アネットのレビュー・感想・評価
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エキセントリックな作風で合わなかった
ほぼセリフ歌だったから、急に歌い出す違和感はなく、ちゃんとミュージカルしてた。
アダムドライバーもマリオンコティヤールも歌がお上手。
特にアダムの低音ボイスが響いて良い。
なかなかエキセントリックな映画だったなぁと思った。
予告しか見ていなかったから、まさか子供があんな姿だとは…
あと、アダムのコメディショーがとんでもなくつまらなかった。なぜあれで爆笑が取れるのか?笑いの感性が違うということだ良いのかな?
でも後半では全く笑ってもらえない。結婚することで求められることが変わったのかな。
その後、破滅していくが、アダムの最近の出演作も同じ傾向だからハッピーエンドを見たい。
いまいち納得感がない?
字幕のミュージカル的な作品はスキじゃないんだよね…。何も良さがわからんので。
あまり事前学習なしに観たことに後悔しつつ。
そもそも、アダム・ドライバー扮するコメディアンが全く面白くない。こんな滑りまくっている芸人がバイクに跨がって、粋って有名歌手と付き合ってること自体な納得感がなく…。
そして、子供は自由を得たことで、親の操り人形じゃなくなったという暗示?も別に…って感じ。
う~ん…。
理解力不足か?
ダークなおとぎ話
観る人を選ぶ映画だなと。
アダム・ドライバーの存在感はすごいけども。
内容はあまりないというか、(話はわかるが)意図がよく分からない「ダークなおとぎ話」。
アネットが両親からの呪縛が解けるまでは、人形で表現しているところは、「心が操られているのかな?」などと理解しようとつとめたものの……
置いてけぼりくらったような、微妙な表現とも感じたり。
歌の破壊力があって、曲を担当した「スパークス」には興味がわきました。
ただ、ミュージカルになってないというか、パンクロックの調子でセリフを叩きつけてるだけにも思えて、そのあたりがより置いてけぼり感を増したような。
生まれてくるアネットを取り上げる医師を古舘寛治に似た人が、アダム・ドライバー演じるヘンリーを告発する女性達の一人が水谷希子に似た人が演じているな……
ってぼうーっと観ていたら、エンドロールのクレジットで、本人だったから驚きました。
各国でロケもやっていて、日本も出てきましたよ。
アンとヘンリー
とても仲良し、ラブラブ
アネット、ずっと人形だったので、イヤだった。
最後、出演してくれてありがとう!
昨日、「スパークス・ブラザーズ」観てメイル兄弟を知りました。アネットでも大活躍だったんですね!
4/24、2回目観賞です。
最初のスパークスブラザーズよかったです。
やっぱりアネットの人形は、意味が分かりませんでした。ラストの歌声素敵でした!
評価上がりました。
子どもを持つ親なら死にたくなるようなラスト
なお私はあまりに辛すぎて鼻水垂らしながら泣いてしもうた。
愛情がよくわからないまま夫&父親になってしまった男の栄光と転落を描いた映画。コメディアンというちょっと癖のある自分の仕事に対し、オペラ歌手である妻の拡張高い世界との落差。
なお、この主人公が落ち目になった理由が、果たして過去の悪行故なのか、大物の妻と結婚したことにより保守的なネタが求められるようになったためか、パッと見ただけではどちらかわからない。
さすがはレオス・カラックス。…いや、スパークスが凄いのか。
てか古舘寛治、お前そんなとこにおったんかい。
キャッチコピーは大体冒頭あたりの話のことでしょうか(困惑)
いろいろと考えさせられる話でした。
サントラ買ってきます。
レオス・カラックスの「告解」か?
