「ニュータイプを完全に倒してしまった」機動戦士ガンダムSEED FREEDOM おひさまさんの映画レビュー(感想・評価)
ニュータイプを完全に倒してしまった
まず、純粋にアニメ、娯楽作品として今作は素晴らしかったです。オマージュとしてギャンやゲルググ、そして、赤いズゴック!が出てきたのは、個人的には楽しめました。
それにしても監督はすごい事をしましたね。
ニュータイプを過去のものにした。ニュータイプを時代遅れの存在として描いたのが今作です。
今作の『アコード』とはつまり、コーディネーターに他者の思考とつながるニュータイプ能力を加えた存在です。
最初にキラは、アコードのニュータイプ能力を活用した思考誘導のような能力で一種の催眠状態におちいり、暴走し敗北します。
これは面白いアイデアだと思いました。
ニュータイプ能力は相手の思考を読む事ができます。さらに発展するとニュータイプ能力者同士で会話もできるようになります。
そこから一歩進んで、ニュータイプ能力を持たない相手に精神的に語りかける事で、特に今回のキラのようにニュータイプ能力の事を知らない無防備な相手に効果的に思考を誘導し、催眠のような幻覚のような影響を与える事ができる、というわけです。
アコードたちは、おそらくキラの頭の中で「あいつだ!」「逃げるぞ!」「逃がしてはいけない!」「追わなければ!」とささやきかけたのでしょう。キラはそれを自分の考えと混同して、誤った方向へ思考を誘導されたわけです。
だが、ニュータイプ能力はそれがあると知られてしまえば簡単に対処できる、と監督は知らしめたわけです。
シンは『思考しない』という方法で。複雑な事を考えず、シンプルに『突撃する』とだけ考え、相手が対処できない程の速さと力で圧倒して勝利します。
アスランは『余計な事を考える』という方法で。思考を読まれていると知ったアスランは戦闘中に急にカガリとの事を妄想して、それを急に読まされたアコードは動揺して隙を作り、そこをアスランは狙って勝利します。
別にアスランが普段からエロい事を妄想してるわけじゃないよ!戦争というタナトスに対して相反するエロスを持って対処したのです。たぶん。
キラとラクスは『圧倒的な大威力攻撃』で。思考を読まれていようと関係無い程の大規模・大威力の広範囲殲滅兵器によって勝利します。
マイティーストライクフリーダムガンダム!名前が長いです。
もちろんそれぞれ強く意思を持つ事で対処が可能になるわけですが、こうも簡単にニュータイプ能力に完封勝利するとは。
ガンダム世界の戦闘において、『ニュータイプ』つまり『富野由悠季』を時代遅れの存在にしてしまいました。
まぁ、そもそも、ニュータイプ能力とは戦闘のための能力ではなく、他者との共感のための、むしろ平和のための能力なわけです。
だから、それを戦闘に利用する事しかできなかったファーストガンダムは悲哀に満ちた物語になった。「悲しいけどこれ戦争なのよね」という名言に集約されます。
さて、一転してガンダムSEED世界は今後、さらに世界は混迷の時代になっていく事になります。
コーディネーターとナチュラルの対立は解消されず、世界中の紛争の種もそのままで、究極の管理社会であるデスティニープランは完全に破棄されました。
愛と自由意志で、という理想だけを持ったキラたちの未来は明るいものではありません。
今回のエンディングはファウンデーションを打倒しただけで、ファウンデーションとはデュランダル議長の残したデスティニープランの残党だったに過ぎません。結局、世界は今作の最初の状態に戻っただけです。キラの悩みは消えず、世界平和は遠く。
しかし、『ファウンデーション』とは、ある意味、示唆的ですね。これはアイザック・アシモフでしょう?
アシモフの銀河帝国シリーズも最終的にはファウンデーションは否定されました。そして『ゲイア』への道が開かれるわけですが、ガンダムSEED世界もゲイアへ向かう事ができるのでしょうか?
ちなみにアシモフの『ゲイア』とは簡単に言うと、人間だけでなく全ての生物・無生物をニュータイプ的な能力でつなげて、個人でもありながら全ての存在をひとつの存在にまとめあげる、というものです。私であり、あなたであり、全体でもある、という究極存在への進化を描いたものです。
個人的にSFファンとしては、監督には責任を取ってそこまで描いて欲しいものです。