「神を信じる者は救われたのか?」ベネデッタ やまちょうさんの映画レビュー(感想・評価)
神を信じる者は救われたのか?
同性との情欲に溺れる破戒尼僧?であるベネデッタが時に周囲を欺きながら、時に人間としての欲望に忠実に強く生きた話・・・といったら現実派、理性派の皆さんはなんとなく腑に落ちるかと思います。
ただ、私の評価は全く逆で「神の声を聞いたベネデッタが、同様に神を信じて疑わない善良な人々を当時、黒死病と恐れられたペストから救った話」と確信しています。いや、史実はそうなってますしね。
後者のスタンスをとった場合、捉え方によっては色情狂、そして異端とされるベネデッタを神格化することにも繋がり、これでは厳格な宗教界から総叩きにあうでしょう。
だから監督はわざわざバランスをとり評価を曖昧にするために彼女が肉欲に溺れるシーンは大胆に、より煽情的に描く必要があった訳です。
このシーンに至るまで監督の小出しの人の情欲の見せ方、盛り上げ方、煽り方は本当、一流と言わざるを得ません。必要悪?とはいえ、結果として随分と目の保養になったことをここに告解いたします!
話はちょっとそれましたが、ベネデッタは聖職者としては論外で完全アウトじゃないかという濡れ場シーン、そして最後まで確定演出を出さなかった聖痕の自作自演の疑い、神のお告げが基本夢の中で、たまに変な内容になり信憑性に乏しい様(笑)・・・などで彼女自身の信憑性という点で煙に巻きますが、終始一貫して変わらないことがひとつ。
「神の存在を疑わず、絶えず崇拝してること」なのです。これを示すシーンのひとつで、ベネデッタの遠くを伺う様な視線は神の指示をリアルタイムで仰いでいる様で印象深く、非常に好演だったですね。
これとの対比で鮮やかだったのが、元院長と教皇の存在です。どちらもベネデッタ以上に欲望まみれ(笑)ですが、「立場上、見かけ上は神を崇拝してるようにみえるが、心の底で神様なんかいる訳ない」と考えています。態度に如実に現れていて、こちらの演技も良かったですね。
彼らが悲惨な目にあって自滅した結果論からしても、「神を信じるか信じないかが問題」であり、個人の欲望の追求、倫理観の欠如などは、「神への愛」が前提としてあれば十分許容されるという主張が映画の中で示されています。
また監督がベネデッタが妄想を叫ぶ狂人、もしくは狡猾で嘘ばかりついていたのでなく、実際「神の声を聞いていただろう」シーンをさらっと入れていることにも注目です。
夜空を不吉な光(実は彗星の尾)で彩られたのをみて、聖職者は不吉の前触れペストの襲来の予兆だと言い民衆を煽りますが、それを制止する様に彼女は「神に守られている証拠」と言い、暴徒化するのを防ぐシーンがありました。
彼女はこの民衆への大声での説明(煽動)の前に「あれは彗星」みたいなことを独り言で呟きますが、これって実は彼女が生きた17世紀において、こと修道院の教育、知識環境においては知り得ない事実です。
またペストの感染経路についても相応以上の知識があったと言わざるを得ません。都市ロックアウトは想像の範囲内ですが、教皇の脚を自らの手で洗う際にペスト感染者(後に発覚)の脚に噛みついているノミを意識的に潰してます。
ペストは患者間で飛沫感染する他、ネズミなどに寄生するノミを媒介して人間にも拡がります。
彼女はこの知識がベースにあって感染経路をつぶす対策が出来てたんじゃないか、と疑わざるを得ません。ペストの感染経路のメカニズムなんて、もっと後の時代に判明したのは言うまでもなく、彼女のこの知識は、彗星の存在を認めたことに並び、時代を超えたオーパーツ(時代考証的にあり得ないもの)であると考えられます。
これらの先見的な知識が神によってあらかじめ彼女にもたらされ、最終的に同じく神と彼女自身を崇拝してやまない民衆だけが彼女に導かれペストの難から逃れた、というのが落とし所としては最適かと思います。
神を信じるものは救われる。その主義主張だけだと実につまらない映画ですが、その過程が複雑で美しくかつエロティックな良作でございました。
ネタバレかつ、長文失礼しました。