「自分も救ったマルソー」沈黙のレジスタンス ユダヤ孤児を救った芸術家 Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
自分も救ったマルソー
マルセル・マルソーって話すとこんな戯けた様な喋りかたをするのかと思って映画の途中で彼の英語での講演を聞いてみた。これは米国ミシガン大学で2001年に Wallenberg Medal (第2次大戦中ユダヤ人を救ったと言う人道的な行為のため)と言う賞を受賞したときの感謝のスピーチだった。全部聞かなかったけど、映画では彼の会話のリズムがパントマイムの調子になっているのが気になったけど、いいえ全然違うと思った。でも、講演の話し方と普段の生活で話す話し方は違うし、
ビデオではパントマイムばかりで自然な会話のシーンを見つけるのは難しかった。
この映画は英語になっているもオーセンティックじゃなくて残念。実際彼は英語も含めてドイツ語も大変上手らしい。だから、クラウス(Matthias Schweighofer)との会話はドイツ語でとか、現実に近づけるため、工夫が欲しかった。もう一つ驚いたことは実際のマルセル・マルソーはこの役者より容貌がユダヤ人である。あくまで主観だが、はっきりわかるユダヤ人顔でよくフランスでレジスタンスのグループに入るまでの間の道中でナチスに拘束されなかったなあと思った。お兄さんのアレンは捕まってしまったが。
マルセル・マルソーって芸能界において知名度の高い人だが、ユダヤ人の彼がフランスでユダヤ人でレジスタンスに加わっていてユダヤ人の子供たちを大勢助けたことはこの映画で初めて知った。ナチスの悪行を再認識するよりこの映画を通して、人を助けることにかけたマルセル・マルソーの人道的行動に感激する。なぜかというと、この負の遺産を認めて謝ったり賠償金を払うドイツに、繰り返し繰り返し主にユダヤ人監督の映画やドキュメンタリーが放映されるナチの恐怖政治に疲れてきているのかもしれない。だからこのベネズエラのユダヤ人の監督は「人助け」に焦点を当ててくれているのだと感謝している。あくまで主観だ。
一番好きなシーンは父親がステージで歌うシーンを二階からじっと見つめているマルセル・マルソーの釘付けになった視線。そして父親のいうコーシャー肉屋の仕事には食いっぱぐれがないしこの仕事は家族の伝統だと息子に話すシーン。父親も息子も芸術が生きがいだとお互いにわかり二人の心が始めて通じ合うシーン。いいねえ。でも父親のいう戦争が終わったらは二人ではもうない。あるカトリック教会の裏切りにより、父親はアウシュビッツへ。
自分の思うことは延々と書けるが、ここでやめる。マルセル・マルソーの人道的行為以外は私にとって、よく知っているトピックだったのが、この映画をつまらなくしてしまった。
一つ気になった言葉:フレンチアルプス(Montriand)を山越えしているときのエマの言葉。「マルソーは自分のために何かをする人だと思ってたが、人のために働ける人だ」と。マルセル・マルソーはここで肯定しなかった。ここが圧巻。だって、マルセル・マルソーはユダヤ人である自分自身の命も救ったから。