劇場公開日 2022年4月1日

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「どうしてこっちが悪人扱いされるの?の理不尽」英雄の証明 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0どうしてこっちが悪人扱いされるの?の理不尽

2024年1月8日
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鑑賞方法:VOD

アスガー・ファルハディ監督は人の中にある善悪、悪意、嫉妬、羞恥、見栄、など、誰にも多かれ少なかれ存在する心理を紡ぎ出し組み合わせ物語を作る。
特別ではない人々の特別ではない物語を巧妙に重ねることで特別な物語かのように育てる。
些細なことから生まれる綻びに焦点を当てたミニマムさが魅力だ。

他のファルハディ監督作品にもいえるが、登場キャラクターのちょっとした真摯さの不足が物語をややこしくする。
ある意味で、キャラクターがミスをしたといえるわけだが、そのミスは誰もが経験するような小さなこと。
これは映画なので、たまたまそのミスが取り上げられ複雑な問題を生み出す。
それは、観ている私たち全てが直面するかもしれない普遍性を内包している。だからこそ引き込まれるし、問題がどこにあるのか見定められない苛立ちも感じるのだ。
知らず知らずのうちに自分の中で折り合いをつけている、どこにでも転がっている理不尽さを突きつけられて、嫌なこと思い出させてくれたなと、不快感を感じるとともに、よくまあうまいこと掘り起こしてくるなとアスガー・ファルハディ監督に感心してしまうのだ。

本作は、悪人がちょっと良いことしたら実はあの人は「良い人」だ。善人がちょっと悪いことしたら実はあの人は「悪い人」だ。の、漫画やドラマ、まあ現実にもあるパターンの作品だったかなと思う。
一瞬だけ見えた「善意」「悪意」で、それがその人の本性であるかのように決めつける現象。

人は、本性を隠して偽りの姿で生きていると思いたい生き物なのだろうか。
まともに考えれば、一瞬だけ見えた「善意」「善意」のほうが気の迷いであり、本質であるわけがないと分かるはずなのに。

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つとみ