レオス・カラックスの映画は基本的には私小説的な自分自身の告白と理解すると、わかりやすくなる。それは『アネット』も同様で、主人公のヘンリーの(アンとの恋愛に関する)高揚感、(アネット誕生の)喜び、(観客から見放された)焦燥、(アンの成功に対する)嫉妬、(アンの死に対する)罪悪感、そして(指揮者殺しによる)破綻は、カラックスの人生と重ね合わせるとよくわかる(ような気がする)。ヒロインのアンは、その前半は(カラックスと別れて大成功した)ジュリエット・ビノッシュで、アネット出産後とお亡くなりになったあとの亡霊は(カラックスの亡き妻の)カテリーナ・ゴルべワか?指揮者は(かつての親友で撮影監督であった)ジャン=イブ・エスコフィエか?アネットは娘のナースチャ・ゴルべワ・カラックスか?ヘンリー(≒カラックス)は、アン(≒カテリーナ)と指揮者(≒エスコフィエ)を「殺した」ことについて、アネット(≒ナースチャ)に「お前には愛がない」と罰せられたいのか?もしそう考えることができるのなら、『アネット』は、カテリーナとエスコフィエに対する罪悪感を「ダーク・ファンタジー・ロック・オペラ」なるよくわからないながらも、観客に受け入れやすい(?)形であらわした彼独特の「告解」のなのかもしれない。もっともそうだったら、「見知らぬ人には気を付けて」「でもよかったら、知らない人にもこの映画を伝えてね」(『ポーラX』の興行的不振を踏まえている?)と最後にちょうちん行列で訴えるカラックスの業は相当に深いとも言えるし、恥を忍んでここまで自身をさらけ出したという意味では、温情的な観点からはカンヌの監督賞も妥当だったであろう。
もっとも、カラックスの人生にまったく関心がない普通の人にとっての問題は、映画の完成度である。この点についてはアダム・ドライバーが致命的であり、なぜ彼を(かつてのドニ・ラヴァンのように)カラックスが自身の代理として選んだのか分からない。だいたいヘタレWannabe「カイロ・レン」にこんな業の深いカラックスの代役は務まらない。カラックスのいつもの癖で自分の思い全開の映画なのはやむを得ないとはいえ、ドライバーの調子の狂っただみ声の歌を延々と聞かされる観客の身についても少しは考えてほしかった…(とはいえ、ドニ・ラヴァンはもっとあり得ないが)。なお、美魔女なマティオン・コティヤールの歌声は(幽霊になっても)よかった。その点で、映画としての完成度を考えたら☆3つ。もっとも、カラックスの映画(特に『ポーラX』)が好きな人にとっては☆5つかもしれない。
奇を衒いたい
毎週映画館に行く映画好きな人間として、こういう映画を見た後に乙な考察を語る人間でありたいと憧れてる。
奇を衒う人間でありたいと。
だが、嵌まらないものは嵌まらない、、。長いというのが正直なところで、アダムドライバーの2回目の舞台シーンも不快さが目立ってしまった。
見た直後なので、興奮より長さと不快さが際立ってしまった。
オープニングとラストの観客へのメッセージは凄く良かったけど。
待ってました
待ちに待ったカラックスの新作。
ミュージカルをよく知らない私だけど、カラックスの仕掛けがほんっと面白かった。
アダムドライバー、マリオンコティアールは間違いなく当代きっての名優だ。演技が本職の彼らが、本職ではない歌を歌う。
すると、役との不思議な距離感が生まれ、わずかな指の動き、眼差しに生身の人間としての慎み深さのようなものが立ち上り、素晴らしいと思った。
女神との愛を手に入れながら、破滅を欲望する人間の深い溝。ヘンリーは神から逃走するように大きなバイクを走らせ、次第に自身の愚かさを露呈する。
