僕と頭の中の落書きたちのレビュー・感想・評価
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統合失調症という病気
道で突然怒りながら叫ぶ人、空を見ながら話している人、 今まで出会ってきた、頭がおかしいと言われてる人は、この病だったのかな。 知らずに怖い、何この人と思ってしまったときもあった。 精神疾患は、脳の物質のバランスなどが影響してるんだな。 この映画を通して統合失調症を少し知ることができて、本人の苦しみはきっと何ひとつ理解できているとまで言えないけれど、ものの見方が変わりました。
良い映画ではあった…しかし
どこまでいってもフィクションだなという感じ。統合失調症ではないが同じ発達障害の境遇からするとあんなに理解ある母親、継父、ガールフレンドに恵まれるなんてことはまずない。現実は毒親かそうでなくても普通でない子供に失望されて腫れ物扱い。どれだけ障害者当人が受け入れて強く生きようとしても社会は「普通であること」を押し付けてくる。無能だお荷物だと言って集団からはじきだそうとする。そして精神を病んで二次障害でうつ病になっても「自己責任」「努力不足」「弱いだけ」「甘え」で健常者様片付ける。この映画の家族愛や友愛の部分だけに感動できる健常者様がさぞ羨ましいです。
「めっちゃ泣ける〜😭」
統合失調症とは、こういう事なのか。どうなのか。 私は現在鼻づまりを起こしている。分かっている、黙って聞いてくれ。 すごく辛い。口呼吸しか出来ない。臭いが分からない。 とても不便さを感じてる。 統合失調症と比べて申し訳ないが同じことだと思う(?) SNSで「めっちゃ泣ける〜😭」を鵜呑みにして涙腺バグをおこしてる私がみた感想だ。 全てSNSが正しいとは思わないし自分の価値観を押し付ける気もない。私は「めっちゃ泣ける〜😭」とは少なからずかかない感想だなと感じた。 あー鼻づまりしんどい
弱みさと向き合うことで、強くなれる
なんてありきたりの言葉で片付けてしまえるほど、簡単じゃないはず。 ほんとはもっと残酷で、死にたいほど辛くて、孤独で。あんなポップに描いてるけど、現実はもっとリアルなはず。 だからこそ、自分の生きる道を探す。ほかの誰よりもそこに必死になる。 だからこそ、自分に新鮮な景色を見せてくれる人に、生きたいと思やせてくれる人に、本気になる。 それが料理で、それがマヤで。 人は自分の弱みを必死で隠そうとするけれど、それはその弱みによって自分の見られ方が変わるから。自分の好きな人に興醒めされるから。でも、アダムは違った。自分の弱みのせいで、マヤをこの負と感じている生活に巻き込むことになるから。だから明かせなかった。でもそれを判断するのは一方的にアダムではなく、マヤにも選ぶ権利はあるよねって。 人に惹かれるって、その人のために自分が犠牲になってもよいって思えること、この人とだったらどんなことでも乗り越えられると思えること、いつもの生活に彩りを加えてくれる人こと。 こういう系は周りの家族もつらいのさ。 ポールの、父親くささをださずに、真に味方になる。1番難しい立ち位置。色々と考えたんだなって。
病気を抱えている。けれど、僕自身が病気では無い。
なんでも、ポジティブでいることだ。但し、医者が処方する薬は飲む必要はあると思う。勿論、それによって、失われる能力はあるかもしれない。
まぁ、映画だから、卒業証書ももらえたし、料理学校へも通えた訳だが、実際は諦めなければならない事もあると思う。しかし、それでも、ポジティブていよう!って事だ。
『プロム見たいな男性支配のインベントには参加しない』
自分と向き合う
豊かな個性と卓越したお料理スキルをもつアダム(Charlie Plummer)だが、統合失調症と診断される。高校で恋におち、病を秘密にしようとするけれど、うまくいかず・・・。 はたからみると異常にしかみえないアダムの苦悩がよく伝わってくる映画だった。 ヒロインのマヤ(Taylor Russell)に魅力があり、貧乏をひた隠しにしている女子にきゅんとなるセオリーも確認できるが、主題が重く安易な学園ドラマへは落ちない。真摯な話だった。 ただし映画の仕掛けとして、母の後夫ポール(Walton Goggins)が、ワルそうにしか見えないのがズルい。圧倒的にMotherlyな見た目をもつ母(Molly Parker)のパートナーとして怪しさが際立つ。 逆に映画慣れしている人から見るとポールが出てきた時点で「ワルそうに見えて実はいい人オチ」のフラグが立ってしまう──という“弊害”もあった。 なおアンディガルシア演じる聖職者には貫禄があった。 ── ところで、映画を見たくないときがある。 誰しもあると思うが、周期的にくるのと、現実生活でなにか嫌なことがあって突発的にくるのがある。 その状態にあるときは、じぶんの映画好きを疑わしく思うほど、映画を見たくならない。 わたしは現実から逃避するために映画を見る──と言うことがあるが、それはウソじゃないし、じっさい逃避を試みるが、映画で逃避できるなら苦労はしない。ご存知のとおり現実は映画を見て忘れることができるほど、やさしくない。 見たくないとき無理して映画を見ても、すぐにやめてしまう。 そんなときはTiktokやYouTubeのショートをひたすらスワイプしていたほうが何倍もましだ。 じぶんは、ふだん「~である」などと大上段かつしゃちほこ張った文体で映画レビューを書いているが、正直なところTiktokやYoutubeをだらだら眺めていた方が楽しい──と思うことは、ある。 落ち込んでいるときはなおさらだ。 わたしは精神病ではないので精神病をわずらっている人の気持ちは解らないが、そのような人を、なんとなく推し量ることができるのが、自分自身が落ち込んだときのみじめな気持ちであろうと思う。 むろん病気の精神状態はそんな生やさしいものではないかもしれないが、きほんてきに人を思い遣るばあい、それがなんであれ「自分自身の体験にもとづいて推し量る」ほかに、方法はない。 ──と精神病の苦しさを想像してみる一方で、昭和の根性論みたいな気質が、じぶんの中にないわけではない。 わたしは若い頃「寝坊しました」と言わなければいけないところを「じつは不眠症で」と言ったことがある。それを言うとき眉間に皺を寄せ深刻な顔をしていた。あとになってじぶんに向かって「おめえ“不眠症”ってんなんだよ」と言った。 すなわち、精神病の告白はその人の怠慢を言い訳してくれる。 そうやって精神病を生活態度の言い訳にする人が0パーセントだとは、思わない。 ただ個人的に“精神病”をみずからのブランド+マネタイズしているインフルエンサーにたいして腹は立たない。 なぜならそれができる(精神病を人様に披瀝できる)のは春秋の間だけだから。 メディアで年配以上の精神病罹患者を見たことがありますか。 人口比からして若者以上に精神病罹患者がいるにもかかわらず、おじさん/おばさん/老人には統合失調症も解離性障害も強迫性障害も鬱病も双極性障害も居ないかのように見える。むろんそんなことはない。 人は春秋を過ぎると(年をとると)、じぶんの問題に対して問いかけをやめざるをえなくなるのだ。
前向きに
統合失調症について無知で恥ずかしいが、本作品で少しは理解出来たかも。
家族や友人の協力無くして生きていくのは困難らしい。
でもそれを乗り越えて無事に卒業し、得意の料理学校へ進学出来た。
前向きな気持ちになれる作品。
幻覚が見えるらしいが、名前はあまり出てこないが前からチェックしていたイケメンの彼が出ていて、お!?と思った。
本当相変わらずイケメンなのである。
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