コンパートメント No.6のレビュー・感想・評価
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いちばん映画らしい映画ですかね
まったく同じようなコンパートメントの列車に乗ってロシア語に囲まれてウズベキスタンを旅したことがあるので没入感が半端なかった。時代はひと昔前の話ですね。
最近では見知らぬ男女がいっしょのコンパートメントに、なんてあるのかな。ともかく旧時代は映画的出会いに溢れてる。それだけでなく、タバコ、ビデオカメラ、カセットテープ、公衆電話、人をくっつけて離すガジェットが激減した現代のつまらなさ、、というか過去への郷愁に溢れている。
映画館が同時進行の旅行体験みたくなるのもやっぱりいい。遠のく町の灯りの侘しさみたいなものがぐっとくる。ただ出会って別れる、だいたい2時間の映画でいちばんいい設定ですね。
言語化すると陳腐になる
映画館で鑑賞。
この映画が好きになりすぎて言葉にするのが難しいし、言語化すると陳腐になるだけな気がするような、すばらしく映画らしい映画だった。
ラウラとリョーハに生まれた絆を恋やラブストーリーとゆう言葉では表現してほしくなくて、あらゆる暗い問題に塗れた現代にとっての希望や人類愛のような、ひらけた明るい物に感じた。
この映画がウクライナとロシアの戦争の前に撮り終わっていて、公開されたときには
戦争が起こってしまっているのが悲しい。
描かれてる時代は違うが、この戦争に送り込まれている人はリョーハの様な人なのではと思わずにはいられない。
日常に絶望したときに、心の支えになるのが映画や本や漫画などの文化的な物だと思っている自分にとって心の深いところを揺さぶられる作品だった。
映画を観た映画の帰り今まで観た映画のあらゆる寂しいさや孤独なシーンをなんだか思い出してしまって、私はこうゆう孤独な映画が一番好きなのかもと思った。
好き嫌い分かれるかな。
あらすじとレビューでほぼほぼ全編を網羅。
起伏が少ないというか、だから?の先がない。他の方が何を見せらてるのかいう感想を述べていたが分からなくはない。もどかしいともまた違う…今みたいに直ぐにSNSでつながれる時代じゃないからこそ関係性。
ロードムービーでもあり青春映画でもある。
ウトウトしたけど嫌いじゃない。
ロシア人青年に感情移入するとダメージでかくなるストーリー
リョーハ役の人見覚えあるなと思ったら、インフル病みのナチスバスターズの人だった。そら見覚えありますわ。
フィンランド人女子×ただ寝台列車の個室が一緒になっただけのロシア人青年のビミョーな距離感を楽しむお話。
なお、フィンランド人女子の主人公がレズビアンであることと、ロシアは同性愛には滅法厳しい(←とは言っても今作でその描写はない)というベースを叩き込んでから観ると、思い入れもまた違ってくる気がします。ロシア人青年に感情移入する人は、多分、観ながら頭掻きむしって絶叫したくなるかと。
冒頭の殺伐さが嘘のように、とってもほっこりするラストでした。いや、やってることはとんでもないんですが。
999を想起させるロードムービー&ラブストーリー
1990年代、ソビエト連邦が崩壊して現在のロシア共和国が誕生して間もない時代のロシアを舞台に、フィンランドからモスクワに留学していた主人公のラウラが、ロシア北部の街・ムルマンスクの郊外にある岩面彫刻であるペトログリフを観に行くため、何日も夜行列車に揺られて旅をするというロードムービー、かつラブストーリーでした。僅か20~30年前の時代設定なのですが、夜行列車はもう少し前の時代の雰囲気で、約1500キロ離れたモスクワ→ムルマンスクを、3~4日掛けて移動します。途中駅のひとつでは、列車が一晩駅に停車するため、ラウラは偶然同じ客室に乗り合わせたロシア人青年・リョーハと、リョーハの知り合いの家まで行って宿泊します。この辺りの雰囲気は、まさに「銀河鉄道999」そのもの。いろんな出会いがあり別れがあり、トラブルも発生する。「999」と違って、本作の車掌さんは当初かなり共産官僚的でサービス精神皆無でしたが、時間が経つにつれて徐々に人懐こさが現れて来たりして、もう「999」の世界を思い出さざるを得ない流れでした。