闇或いは魔の領域に突入したヘンリーの嵐の航海のシーン。世界は自らを起点として絶えず自分自身を生み出しながら変化していく。
その世界(舞台)全体こそが神なのだから、我々は息を止めて映画を観なければいけない。
母は、彼岸の境界からアネットの歌声に蘇るが、アネットは自分にとっては別世界である父が作った世界を体験させられる。ついにスーパーボールのハーフタイムショーで大団円を迎え、前へ進む物語は終焉する。
これまで仮の姿であった化身が輝きをもって出現し、ついに父に別離を告知する。
こうした「物語」は、小説、演劇、オペラ、映画、漫画などに数多く作られる。マリオンコティアールはオペラの物語の中で何度も死んでいた。
一方スタンドアップコメディは「物語」をぶち壊す芸だ。シニカルに痛烈に。
多勢の観客を前に、いかなる危機と裂け目が生じるかを体現するように、ヘンリーもショーの中で何度も死んでいた。
髪を切った囚人姿のヘンリーの中心が、スッと静寂感に包まれていたのが印象的。
カラックスは生ぬるいところがない。
オープニングが最高だった
登場人物を紹介する様にはじまるオープニングに興奮した。
歌い演奏しながら行進する、このスタイルは前回のホーリーモーターズでも見られたが、感覚的に良いと感じる。
はじまると意外にも物語の筋があってちょっと驚いたが、スタンダップコメディが面白く感じなくて眠気を誘って困った。
しかしながら、アダムドライバーの狂気に満ちた演技には圧巻されまくる。
やっぱりミニシアターで観るアダムドライバーが好きだし、レオスカラックをユーロスペースで観るという正しい映画の作法を行った気分になった。
面白いけどどこか他人事。
今回はコメディアンとオペラ歌手の恋、結婚、家庭、崩壊までをロックミュージカルで語ると言う趣向。曲と原案はスパークス(アルバムほとんど持ってます)彼らがどこでどう繋がったのか分からないけど、面白い組み合わせだなと思った(映画スパークスブラザーズで解明)
自分は初期の3作は大好きだけど「ポーラX」あたりからピンと来なくなった。彼の映画は話の真ん中を貫くドラマチックな強い衝動があって初めて特有の外連味が生きるのだと思う。いつもイメージは素敵だなぁと思うんだけど近作は仕方なく話を進めている感じ、冷めた感じがしてのめり込めなくなってしまった。ドニの時の様にアダム ドライバーにもっと自身を投影してどんどん追い込んで行けば良かったんじゃないかと思った。
深呼吸して
ダークなおとぎばなし、評価が分かれるでしょうね。だいぶ癖が強いので万人受けする作品ではないけれど、新しい世界観を見せてくれる作品でもあるので見て損はない作品です。
本作はロック界で50年のキャリアを持つ兄弟バンド・スパークス(ロン&ラッセル・メイル、二人のライブ映像とともに振り返る「スパークス・ブラザーズ」も現在公開中)が、ストーリー仕立てのスタジオアルバムとして構築していた物語を原案に、映画全編を歌で語り、全ての歌をライブで収録している。
本作、最初っから最後までずーっと歌っています。
そしてスパークスの音楽スタジオで収録するオープニングから、エンディングの始まりの挨拶と締めくくりがあってメリハリが効いていて思いのほか良かった。
特に物語が始まる前の音楽スタジオからの映像が今から何が始まるんだろう、何を見せてくれるんだろうと、ワクワクさせてくれる。
芸術的で創造的、凡庸でいて新しい。そして切なくって悲しいロックなオペラ…。
赤ん坊のアネットが木彫りの操り人形ってところがなかなか斬新。赤ん坊を取り上げる産婦人科医が日本の俳優•古舘寛治を持ってくるのも面白い。
ラストでようやく、その意味が分かるのだが、アネット役の子役が超絶可愛くて演技も上手い!
