「民衆蜂起とシャーロットランプリング」ベネデッタ redirさんの映画レビュー(感想・評価)
民衆蜂起とシャーロットランプリング
ベネデッタの火刑,パンデミック、広場に集まる人々は、拷問に耐えかねベネデッタを裏切り裏切りによりボロを着せられ修道院を追い出されたバルトロメアを嘲笑う。その人々は教皇大使に反発してベネデッタを救えと叫ぶ。
火刑までのクライマックスには、ベネデッタの存在や奇跡を信じるも疑うも、権力者協会関係者には利害関係,保身、損得勘定のみによる判断。
民衆は実存的にベネデッタを信じる。
ベネデッタはおそらく生まれてから修道院に助けらレルまで収奪歯科されてこなかったバルトロメアに数字を教えようとする。大事なシーン。シャーロットランプリング演じる元の修道院長はおそらく努力と忍耐の人だが高い教育を受けていないのか、ベネデッタに経理の作業を依頼している。この構造。
火刑やバンデミック、ベストを持ち込んだ者たち、権力と暴圧,抑圧者に対して声を上げ蜂起する。
広場の民衆蜂起と、最後、サラリーマン的に修道女として身を立て母としてはおそらく子を制度の中でのみ守ろうとし、生きてきた,生きていくつもりだった元修道院長を演じるシャーロットランプリングがペストに罹患した美しい痘痕姿でベネデッタが炙られるはずだった焔の中へたしかな足取りで迷いなく進んでいく、これが映画のクライマックス。
これは美しいベネデッタの物語ではない、奇跡か否かもどうでも良くて、民衆蜂起と社会組織人として生きて最期の時に真実を求めて立ち上がり民衆を煽るシャーロットランプリングの物語である。
ベネデッタは、愛と妄想に生きる。刹那を求めるが結果を求めない。バルトロメアは生まれてこの方搾取され続け愛と生きる糧のみを求める。
シャーロットランプリングが身体を投げ打ち全霊で演じたシスターフェリシアは生き抜く力,知恵そして最後は真実を求めた。
広場でペストの死神として登場したシャーロットランプリング、静かに力強く焔の中に歩むシャーロットランプリングに映画館で嗚咽し,大声で泣き叫びそうだった。映画史上最高の場面の一つ。