「17世紀イタリア。 6歳のベネデッタは、両親に連れられ修道院に出家...」ベネデッタ りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
17世紀イタリア。 6歳のベネデッタは、両親に連れられ修道院に出家...
17世紀イタリア。
6歳のベネデッタは、両親に連れられ修道院に出家することになる。
道中、山賊に出遭い、母親の首飾りが奪われそうになったとき、ベネデッタは奪った山賊に罰が与えられることを神に祈った。
図らずも、山賊の頭上から鳥が糞を垂れ、山賊仲間は爆笑。
首飾りはベネデッタの母親のもとに返され、一行は事なきを得た・・・
といったところからはじまる物語で、その後、修道院に到着したベネデッタ一行。
父と修道院長(シャーロット・ランプリング)との間で持参金の金高についてのやり取りが始まる。
修道院に出家した初日、院内の等身大以上の聖母像に夜間人知れず祈るベネデッタは、聖母像の下敷きになるものの無傷。
彼女の聖女伝説のはじまりだった・・・
ふふーん、確信的ベネデッタの物語と、世俗と金にまみれた宗教界のふたつの軸があるのね、と早々に気が付きます。
18年経ち、長じたベネデッタ(ヴィルジニー・エフィラ。女優さんのファーストネームは聖処女の意だ、ビックリ)。
ある日、修道院に逃げ込んできて蠱惑的な娘バルトロメア(ダフネ・パタキア)を助け、下働きとして修道院で生活させることにする。
(このとき費用問題が持ち上がり、偶々訪れていたベネデッタの父母が費用を出すことになるあたりも脚本がいい)
その日の夜、バルトロメアの指導修道女となったベネデッタは、バルトロメアが父兄から侵されていたことを告白され、自分の魅力が性的魅力が生きていくよすがだと認識しているバルトロメアからそれとない誘惑を受ける・・・
と展開するにあたって、いやはやもう、この映画の背徳的というかなんというかポール・ヴァーホーベン監督作品の妖しい魅力の虜になってしまいました。
なので、ここから先は、どんな展開であっても、もう抑制が効かないわけで、ひたすら面白い、興味深い。
リアリティある美術、格調も感じられる撮影にも関わらず、展開される物語は汚辱にまみれた物語。
であるけれども、ベネデッタ彼女の行動は、作為がなく、意図しての行為、とはみえないように淡々と撮っています。
(淡々じゃあないけれど)
ベネデッタ彼女の行為は、本来の意味での確信的な(信仰に基づく、確固たる信念による)もので、そこには一点の曇りがない。
傍が、作為的、虚偽的とみなそうが、彼女が行っていたとしても、それはもう、確信的幻視幻想幻影の中での行為であって、彼女自身にとっては、真実・事実にほかならない。
ヴァーホーベン監督は、そう撮っている。
現実世界でのバルトロメアとの背徳行為が背徳であったとしても、それは背徳ではない。
彼女が信じるキリストとの愛の関係には無関係なのだ。
この潔さが心地よい。
それ故に、ラスト、キリストとの関係を貫こうとしたベネデッタが、追われた修道院に全裸で戻るシーンが清々しいのだろう。
ポール・ヴァーホーベン監督の確信的傑作といっていいでしょう。