それにしても、ヘンリーとアンが住んでた庭付きの家が素晴らしく素敵だった。
悲劇を悲劇として徹底できなかった
ヒロインのアンを演じたマリオン・コティヤールの歌が素晴らしい。この人がエディット・ピアフを演じた映画は残念ながら劇場での鑑賞を逃してしまった。ヘッドフォンを介しての配信の歌は聞く気になれなかったので、結局この人の歌を聞いたのは本作品が初めてだ。これほど上手だとは思いもよらなかった。
ヘンリー役のアダム・ドライバーの歌はコティヤールに比べればかなりの差があるが、ミュージカル映画の歌としてはそれほど悪くなかった。悪態をつくのを売りにしたスタンダップコメディアンの演技もそれなりの迫力があってよかったと思う。
本作品は We love each other so much の歌が繰り返される恋のはじまりから、娘のアネットの誕生、アンとヘンリーのそれぞれの仕事の明暗、格差と嫉妬、不安と怒り、そして恐怖に行き着く。ふたりの情緒の変化が、悲劇へと突き進む位置エネルギーとなるのだ。物語はアンが心配した最悪の展開で進んでしまう。
ヘンリーの性格が齎した性格悲劇であり、アンがヘンリーの本質を見抜くことが出来なかったことが悲劇の原因である。ヘンリーは破滅に突き進んでいく性格で、その根底には不寛容と被害者意識がある。相手がアンでなくても、悲劇に進んだに違いない。
悲劇には劇的に悲しいラストシーンが必要だが、本作品はそれがやや弱い。中途半端なままで映画が終わるから、観客はカタルシスを覚えることができない。ヘンリーが娘を絞め殺したところを看守に射殺されるくらいがちょうどよかった。
悲劇を悲劇として徹底できなかったところが、本作品の完成度を落としていると思う。制作陣が、凄惨なラストシーンにするのを恐れたのかもしれない。ネット社会にありがちな、思い切りの悪さである。あとひと息だったから、凄く残念だ。
世界観に惚れる
前作のホーリーモーターズから9年、待望の新作はミュージカル。監督は映画監督を志す前はミュージシャンになりたかったのもあり、ミュージカル映画はいつか撮ろうと思っていたとのこと。脚本も独特でいいのだが全体の世界観が好みなのでそれだけでも満足できている。今回ミュージカルだったり、赤ちゃんに人形を使っていたり、しかも俳優はミュージカル俳優ではない人に実際に現場で歌ったものを収録しているとのこと。そういった非現実的な要素や作り込みすぎない要素があっても、チープにならないしむしろリアリティがある。さらに一定の緊張感が漂い続けていて何より画やアクションがかっこいい。いかにもフランス人らしい美意識のように感じるが、北野武がフランスで評価をされているように、日本人が持つ美意識、侘び寂びのようなものもどこかに感じる。とにかく好き。
古舘寛治と水原希子にはニヤリ😎
長く感じました。
アダム・ドライバーの顔以上に。
スパークスの音楽も刺さらなかったです。ロックオペラ???
出だしのスタジオシーンはすごく期待値あがったんですが。
でも古舘寛治と水原希子にはニヤリ😎
話はベタだったけど、曲とパペットが─
かなり斬新で、正直、笑えました。とはいえ、そう思うまでには、少し時間を要して、最初かなりの取っつきにくさ・・・。アネット登場でその様相はがらりと変わった気がします。なんじゃこのヘンテコなミュージカルチックな作品は─なんて思っていたんですが、ミュージカルを利用しつつもその違和感を大いに利用したり、それでいてかなり大真面目な壮大なミュージカル映画で、違和感きわまりないアネットさえも絵の中に見事に融合して、すっかり美しい映像に魅了されてしまった感じです。楽曲も素晴らしかったように思います。
でもやはり、アネットの存在そのものでかなり魅了され、うならされます。あれを拒絶するというなら、この作品は見ない方がいいと思ったり─。
笑いと紙一重の狂気
レオス・カラックス監督の暴走的な愛の描写はミュージカルでこそ活きるのだと実感した。
ここから物語が始まるのだというワクワクするような冒頭のナンバーからは考えられない、あまりに挑発的で攻撃的な内容に度肝を抜かれる。