また特徴的だったのは、殆ど音楽が流れなかったこと。この辺りはゴダイゴやささきいさおの歌う名曲が象徴的だった「999」とは対照的でしたが、音楽がない替わりに、列車の動く音だったり、車のエンジン音だったり、吹雪や荒波と言った自然の音が、いわばBGMとして本作の骨格を創っていて、それがロシアの寒々とした冬の景色や登場人物たちの鬱屈とした心情と見事にマッチしていて、実に見事でした。
さらにラブストーリーとしても、美人の女性大学教授であるイリーナに実質的にフラれたラウラと、粗野で下品で子供っぽくて無教養なリョーハが、数日間の列車の旅と、さらには岩面彫刻・ペトログリフを見に行く過程で心を通わせていくに至るまで紆余曲折とした物語の流れは、非常に上質であり、唸らせる創りでした。
そして何より良かったのは、登場人物たちの表情や態度。心の内を、言葉だけでなく表情や態度で繊細に表しており、変にワザとらしいこともなく、自然とラウラとリョーハの心情の変化が伝わって来て、こちらも心揺さぶられました。
また、時折表現されるコメディチックな演出も、緊張と緩和という意味で大変効果的だったと思います。
ただこんな素晴らしい映画なのですが、残念ながら2022年2月にロシアがウクライナに侵攻し、今でも戦禍が続いています。本作は、フィンランド、ロシア、エストニア、ドイツの4か国の合作ということになっていますが、製作されたのが2021年だったことから、普通に完成したものと思われますが、時期が少しずれていたら、本作の製作は難しかったのではないかと思われます。ご存知の通り、ウクライナ侵攻後、従来中立国の立場にあったフィンランドはNATOへの加盟を申請しましたし、NATOに加盟しているドイツやエストニアは、ロシアと対立関係にあります。一日も早く、こうした作品が共同で製作できる平和が戻ってきて欲しいと願わずにいられません。
最後は少し映画の話から逸れてしまいましたが、本作は今年観た映画の中で一番面白かったので、評価も★5としたいと思います。
今は亡き………
凄く良かったわけではないけど退屈でもなく、なんだか誰かと語りたい!!って訳でもないけど、感想を言い合いたい映画かな。
彼女は自分を持った人が好きなのかな?同性愛者って訳でもないのかも。自分に自信がないから確固たる自分を持ってる人に惹かれてしまうのかも。リョーハは賢くないし幼いし粗野だけど、なんか確固たる自分を持ってそうだもんね。
バックパッカー羨ましい、と思った。
でも今の世の中あんな風に他人と交流できるかな。世の中のせいだけじゃなくて自分のせいでもあるけど、スマホいじって、イヤホン耳に入れて他人と交流しなくても楽しく生きていける世の中。
他人の部屋に堂々と居座る親子とか、親切にされたのにもの盗んでく男とか、なんか……酷いながらも酷すぎない人との触れ合いがある時代だったんだろうなぁ。と現代人?の私は思いました。
家テレビで見たらスマホいじってしまうのかも。映画館で見る映画。特別綺麗な景色が出てくるわけでもないのだけれど。静かに退屈にゆっくり観たい映画かな。
もはやリョーハがいなくなってからペトログリフどうでもよくなってるや...
