜がスクリーン一杯に映し出された時(特にブラキオサウルスとティラノサウルスの最初の登場場面)は流石に恐竜少年の心は感動で震えた。⑦しかし、この後から「ジュラシック・フランチャイズ」は酷くなっていく。スピルバーグが監督したとは思えぬ愚作『ロスト・ワールド』(『キングコング』をパロディったような後半のティラノサウルスをLAに運ぶくだりは噴飯もの)は兎も角、原作が持っていたセンス・オブ・ワンダー感は薄まり、恐竜少年の恐竜愛を踏みにじるような映画ばかりを作り始める。3作目の『ジュラシック・パークⅢ』は怪獣映画として見ればコンパクトに纏まっていて悪くないが、恐竜映画として見れば噴飯もの。スピノサウルスがティラノサウルスを倒すなんてトンでもない。図体はスピノサウルスの方がでかくても、歯の大きさと機能、顎の力とが全然違う。また、体重が数十キロしかないと想定されるプテラノドンが自分と同じくらいかそれ以上のものを掴まえてあんなに軽々と飛べる筈がない。⑧これを言うとジュラシック・フランチャイズの世界観を根底から崩してしまうが、やっぱり言ってしまおう。2億数千万年前~6500万年前に生きていた生物が果たして現代の地球環境のなかで問題なく生きていけるのだろうか?(当時は現代より空気中の二酸化炭素が多くて酸素が少なかったと言われている。恐竜に気嚢が発達したのはそのせい。恐竜の子孫である鳥は気嚢があるから空気の薄い高空でも飛べるのだ。酸素は実は生物にとっては毒物なので、酸素の少ない世界で生きていた恐竜は当時より酸素の多い世界では生きづらいか長生き出来ないのではないか。)この辺りのフォローがジュラシック・フランチャイズの世界には全くない。それに三畳紀の恐竜もジュラ紀の恐竜も白亜紀の恐竜も一緒くたにして同じ場所にいれているのもおかしい。それぞれの時代は環境も植生も違うから、その辺りも考慮しなくちゃ。⑨他のレビューでも書いたが海棲爬虫類であるモササウルスのDNAは何から採取したか全く説明なし。海の中に蚊がいるわけないし。それに脳ミソがちっちゃく凶暴な海トカゲにシャチのような曲芸を仕込めるわけないし。あんなに観客を近づけて大丈夫か?と心配したくらい。映画に彩りを加えたいからって余りに滅茶苦茶は止めて欲しい。どうしても海棲爬虫類を出したかったらデカイ海トカゲじゃなくて、せめて首長竜のレオプロウロドンにして欲しかったね。プレシオサウルスか魚竜のイクチオサウルスでも良かったけど。しつこいけどプテラノドンがまた大人の人間を掴まえて飛んでいたし。⑩では本作も含めて『ジュラシック・ワールド』三部作のええ加減なところを列挙しよう。A.そもそもヴェロキラプトルはあんなに大きくない。今や小型の獣脚類は殆ど羽毛が生えていたというのは恐竜学の常識になりつつあるのに30年前の映画での造型に固執している。何年後か十何年後かの恐竜少年たちが見たら笑われそう。それに、頭の良い恐竜にしたかったらトロオドンくらいにしておいたら良かったのに。B.恐竜は化石から復元した骨格を見れば分かるように、人間や他の哺乳類と同じく脚が身体の真下から出て身体を支える直立姿勢を取る唯一の爬虫類である(他の爬虫類と最も違う点)。しかし、特にブルーとその子供は脚が身体のやや外側に付いていて上から捉えた走る姿はややトカゲのように蛇行気味。そうではなく真っ直ぐ走る筈である。C.アトロキラプトルはヴェロキラプトルと同じくドロマエロサウルス科に分類される小型獣脚類であるが、ヴェロキラプトルと同じく本物はあんなに大きくないし羽毛があったと考えられている。第一バイクと同じくらいのスピードで走れるなど検証されていない。スリリングなシーンにするためのでっち上げで子供たちに誤解を与える描き方である。D.ピロラプトルはジュラシック・フランチャイズで初めて羽毛恐竜として描かれたのは喜ばしいが、これまた他のドロマエロサウルス科の恐竜と同じくあんなに大きくない。それにあんなにスイスイ泳げるとも思われない。そうであれば他のドロマエロサウルス科の恐竜も泳げた筈。これまた子供たちに誤解を与える。E.