愛について語るときにイケダの語ることのレビュー・感想・評価
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池田さん、魅力的な人でした ただ、映画作品としては、、、 撮り直せ...
池田さん、魅力的な人でした
ただ、映画作品としては、、、
撮り直せない事がとても残念
もっとどうにかできた筈
もっとチャンスはあったはずの人生だったのかなと思う。 フィクシ...
もっとチャンスはあったはずの人生だったのかなと思う。
フィクションの彼女の告白に留保を入れるところが、興味深かった。
結局、この映画で何を撮りたかったのか、イケダくん自身が一番最後までわからなかったのだろう。
人生を楽しみ、前に向いて生きていったイケダ君、素晴らしいと思う。
羨ましくもある死に際
※星取りは苦手。何か書きたくさせてる時点で☆5つ!
彼は生まれもった身体に
なにも不自由はなく見えた
お話は面白いし、
滑舌も歯並びもよいし、
目も見え、耳も聞こえ、
四肢も動かせるし、
顔もハンサムだし、
ボカシの向こうの男性器も正常に機能していた
障害者として区分されることに
納得していないように見受けられた
わたしも同感だった…
いや、これは単なるわたしの想いかもしれない…
どうして社会は、
彼を殊更に障害者と呼ぶのか、
とばかり思って観ていた
そして本人もそう思っていたのではないだろうか…?
突然の余命宣告に、
その部分が解決しないことに
悶々としたのではないだろうか、と
私の思い込みかもしれないけど…
個人的には贅沢な死に方だな、
と思った
やせ細った姿の自分を撮リ続けてくれる人がいるなんて
軽薄、低俗、そして冷徹。
ある日。そう、あなたがひまつぶしにこの投稿を読み始めるような、こんななんでもない日に、自分の余命が宣告される。予兆も警告もない。実際にそれを伝えるのはあなたの主治医かもしれない。しかし肩越しで彼にそう云わしめているのは死を司るもの、死神だろう。この神に睨まれた者の多く(私もその一人)は突然の審判に、ただ恐怖におののき現実を直視できまい。
この映画の監督であり主役でもある「池田」はこの作品を武器にして、誰もが恐れ、目を背ける死の番人との対峙を「演じ」る。
しかし、彼が死神に向けて放つ弾丸は「チ◯ポ」である。作中彼は「チ◯ポ!」を連発し、実際に彼のチ◯ポ使用画像が幾度となく登場する。
なんと軽薄!なんと低俗!なんと軽妙!そしてなんと冷徹な自己への眼差し!
死神のやり口を「池田」は知っている。人間が恐れる死を目の前にちらつかせ、末期の人間を恐怖で支配する。そして足元にひれ伏す姿を最上の喜びとしていることも。
彼は一ミリも後退せず、軽薄に、低俗に、軽妙に「死」をやり過ごした。彼は何者にも支配されずに「作品」をエンドロールまで導いた。
私はこの映画を身障者モノとして観ることよりも、ある男の末期の在り様を観たいと思った。そして彼は末期の物語を自分なりに完成させたのではないか。誰にでも出来ることではない。
先に記した「死神に向けた弾丸」であるが、その弾丸はもしかしたら、あるいは健常者社会にも向けられていたかもね。身障者に「健全」を強いる私達に。
吐露
スキルス性胃癌で他界された四肢軟骨無形成症の池田英彦氏が胃癌を宣告されてからの自らを撮ったドキュメンタリー。
脚本家である友人と相談し、自分を主人公にしてたフィクションで、思い描く理想のデート像を撮ろうと考え実行する様や、風俗で性欲を満たしたり、療養したりという様子を見せながら自身の考えを語って行く。
脚本家である友人とは、互いに余計な気遣いのない本音での会話を繰り広げ、明るく素直な方だなという印象で、御本人は同情されるのは嫌だろうし気を遣われるのは好まないだろうけど同情してしまう。
本当のところでは判るはずもないのに。
そしてそんな池田氏も、逆に回りに気を遣ってしまうところもあるのかなと。その思いはどこから来るのかなと色々と考えさせられる。
好きと愛の違いは何なのか、恋愛ではないけれど、少なくともこの作品を託され応えた真野氏のそれは、愛と言って良いのではないかな。
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