もはやリョーハがいなくなってからペトログリフどうでもよくなってるやん。せっかくここまで来たんだからと意地もありつつ、もはやリョーハに会いに行く目的にすり変わってる。
目的地についてからも肝心のペトログリフあまり映らないし、それはどうでもいいという様子のラウラ。
旅が目的とかではなく、出逢いとか癒しとか何が大事か気づくのが目的の旅だったということで
最強に愛おしい2人。
なんだか青春映画のような気がする
見終わってからしばらくして、これは青春映画だったのだと思った。最後の手紙に書かれた内容がそう思わせたのだろう。あの感覚は、私のような高齢者にはない。不器用な若い男女の思いやりの形である。
その他
・ロシアはナチを撃破したことをこの上ない誇りにしている(2千万人以上の死者を出した)。これをプーチンに利用されている。
・現在ロシアとフィンランドは敵対関係にある。
・「中国人」は文字通り中国人を指すのか。あるいは東洋人の代表として言っているのか。なんとなく、中国批判が入っているようには感じたが。
最後に、シネリーブルにしてはよく入っていた。
ペトログリフ
レスビアンのはずの主人公が、男性に恋してしまうが、男性は見た目ほど荒々しくなく、性に対して消極的。男性は子供っぽくも見えるが、しっかりしている。性を求めて、さすらう女性の生きざまが痛々しくて、心を打たれる。
主人公がフィンランド人で、男性がロシア人の労働者、主人公の恋人だった大学教授はロシア人のインテリ。労働者とインテリの対比が戯画的だがそこが面白いし、ロシア人のイメージも戯画的で、そこも面白い。その面白さに気を取られてみていると、この程度の面白さでカンヌで賞がとれるのか?と興ざめしてしまう。列車の中だけの狭い空間の話で、映画の質に疑念を抱く。
ところが、主人公が男性に積極的になるのに、男性がその欲求に答えないあたりから、痛切さが胸を打つ。男性は主人公の望みを満足させるために力を振り絞り、ペトログリフを見せる。でも、ペトログリフの問題ではない。最果ての氷の海に男女2人。
主人公は男性と別れて一人になって微笑む姿が痛々しい。でも、ロシア人の男がプーチンに似てるのは偶然ではなく意図的に見えるので、0.5点減点。
静かすぎるロードムービー
一人旅で乗った寝台列車で同室となった人の態度が気にくわないって最悪だ、そりゃ食堂車に逃げ込みたくなるのもわかる。ここから同室となった男性の印象がどのように変わっていくのか、そして主人公の態度がどう変わるのかを楽しみにしていた。
ロシアを走る寝台列車は見た感じ少し大変そう。別の客が自分の部屋に勝手に入ってきて居座ったりする。駅での停車時間も一晩だったりする。日本とは大違い。わずかながらトラブルもあったりしてロードムービーの形式。でもとても静か。2人の心の交流も静かに徐々に進んでいく。気づいたら親近感がわいていたくらいの遅さで。
最後にものすごい感動が待ち受けているわけではなかった。何かが始まるような終わり方でもない。でも、そんなに悪い印象はない。たぶん2人の何かが変わった感じがするからだと思う。ただ、自分には少し合わないなと感じた。あくまで個人的感想。
それにしても古臭い映像だなと思っていたら、少し前の時代を舞台にしていることに気づいた。「タイタニック」の話題が出ているから1997年以降となるが、それにしては登場人物が携帯電話を使うシーンがない。恋人への連絡が公衆電話だし。東欧での携帯電話の普及ってそんなに遅かったか?そんなことないよねー。いずれにしても、便利すぎる世の中でドラマを作り出すのは少し難しいのかもなと思ってしまった。
旅の重さ