毒のある際どいネタで客を笑い死にさせるコメディアンのヘンリーと、彼曰く神聖なオペラの舞台で何度も死を迎えながら観客を魅了する歌姫アン。
これは二人の愛が燃え上がり、やがて壊れていく物語でもある。
「深く愛する二人」とあまりにもストレート過ぎる愛の表現を伝え合う二人。
悪く言えば中身のない愛情表現にも見えるが、それが後の二人の運命を暗示しているようでもある。
シンプルにお互いを尊重し合う仲だった二人だが、結婚生活が始まりアンが妊娠すると徐々に二人の関係に翳りが見えてくる。
夜遊びに興じるヘンリーへの不信感からか、アンは夢で彼が6人の女性から虐待を受けていたと告発される場面を見る。
一方ヘンリーも元々際どいネタで笑いを取るスタイルではあったが、妻を殺してしまったという笑えないジョークのせいで反感を買ってしまう。
この場面は圧巻だった。これは演じるアダム・ドライヴァーの上手さもあるが、観ている方もこれは事実なのではないかと勘ぐってしまう。
どんどん落ち目になっていく自分に対して、妻のアンは人気者であり続ける。それがヘンリーには堪らない。
やがて二人の間にアネットという女の子が誕生するが、どう見ても赤ん坊の姿は人形なのに妙な生々しさがあり、それが不気味であると共に神々しさを感じさせる。
そう、この映画は狂気と紙一重だが、とても荘厳な印象も与えるのだ。
ヘンリーはアンと産まれたばかりのアネットを連れて休暇に出るが、嵐の海でアンは帰らぬ人となってしまう。
酔った勢いで暴風吹き荒れる船上でヘンリーがアンと共にワルツを踊る場面は見所のひとつだが、アンは確かに事故で海に沈んでしまったものの、それはヘンリーに殺意がなかったという証明にはならない。
アンは亡霊となってヘンリーへの復讐を誓う。
アンが亡くなったその直後から、アネットは光に照らされると歌を歌うようになる。
ヘンリーはかつてアンの伴奏者で、彼女に恋い焦がれていた指揮者の男に声をかけ、アネットを歌う赤ん坊として売り出せないかと提案する。
結果的にアネットは見世物として大衆の人気を集めていく。
不思議とアネットの人気に比例してヘンリーも女性たちにモテるようになる。
この辺りに移ろいやすい人間の心が皮肉られているように感じた。
アメリカ人は特にスターと認めた者に対して熱狂的な歓声を送るが、一度期待を裏切ると手の平を返したように罵声を浴びせる。
それは赤ん坊のアネットに対してもだ。
アネットは観客の前で歌えなくなる。彼女は父親が人殺しであることを知っているからだ。
ヘンリーはアンだけでなく、指揮者の男も殺してしまう。彼が自分がアネットの父親だと名乗り出たからだ。
嫉妬心からヘンリーは自滅することになる。
アネットは大勢の観客の前でヘンリーの罪を暴く。
収監されたヘンリーの面会に訪れたアネットが、人形の姿から人間に変わる場面はとても印象的だった。
ヘンリーのアネットに対する愛情は本物だったのだろう。
しかしアネットはヘンリーに愛する者はいないと無情にも言い放つ。
どこでヘンリーは進む道を間違えてしまったのだろうか。
決して万人受けする内容ではないが、個人的にはこの映画の世界観はドンピシャに嵌まった。
しかしレオス・カラックスはどこまでも人を食ったような映画を作る。
冒頭ではこの映画の最中には呼吸することすら禁じるような文句を垂れる。
しかしエンドロールでは観客に向かって、感謝の言葉を役者たちに喋らせる。
見知らぬ人には近付かないように注意しながら、でも友達がいないなら見知らぬ人に声をかけてこの映画を宣伝するようにお願いする。
『ホーリーモーターズ』のラストも特徴的だったが、この映画のラストもそれに負けず劣らず個性的だ。
悪くはないが良くもない。カラックスは致命的にミュージカルが合わない...
悪くはないが良くもない。カラックスは致命的にミュージカルが合わないのではないか。彼にしか撮れないキラーカットが少ないのは歌に拍子を合わせないといけないから。まーやはり世界最高級「汚れた血」とどうしても比較してしまう・・・。
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