「【2/19追記あり】なかなかレビューは難しいけど…。」ベネデッタ yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)
【2/19追記あり】なかなかレビューは難しいけど…。
今年53本目(合計705本目/今月(2023年2月度)19本目)。
一応、映倫の指定としてはR18で、実際に見ると、「女性同士の行為」などの描写がいくつかみられます(ほか、拷問シーンなど)。ただ、モザイクがかかっていたわけではないですし、教会というのは女性が多く住むところで「性の偏り」がやはり出るところなので、どうしてもこうした「一般的な恋愛」ではない「恋愛」が進みがちな部分はあるのでしょう(性質上そう「なりがち」というだけであり、「だから教会はおかしい」とかということは述べていません)。
この映画、実はいつが舞台なのかの明示的な説明がなく、最初にペストが何だのという話が出てくるので、一見して百年戦争のころ?と思わせるところがありますが、実際にはそれよりも遅い事件であったようです(このころのキリスト教文化や教会は、映画で描かれているように、絶対的な存在でもあった)。
他の方も書かれていた通り、このペストの部分は今のコロナ事情の比喩(メタファー)なのかな、という気がします。
今では彗星などはいつやってくるのか等すぐわかりますから、それを先に計算することはできますが、当時はできませんでした。したがって、そうした自然現象でさえキリスト教文化と結び付けられるようになったのです。このような「不思議な現象」をキリスト教文化と結び付けるのは簡単でも、異を唱えるほう(そのこじつけ、間違っていませんか?というもの)は、その「立証責任」をおうものの、当時の科学技術ではそれはどだい無理なものであり、結局、「何でもかんでも不思議なことがおきたらイエス様の奇跡、だから教会を信じなさい、信仰しなさい」というようになっていったわけですね。
映画自体はR18ですが、一部に明確に「女性同士の行為を想定できるシーンがもろに登場する」というものですが、その点ではR15にやや近いかな、という気はします(モザイクシーンやら、見てられないレベルの破廉恥なシーンは一切出てこない)。
このため、「彼女・彼氏をつれて2人で見に行く」場合、「一般論としては」凍ってしまうという回答になるところ、「彼女・彼氏のどちらかがカトリック(プロテスタント)」といったように「事情がわかっている場合には」推せるかな、といったところです(ただ、このR18の映画を「積極的に」すすめるのもむつかしい)。
ずっと教会と町のシーンばかりで「展開がマンネリ化する」という点は少し気になりましたが、「ペストが流行るから」という理由があったのは確かで、逆にこのことはペストの研究が進むまでは恐れられてきた病気なのです。そうであれば、そうした「舞台の少なさから出てくる展開のマンネリ化」は仕方がないものだと思いますので、減点なしにしています。
ただ、「条件つきで」R18といってもカップルで見に行くのもありですが(「条件付きで」という点に注意)、普通のカップルが行くと凍り付くことになりますので注意しましょう。
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<<ここから2/19追記>>
【この映画はどのような背景で作られたのか?】
・ このようなタイプの映画を「ナンスプロイテーション(Nunsploitation)映画」といいます。nun(修道女)とexploitation(搾取する)から作られた合成語で、もとは「エクスプロイト映画」というものの派生です(1950年以降、特にアメリカ等で、今でいうB級やC級以下の映画で、とにかく低予算ではありながら客を呼ぶためにあえて「タブー」とされる分野(当時は黒人問題や薬物問題、ナチス関係ほか)を扱い、とにかく「内容も支離滅裂なら何を言いたいかはわかるがあまりにバカバカしい」という類の映画です。その「修道女版」ということになります。
※ exploitation(利用・搾取)は、動詞 exploit (利用する)の名詞形ですが、単に「利用する」という意味より「悪意をもって搾取する」という意味合いが強いです。
ただ、こちらの派生したほうの分野は、カトリックなりプロテスタントなりの教会があった、今もあるという事実をもとにしていること、また、歴史的に「ある程度」調べられている映画もある(例えば、「肉体の悪魔」などの作品は、表現も確かに厳しいが、史実にもかなり配慮されて作られて高評価だと言われる)のも確かです。本作品が「概ね主要な点において」史実として描かれているように、この「教会における女性同士の同性愛」は描かれることがタブー視されていたのですが、もっぱらヨーロッパで発達したこのサブジャンルに関しては「歴史的な検証ができる状態ではあった」「近代・現代では、いわゆる表現の自由等が憲法上要請されるようになった」ことから、「あまりにいい加減、支離滅裂でない」限りにおいて、今でも作られています(本作品も、まさにそれです)。
※ ただし、その考え方(「あまりにいい加減、支離滅裂でない限り、表現の自由のほうがまさる」)は、西洋や今ではアメリカイギリス、日本韓国といった「表現の自由の先進国」では当然のこととして扱われているだけで、どうしてもキリスト教に保守的な国では「国ごとの規制がかかる」ことが多いです(この映画、調べたところ、少なくともシンガポールとロシアでは発禁扱いになっている模様)。