恋人がついてこず、半ばヤケクソで飛び出した主人公が、だんだんと視界が広がっていく様子がいい。ぼくらの住むこの世界ではロシアも含めて旅に出る理由があり、でも旅情に浸るどころか同乗者に楽しみを汚され、そしてかつての恋人との距離が遠くなるのに反比例してだんだんおっさんに心を開いていくサマも含めて、いやこれこそが旅情の結露という気さえしてくる。あの閉塞感。あの密度。
ビデオカメラの広角の狭い視界から、目の前に完全に広がったラストの風景への道程に、もしかしたら目の前の人ともう会えないかもしれないというスマホもSNSもなかったあの頃特有の感情がたっぷりと詰まっています。
【”見知らぬ若き男女が、極北に向かう寝台列車の個室で出逢い・・。”粗野だが実直なロシア男性とフィンランド女性が、最悪の出会いから徐々に惹かれ会う過程を抑制したトーンで描いた作品。】
- モスクワで学ぶフィンランド人留学生ラウラは同性の恋人に旅行をドタキャンされる。だが、彼女は一人、極北の地へ向かう。
寝台列車で同室になったのは、粗野だが実直な男でロシア人のリョーハだった。-
◆感想
・今作品は抑制したトーンで描いた一時の異人種の男女の恋愛映画であり、人間の人種を越えた善性を描いた作品でもある。
・リョーハが最初は酔っ払いのどうしようもない男として描かれるが、徐々に彼が粗にして野だが、漢気の有る実直な男で有る事が、物語が進むに連れ、明らかになる描き方も良いのである。
・ラウラが同性の恋人に電話をしても、ツレナイ返事。カメラも一見人が良さそうに見えた親切にしてあげた男に盗まれ、更に、目的のヒエログリフを見に行こうとしても、ホテルの受付嬢から”今は、雪の為、道が通れません・・。”と言われてしまい・・。
ラウラが頼ったのは、列車で知り合った、リョーハ。
彼は仕事の後にも関わらず、夜中彼女のホテルを訪ね、友人の車で、ロングドライブして、彼女に海岸沿いの吹雪の中、ヒエログリフを見させてあげるのである。
そして、帰りも友人がラウラをホテルまで送ってくれる。
普通は、寝台列車で知り合い、恋に近い思いを抱いたとしても、あそこまではやらないのではないか。だが、リョーハはラウラのために、漁船を操業する人たちに、根強く交渉をするのである。
ー 私事で恐縮であるが、寝台列車は学生時代に海外旅行の際にお金がある時に時折乗った。
一番長かったのは、中国だった。昆明から桂林、重慶まで寝台列車に乗った。
今作で描かれているように、各駅での停車時間が長く、故に3日程は中国人と顔を合わせているのである。
最初は、中国の人も”リーベンレン・・。”等と様子を伺っているが、3日も乗っていると話が弾む。生ぬるい中国製ビールなどを御馳走すると、酔った年配のお爺さんたちは”マオ・ツートン、プーハオ!”等と大声で言い、こちらがハラハラしたものである。
何が言いたいかというと、寝台列車で数日一緒に過ごすと、本作のラウラとリョーハ程ではないが、人種は違えど、仲良くなれるという事が言いたいのである。-
・ラウラが自分の為に尽力してくれる”わざわざ。来たんだぞ!”と言って漁師たちを説得するリョーハの姿を見て、自分を見つめ直す姿も良い。
ー ラウラがリョーハを見る眼差しは、最初の最悪の出会いの時とは大違いだ。
列車の食堂車(食堂車って、もうないねえ、日本では。)で、二人で乾杯した時に、ラウラがリョーハの寝顔を書いた絵を渡し、”ソックリだ!”と言いながら、自分は上手く書けなかったリョーハが、別れの際に、友人に渡したラウラの全然似ていない似顔絵と、裏に書いてあったフィンランド語のシーンは良かったなあ。-
<今作品は孤独な心を持つ見知らぬ異人種の男女が、一時の恋に落ちる姿、人間の善性を抑制したトーンで描いた、ロシアの風景は大変寒そうであるが、心温まる作品である。
尚、今作はロシアがウクライナに進攻する前に制作された作品だそうである。
きっと、ロシアの人達だって、一人一人は良い人なんだと信じたいモノである。>
寒!
