「オスロで暮らす30歳のユリヤ(レナーテ・レインスヴェ)。 成績優秀...」わたしは最悪。 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
オスロで暮らす30歳のユリヤ(レナーテ・レインスヴェ)。 成績優秀...
オスロで暮らす30歳のユリヤ(レナーテ・レインスヴェ)。
成績優秀で、大学では医学を志したが、詰め込み教育と遺体を扱うのに慣れず、心理学へ転向。
ここでも詰め込み教育に慣れず、若い講師と付き合っていたけれども、別れて転職。
カメラマンを目指すが、本気かどうかはわからない。
ある日、年上のグラフィックノベル作家アクセル(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)と知り合い、同棲を始めるが、彼に誘われて行った友人たちとのファミリーパーティでは子どもや他のカップルに辟易。
アクセルも急に「子どもが欲しい」と言い出す始末。
アクセルとの間にも倦怠期が訪れたある日、見知らぬパーティに無断参加したユリヤはコーヒーショップで働く青年アイヴィン(ヘルベルト・ノルドルム)と出逢う。
彼もまた、環境保全に傾倒する彼女と関係が冷えつつあった頃。
すっかり意気投合、ほとんど不倫寸前までいったふたりだが、どこかに歯止めはあったようで、その日は別れたのだが・・・
といった物語で、序章・終章と12の章との章立てスタイルの映画は、ここいらあたりが中盤。
前半、「こりゃまた、こじらせ女性の困った映画を観ることになるのかしらん」と恐れおののいたけれど、アイヴィンと知り合ったあたりから俄然面白くなります。
たぶん、環境保全にのめり込んでいくアイヴィンの彼女の様子が可笑しく、覚悟も信念もないユリアとの対比が際立ってくるからでしょう。
まぁ、アイヴィンの彼女の行動は、日本人からみると過激で行き過ぎなのかもしれませんが、北欧の人々からみると「最悪」ではないのでしょうか。
後半に行くにつれて、ユリアが「最悪」なのがわかってくるのですが、それはまさしく、状況に掉さすだけの才能も才覚もありながら、自分の未来に対する「覚悟」や「信念」がないこと。
彼女を取り巻く状況は最悪ではないのですが、信念や覚悟がない生き方こそが「最悪」。
そんな状況を変える転機がユリヤに訪れます。
アイヴィンと関係を続けるうちに予期せぬ妊娠をしてしまうのです。
ユリヤ本人が変わる前に、状況が彼女を変えようする。
さらに、別れたアクセルが末期の腎臓がんだということを知らされ、死んでいこうとする元カレを目のあたりにする。
終盤の決着がいいです。
凡作ならば、アクセルの死とユリアの出産というわかりやすい対比・希望のようなものを提示するところですが、運命は皮肉。
出産を決意したユリヤが流産してしまう・・・
ここを静的に抑えた演出でさらりとみせて、終章へとつなぐ演出に好感が持てました。
短い終章では、彼女の人生に対する覚悟が描かれていて、ほっとしました。
そういえば、アクセルと別れる際にユリヤが言っていた台詞、「あなたと一緒にいると、わたしは私の人生なのに脇役になっている」という台詞、その答えが終章に描かれているように感じました。
秀作。