ディロフォサウルスが毒を吐くのは一番目の『ジュラシック・パーク』をなぞったんだろうけど、ディロフォサウルスは逆にもっと大きいし、もともと毒を吐くというのも確かではなかったし、その後の研究で顎の力が当初思っていたより強いことが分かったので、更に毒を吐いただろうと考える必要も少なくなっている。F.バリオニクスは基本的に魚喰い恐竜で小型の恐竜を食べたり恐竜の死体くらいは啄んだりしたかも知れないが、果たして生きた人間を食べることが出来たかどうか。他の大型獣脚類にもいえることだが、恐竜にとって果たして人間は美味しいものなのかどうか。恐竜の胃液がどれ程強力か分からないが、真っ裸の人間ならともかく服や装身具は上手く消化されるのだろうか。胸焼けするか腹壊すんじゃないか、といつも心配になります。それとも「ガイラ」みたいに服だけ後で吐き出すのかしら。(因みにホオジロザメにとって人間は好物ではありません。脂肪が少ないので美味しくないらしい。脚を食いちぎった後に吐き出すこともあるみたい。つまり人を好んで襲う人食いザメなどいないということです。これは『ジョーズ』が世界中の人間に与えた誤解。映画の罪過の一つの好例ですね。) G.モロスも逆にもっと大きいし、オビィラブトルも最初化石が卵と一緒に発掘されたので“卵泥棒”という悪名をつけられましたが、その後の発掘でその卵は孵化させるために抱いていた自分の卵だと分かり汚名は注がれました。H.テリジノサウルスのでかい手は未だにその使い道が解明されていないし、基本植物性か雑食性の恐竜なので(つまり大人しい)、クレアを襲ったりティラノサウルスとギガノトサウルスとのバトルに参加する筈もない。それに縄張りを荒らされたり、獲物を取り合ったりするなら兎も角、大型獣脚類は遭遇したら闘うよりお互いを避けるのではないかしら。I. ケツァコルトルスも最大級の翼竜ではあるが、他の翼竜と同じく飛びやすくなるために骨が軽くなったり翼の皮が薄くなったりしているので(つまり非常に華奢)、自分より大きな軍用機を襲うなどあり得ない。ついでにいうと、あの状況で一人だけ脱出させるのは(一瞬、オーウェンとクレアの別れが感動的ではあったが)設定上外には翼竜がウヨウヨしているし、着陸場所も肉食獣脚類がいる筈のところだから、あの判断が正しかったかどうか疑問。J.なんとディメトロドンが登場。ディメトロドンは恐竜が出現するより更に数千万年前に地上に出現した爬虫類ではなく我々哺乳類の御先祖様に近い生物である。よくDNAを採取できたな。また本作の描写でおかしいのは、ディメトロドンの大きな特徴である背中の帆は、太陽光線を集めて身体を暖めるのが目的か、異性を引き付ける装飾が目的か、と論争されているが、どちらにせよ日の下にいることが必要であのような暗い坑道に潜んでいるのは変。お化け屋敷のオバケじゃあるまいし。⑪最後に本作の映画としての批評。クローン人間であるメイジーと、遺伝子操作から生まれた恐竜たちと、これまた遺伝子操作から生まれたイナゴの3つの話が錯綜して散漫になってしまった、というより巨大イナゴ(一度見てみたい!)の映像がインパクト強すぎて本来は幹である残りの二つのテーマが霞んじゃったくらい。サントス役のディーチェン・ラックマンは最初変な顔(失礼!)と思ったが、あのインパクトのある顔は映像俳優としては得かも知れない。癖のある役の多いサム・ニールだがグラント博士役は本来の人の良さと茶目っ気を感じさせて好き。メイジーと母親との挿話は感動的であるようで倫理面から見れば科学技術の使い方として問題があるのでは?但、これが実用化されれば男は要らなくなるわけで世界は平和になるかもね☺️
もっと書きたい事があるのに字数が尽きてしまった。“共存できる”なんて綺麗事言ってたけど、人間だけでも将来の食料不足が問題になっているのに、そこに恐竜が加わったらどうなる?竜脚類があの巨体を維持する為には毎日どのくらいの植物が要ることか。それに、脳ミソがちっちゃくて食うことだけが旺盛な巨大海トカゲとクジラ類とが共存できるなんてあり得ない。子供に夢を与えているより子供を騙していることになるぞ。