「虫のいいクリスチャン」祈り 幻に長崎を想う刻(とき) 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
虫のいいクリスチャン
製作陣の心意気は伝わってくるが、映画としての出来はあまりいい方ではない。ナガサキの直接の被爆者と残された人々の生活、長崎の復興と暴力集団の発生、売春婦の様子などを群像劇的に描こうとしているのだが、逆に散漫になってしまった。予算の関係だと思うが、シーンの多くが演劇的で奥行きに乏しく、60年以上前の時代を感じさせる映像が皆無だったのも残念である。
俳優陣では、黒谷友香は棒読みの割に滑舌が悪く「詩集はいらんね」がどうしても「しゅうはいらんね」に聞こえて「しゅう」は何のことだろうと考えたほどだ。冒頭のシーンだけにこれは痛かった。高島礼子は悪くなかったが、黒谷友香のマイナスまではカバー出来なかった。
唯一よかったのが、田辺誠一が演じた桃園が戦争について語るシーンで、登場人物に感情移入したのはこのときだけだった。核兵器をなくすよりも戦争そのものをなくしたいと桃園は言う。まさにその通りである。難民問題も、発生した難民の処し方ばかりが議論されるが、難民を生み出した戦争や紛争についての議論が決定的に不足している。
柄本明はいつもの飄々とした演技。寺田農の議員さんは正直に本音を言い、当時の長崎の政治状況がわかりやすく理解できた。両ベテランの安定した演技と田辺誠一の名演で、本作品はぎりぎり映画としての形を保てた気がする。
舞台は1957年で、前年に成立した売春防止法が施行された年だが、全国に行き渡るには時間がかかったようだ。主人公鹿が昼は看護婦で夜は売春婦をしていても普通に受け入れられている。男も女も煙草を吸い、おおっびらにヒロポンを売買し、ポン中になる者もいた。時代背景は正しく描かれていると思う。
当方はクリスチャンではないが、信者や教会の存在は否定しない。タリバンと違って他人に信仰を強制しないところがいい。親戚や知人の多くは教会で結婚式を挙げたが、クリスチャンは誰もいない。建物としての教会は、雰囲気があって嫌いではない。誰でも入れるように門戸を開いているところもいい。「レ・ミゼラブル」を思い出す。
聖書の骨子は「汝の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」という部分だと思う。天にいる神は常にあなたがたの行ないを見ているから、不寛容な行ないをすれば天国で不寛容な処遇が待っているという訳だ。
しかし本作品にはその寛容さがどこにも出てこない。むしろ不寛容な言葉ばかりが出てくる。その割に聖母マリアに許されようとする。虫のいいクリスチャンである。そういえばアメリカの前大統領トランプもクリスチャンだ。バプテスマのヨハネは「悔い改めよ、天国は近づいた」と人々に言ってバプテスマを施したが、どうやら現在のクリスチャンは天国を信じなくなったようである。