「観客の倫理観、家族観を揺さぶる衝撃作」ブラックバード 家族が家族であるうちに 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
観客の倫理観、家族観を揺さぶる衝撃作
安楽死を題材にした映画がたまたま2本、「いのちの停車場」と本作が近い時期に公開されたが、判断が難しい問題への日本と欧米の向き合い方の違いが如実に表れたと感じた。「いのちの停車場」は老父が安楽死を望み娘の医師が葛藤する状況を描いて共感を誘うが、判断や結論は観客に委ねられる。
一方、2014年のデンマーク映画を英米合作でリメイクした「ブラックバード 家族が家族であるうちに」は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という体の自由が次第にきかなくなる難病で余命もわずかとなったリリー(スーザン・サランドン)が医師の夫ポール(サム・ニール)に安楽死を頼み、事情を明かした家族と親しい友人を自宅に招いて最後の週末を過ごす――というストーリー。
序盤こそ誰もがリリーの意思を尊重して残された時間を穏やかに過ごすかと思わせるが、やがてまるで違う展開に。まだ死んでほしくないと反対する次女アンナ(ミア・ワシコウスカ)が、賛成派の長女ジェニファー(ケイト・ウィンスレット)に積年の不満をぶちまけて大げんか。さらに、リリーと長い付き合いのリズにも家族の一部しか知らない秘密があり、それが発覚してしまう。
家族や親友が抱えるさまざまな問題が明らかになることで、近しい人が安楽死を望むという状況をより多面的に、立体的に考えることを観客に促すかのようだ。いつか安楽死問題に真摯に向き合い本気で議論する日に備えるための思考訓練にもなるだろう。
物事を情緒的にとらえ、賛否の分かれる議論の結論や責任を伴う決断は先延ばしにする(あるいは他人に任せようとする)日本と、対立する意見を具体的に論じて争い、最後は誰かが責任を取って決断する欧米。そうした対照的な傾向を、「いのちの停車場」と「ブラックバード」が端的に示しているように思えてならない。