なんの予備知識もなくシネマカリテに来たが、平日昼間で押すな押すなの満席大盛況。カンヌのグランプリの誘客パワーに改めて驚く。
映画はフィンランドからモスクワに留学している女学生がムルマンスクのペトログリフを見るために列車の一人旅を描くロードムービー。雰囲気は数十年前のシナリオに自由度が少ないアドベンチャーゲームやロールプレイングゲームのような、牽引力に欠けるカビ臭さのあるストーリー。あとはひたすら寒そうな風景、風景。北欧人やロシア人の「寒さへの耐性」をこれでもかと、訴えられる。ゴールに至っては凍死寸前なシチュエーション。ああ、冬に観る映画じゃあないな。
極寒の風景、不便な交通機関が生む交流
欧州の映画らしく、静かに、ゆっくりと進行する。
ハリウッドならば、小噺をちょいちょい挟みそうだが、そこがこの映画の魅力。
極寒の風景の中の、冷たそうな人々の、心温まる交流。
リョーハの変化が良い。
90年台の風景も懐かしい。
吹雪を体験したいけど、寒いところまで行く元気が無い人は、是非鑑賞して下さい。
真っ白な雪景色を走る車に目を奪われる
列車の長旅、客室での邂逅、2人の移り変わる感情の機微を丁寧に描き出した繊細で心温まる良作。
出会いは最悪だよね。うるさい隣人、無愛想な駅員…。私だったらブチギレでるけど(笑)
だからこそ、その後の展開が素敵。
列車の旅いつかしてみたい。
カンヌ国際映画祭グランプリ作品? 本当?
色々な映画祭で受賞している作品だけど、私には受賞に該当する作品だとはとても思えなかった。
人間の孤独を描いている作品だとは理解できる。でも私には共感できない。ペトログリフがよくわからない。岩に彫られた彫刻らしいがアップもなく、またあんな野ざらしで保存できるのだろうか。囲いが必要だろうと思う。まだ、ソ連崩壊前の時代設定かな。私にはわからない映画だと正直に告白します。
もどかしいような、そんな感覚を表現
個人的にすごく好きな映画だった。内容も割と単純で、程よい長さと内容でとても見やすかった。
ラウラとリョーハの両者の気持ちがすごく理解できたし、自分もそんな感覚になったことがあったからこそ、「ああ、こんな感覚になったことあるのは自分だけじゃないんだ」と知ることができた。
私は特にリョーハの気持ちがすごく理解できるように思った。誰しもが孤独を感じていて、そんな中分かり合えるようになった気がしていた女性が他の男性を同じ部屋に連れてくる。その時の嫉妬心。また、最後の方になるに連れて自分と同じような気持ちを彼女も抱いてくれていると知った時に素直になれず、自分の気持ちとは反対の行動をしてしまったり。でも助けてしまう。
2人の不器用さがとてもうまく表されていると思った。
このもどかしく素敵な感じを言葉に表すことは難しいから、ぜひ映画で見て味わってほしいと思った。
恋愛というよりも、人間の心理的な部分を描いている映画だと思った。
女と男の間には引力があるのだろう
『タイタニック』以降ということは1990年代の終盤でしょうか、モスクワから世界最北端の駅ムルマンスクへ向かう寝台列車の旅。
フィンランド🇫🇮の留学生とロシア🇷🇺の炭鉱労働者。極寒の地で温かな心のふれあいがあった。
期せずして、ロシア🇷🇺のウクライナ🇺🇦侵攻後の今観ると、別の意味を帯びてくる感じがして不思議だ。
それにしてもムルマンスクの荒れた天候はいったい?
意図して撮ったものか、仕方なく撮ったものか、メチャ気になる。
旅先の出逢い
1990年代が舞台。モスクワから最北端を目指す列車の旅。ウォークマン、ハンディカメラ、ダイヤル式の電話が懐かしい!スマホがある現代なら、航空券やホテルのブッキングから、通話、動画撮影、目的地の情報検索まで簡単にできるけど、それだとこんな「旅」は成り立たないよなぁーー
人って、なにを持ってよく知らない相手を、良い人悪い人、好き嫌いの判断してるのかしら、と考えてしましました。
色彩のないグレーの景色と寒空、無愛想な人々。アキ・カウリスマキの映画を思い出しました〜。
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