「美空ひばりを想起した」ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
美空ひばりを想起した
タイトルで損をしている。ビリー・ホリデイが合衆国政府と法廷闘争をした話かと思ってしまった。ビリー・ホリデイをよく知っているアメリカ人ならそんな誤解はしないのかもしれないが、かなり昔に亡くなったアメリカのジャズ歌手は、当方には馴染みがなかった。
ジャズは飲食店のBGMでインストゥルメンタルをよく耳にする。耳当たりがよくて食事の邪魔にならない。勝手な印象ではあるが、飲食店のBGMはジャズが一番多いと思う。
当方は個人的にジャズをときどき聞く。ビル・エヴァンスやオスカー・ピーターソンといったピアニストが好きで、特にピーターソンが歌う「It's Only a Paper Moon」や、サッチモ(ルイ・アームストロング)が歌う「When the Saint on Marching In」や「What a Wonderful World」がとても好きだ。誰でも聞いたことがある歌である。
本作品でビリー・ホリデイが歌う「All of Me」も聞いたことがあったが、歌手がビリー・ホリデイだとは知らなかった。シャンソンの「Hymne A L'Amour 」(「愛の賛歌」)を長いこと越路吹雪の歌だと思っていたようなものだ。
さて本作品はビリーホリデイの凄絶な半生を描いている。だからタイトルは「ビリー・ホリデイ」だけでよかった。合衆国の弾圧よりも、麻薬の誘惑との戦いの方が多かった気がする。のべつ幕なしに煙草を吸い、男と麻薬に溺れる。麻薬が駄目なら代わりに酒をがぶ飲みし続ける人生だ。人前に立ち続けるのはそれほど魂を削ることなのだろう。
当方は、1989年に亡くなった美空ひばりを想起せずにはいられなかった。万人受けする歌ばかりを歌っていたような印象の歌手だが、実はそうでもない。ビリー・ホリデイが「奇妙な果実」を歌ったように、美空ひばりは「一本の鉛筆」という骨のある歌を歌っている。ジャズも歌っていたが、これが実に上手かった。
国民的な歌姫、早すぎる死、そして必ずしも幸せだったとは言えない壮絶な人生と、共通点はいくつかある。もちろん黒人差別という大きな足枷をかけられていたビリー・ホリデイの苦悩と比較すれば、美空ひばりはまだ幸せだったのかもしれない。
しかしその歌は、あまり歌い継がれているとは思えない。「一本の鉛筆」を歌っている歌手は、当方が知る限り、シャンソンのクミコただひとりである。世界的に有名な「奇妙な果実」とはあまりにもかけ離れている。美空ひばりも魂を削りながら歌ったことでは、ビリー・ホリデイに負けていないはずだ。「一本の鉛筆」がメジャーな歌になることを願ってやまない。