「壊れても使い続けられるコーヒーメーカーのようなもの…それが政治システム」決戦は日曜日 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
壊れても使い続けられるコーヒーメーカーのようなもの…それが政治システム
<映画のことば>
「これが一番いい選択なんです。理解できないかも知れませんが、こういうふうに政界に入るやり方もあるんです。」
一つの議席には、多くの利害関係がぶら下がってしまっているので、「候補としての適任者がいない」などという(つまらない?)理由で、前議員が維持していた票田をみすみす他の(対立)候補に渡すという選択肢は、あり得ないのでしょう。
それで、世に「世襲議員」というものがなくならない由縁だろうと思います。評論子は。
候補として担ぎ出される当の本人の能力や思惑のいかんに、関わらず。
しかし、谷村秘書(窪田正孝)のセリフにもある通り、どんな入り方で政界に入るにせよ、けっきょく数次の選挙を経て地盤(票田)を守って行けるか否かは本人(議員)の政治手腕のいかんに関わることも、また現実でしょう。
極端な話、最初はぎこちなく「かくかく」していた新米議員も、自身の政治手腕に磨きをかけるうちに、いつか大物政治家にならないとも限りません。
組織で動く評論子の仕事には定期の人事異動はつきものですが、「1年目は、前任者の仕事の後追い。2年目には前年にしてきた仕事の意味が初めて自分なりに理解でき、3年目にしてやっとこさ仕事に自分自身の創意工夫が出来るようになる」と、よく言われます。
政治家も、政界への入り方ではなく、入った政界で何をしたか(何ができたか)の方が、よっぽど重要なのかも知れません。
候補者本人が、当選をめざす運動ならぬ「落選をめざす運動」に切り替えても、結局は地盤の厚さで当選してしまうと言うのは何をかいわんやですが(投票する有権者も有権者?)。
たとえ、どぶのような悪臭を放っても、どぶの中に浸かっている当の本人たちは、まったく気づかないのでしょう。しかし、壊れていてもコーヒーらしきもの(コーヒーもどき)を抽出することはできるコーヒーメーカーのように、政治家らしきもの(政治家もどき)を輩出できるシステムなのであれば、それはそれで使い続けて行くことができるのでしょう。
そういう示唆もちゃんと含まれているとすれば、それはそれで、なかなかの佳作と言うべきなのかも知れません。本作は。
おっしゃるとおりでど共感です❗️(ただ、2世3世議員は今の半分以下で良いと思います。与党引退議員の体感として9割近くは行き過ぎかと「ほぼ全員すでに小学校から東京の地元を知らない地元議員」)イイねありがとうございました。😊😊😊