劇場公開日 2022年10月21日

  • 予告編を見る

「西洋と東洋。哲学と詩情と映画。多様な要素の幸福な融合」アフター・ヤン 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5西洋と東洋。哲学と詩情と映画。多様な要素の幸福な融合

2022年10月23日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:試写会

悲しい

知的

幸せ

“静謐”と評されることの多い、全編を貫く穏やかな様式美が心地よい。それは、すぐ隣にいる人から話しかけられるような、普通の会話とささやきの中間くらいの声量による台詞の発声や、スタイリッシュな建築のインテリアや庭を背景に人物を配する精妙にコントロールされた構図、映像に寄り添う劇中歌やBGMが醸し出す情感の組み合わせによって生み出されている。

そうした様式美はすでに、モダニズム建築の宝庫であるインディアナ州コロンバスを舞台に、韓国系建築学者の息子と図書館勤務の高卒女性(「アフター・ヤン」でもキーパーソンを演じるヘイリー・ルー・リチャードソン)の邂逅と再生を描いたコゴナダ監督の長編デビュー作「コロンバス」でほぼ確立されていた。タイプは少々異なるが、“映像詩”と称されるテレンス・マリック監督の諸作に近い、一貫したスタイルを感じさせる。

小津安二郎を敬愛し、小津監督との共同脚本を多数手がけた脚本家・野田高梧(のだ こうご)にちなんだ名を名乗るコゴナダは、韓国生まれの米国育ち、現在はロサンゼルスに暮らす映像作家。劇映画を手がける前は、委託されたビデオエッセイの形式で、小津や是枝裕和、ヒッチコックやキューブリック、ウェス・アンダーソンといった名匠たちの作品の分析と批評を行っていた。そうしたキャリアからも、映像スタイルと作家性にきわめて意識的であることがうかがえる。

湯の中を茶葉が浮遊するガラス容器の中と、AIヒューマノイド・ヤンのメモリに残されていた記憶の断片が整然と浮かぶ仮想空間のアナロジーが意味するのは何だろう。私たちが“世界”と“自己”を認識するのは記憶の蓄積によってであり、さらに言えば長い歴史の中で蓄積されてきた集合知によって、世界と自分は認識されている。そんな思索が込められているのだと、私は解釈した。

高森 郁哉