「いかなる場合にも加害者であるという自覚」プロミシング・ヤング・ウーマン redirさんの映画レビュー(感想・評価)
いかなる場合にも加害者であるという自覚
男子は男子であることで、すでにいかなる場合にも加害者であるのだ。女子であっでも学長のような、日本においては自民党の杉田某のようなやつらはいかなる場合にも男子と同じ目線で加害者でしかない。この映画なら学長や、マディソン。
最初はこれは面白い、痛快なスプラッターかもと思うかもしれない、でも最後まで見てそう思うなら、これはやりすぎだろとか、なんでここまでやるのかわからないと思うならそれまで。ライアンが最後に自分も加害者に加担して加害者であったことをキャシーに指摘され自分のプロミシングブライトフューチャーが危険にされされて、キャシーにクソ女といってしまう。アウト。だからそんなふうにこの映画を見て見終わってもわからないやつはアウトだ。金儲けとか仕事地位を維持するために示談にしていた弁護士が過ちに気づきメンタルになり罪悪感に支配されているらこの人だけセーフだった。わずかにかすかにキャシーもプロミシングフューチャーに行けそうかとおもうながら真実は現実を引き戻しライアンも決定的アウト。クソ女と言うな。
日本でなら[日本人]であること、男性であること、それだけで存在そのものが加害者になりうるから、そのことに自覚的であるべきでそのように教育されるべき。残念ながら国を開けで反対方向に向かい続けていますが。
簡単なことだ。自分の子だったら?自分の家族だったら?恋人だったら?自分自身に起こったたら?と考えるだけなので
[サルでもできる](実際には猿にできないかもですが)ことだけど子どものいじめから、セクハラパワハラ、DV、レイプ、性差別、人種差別、国籍差別ありとあらゆることに小さな子どもからジジイのやることなすこと、全て、他人に起こった他人事、やられたやつが悪い、自分や自分の大事な人に起きたことなら?と言うおきかえも創造力もない。
画面はポップなカラーでアメリカらしく、見ていて麗しい映画だが中身は反吐が出そうな現実。他人事としてみるな。私も見て見ぬ振りをしてないから、してしまう時もある。自分もアウト。ピリオド。
She Saidとセットで見ると良い。これは正しく教育映画。