「上げ底」ソー ラブ&サンダー 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
上げ底
Disney+を退会していたのだが、のぞいたら期間限定で新規会員が1ヶ月199円になっていたので、また入ってすぐ解除した。あと1ヶ月見られる。
低所得なのでサブスクリプションには警戒している。
いま世にはKKO問題というものがあるそうだ。
KKOとは“キモくて金のないおっさん”のこと。まさにわたしのようなにんげんのことだが正確には“自覚がない”を入れるひつようがある。
問題になるのは“キモくて金がないにもかかわらず、それらの自覚がないおっさん”である。
キモくて金がなくても自覚があれば──だれか・なにかに関わらずひとりで生きてひとりでしんでくれるなら問題はない。
よって日本の多数の男たちの課題となるのは、だれか・なにかに関わらずひとりで生きてひとりでしぬこと──になる。すくなくともじぶんはそれを課題としている。
日本の男をみじめだと感じることがある。
感じることがある──というか押し並べてみじめだなあと思っている。
今後KKOはどんどん増えていくし、世間の風当たりも増していくし、生きづらくて困ってしまう。
ところでKKOの反対側に位置するおっさんとはマーベルやDC映画にでてくるヒーローをはじめとするスター俳優だろう。映画では壮年化するほど魅力が増していく魔法を目の当たりにできる。
金があり見ばえがよく白人のハリウッド俳優はまさにKKOの対極といえる。
990円のサブスクリプションを断念する、金がなくてキモい日本のおっさんがきらびやかな対極の世界を見る──図式がDisney+にはある、という話でした。
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ヘムズワースは190㎝、対してポートマンは160㎝。相当底上げしているのは間違いないがナチュラルに収まっていた。ちなみにヴァルキリー役テッサ・トンプソンは162㎝だが映画内ではポートマンのほうがひとまわり大きい。おそらく20㎝程度は上げているのではなかろうか。
(かえりみるとマーベル周辺には低身長女性が多いような気がする。デカいのはネビュラのカレン・ギラン(180㎝)くらいではなかろうか。)
個人的におどろいたのはポートマンの二の腕だった。鍛えたのか盛っているのか解らないがすごくたくましい。華奢(きゃしゃ)な人だと認識していただけに変身に惹かれた。
映画は笑えるし泣けるし、感動するけれどお涙頂戴にしない。愛する人の喪失も含めて文科省の推薦を受けられそうな全年齢向け映画だった。
よく思うことだが、この商業映画は、“なんか色々と人生のこと人間のこと考えてますよ”という体(てい)を持つアート映画より、よっぽど愛や思いやりについて訴えるものを内包している。
で、あるなら(たとえば河瀬直美のような)アートハウスの映画に、どんな居場所があるのだろうか。
のみならず、そもそも表現力の拙い日本映画にどんな居場所があるんだろうか。──と、すぐれたハリウッド映画を見るたびに思うことを、またしても思った。
タイカ・ワイティティ監督は演出力を買われてマーベルを撮っているがマーベル映画では監督としての評価は上がらない。
ワイティティ監督の名を上げたのはBoyやHunt for the WilderpeopleやJojo Rabbitなどのアート系映画だ。
あちらでは既にブロックバスターとアートハウスの垣根がない。
マーベルのエターナルズを撮ったのはノマドランドのクロエ・ジャオだ。
それが商業映画なのか、アート映画なのか──は、つくり手ではなく観衆が判断すること──なのだ。
つまり、映画監督には演出力があればいいのであって、ワケのわからない鬼才感はぜんぜん要らない。──と、言いたいわけ。
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ひとつ気になったシーンがあった。序盤、マーベルスタジオの商標が入ったあと、コーグ(全身岩づくりのソーのお伴)がソーの現在までの来歴を話す場面がある。今まで失ってきた家族や仲間を紹介するところでホーガン(浅野忠信)を「誰か知らん奴」と紹介した。場面にして0.3秒くらい。
日本人としてせつなかった。