「ねじれ!!」ひらいて 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
ねじれ!!
幸福度のあるなし、愛(LOVE)の達成感を、求めているのだろうか?
中村杏奈(木村愛)の詰まらなそうに満たされない表情。
「愛してる」と告げ、「うん、僕も君が好きだ」
そう言ってほしかったのか?
この世界に「愛し方を知っている人間がどの位いるだろう?」
愛はそれで満足しただろうか?
対照的に芋生遥(いもうはるか=美雪)の日常肯定的な幸福度感溢れる表情をしている。
この映画は現実を肯定的に受け止める美雪の幸せな表情と、
愛がたとえ(作間龍斗)への思いが受け止められずに、拒絶されることで、
鬱屈し不満を肥大して行く様が、実にリアルに描かれる。
「ひらいて」
この題名を作者(綿矢りさ)の意図は内心は、どうなのか?
私には愛が美雪の秘密の部分に指を挿入したシーンで、
美雪を指で犯したい・・・そう思った筈である。
美雪を壊すこと。
美雪を汚すこと。
処女膜を指で突き破ること・・・
しかし美雪は愛よりある意味で上手(うわて=強者)であるのだった。
愛の愛撫を喜んで受け止め快感さえ隠さない。
愛イコール《あばずれ》
美雪イコール《聖処女》
こう見える構図。
多分《たとえ》にも、美雪を清純で優しい女・・・そう思う価値観に落ちているが、
美雪は果たして愛より清純な女だろうか?
美雪は男が女に抱く幻想・・・女らしく、優しく、か弱い・・・
実際に美雪はそう言う少女なのか?
私には、そう思えないのだ。
現実の美雪は、愛の指の愛撫を快く受け止める、愛のキスを快く思い。
オネダリしたくなるほど正直である。
そう美雪は快楽にも《たとえ》にも素直にありのままの自分で通用する得な性格=屈折しないことで
《たとえ》の愛を素直に享受している。
美幸は愛の屈折した愛撫さえ愉しむゆとり・・・さえあるのだ。
そしてその愛の愛撫の事実をほぼ隠さずに、たとえに告げてすらいる。
愛は美幸に敗北感を覚えた。
しかしくじけない。
そこで負けを素直に認める愛ではない。
この映画の突き抜けない中途半端な復讐心。
こここそ綿矢りさの綿矢りさたる所以。
男(愛の好きな《たとえ》さえ、愛の本当の姿を認める知性は欠けている)
男は図式的なものに惹かれる・・・
分かりやすい優しさ、分かりやすい母性、分かりやすい素直さ。
それは美幸が持つ美点。
木村愛の《たとえ》への積極的アプローチは、《たとえ》に
「嘘吐いてるでしょ!!」と却下されてしまう。
愛の《たとえ》への渇望は永遠に満たされない。
木村愛の飢えを満たす男など、この世に存在しない・・・のではないか?
男女が魂の深い交換。
男女が性的接触を好まなくなって来ている世相。
女が男によって満たされる、
男が女にとって《真に結ばれることの困難》を嫌と言うほど味合う映画だったが、
この事実は実は21世紀だからではなくて、500年も前から、
《真実の愛》
そんなものは思い込みと幻想に過ぎないことを、改めて知る・・・
《男女の心のボタンの掛け違い》をテーマにしているが、実は
《男女の愛の不在》を常に描きかつ、渇望はしているのではないか?
人間は本来、
他者に自己を肯定して貰いたい。
そう思う。
まぁ、そんな事だと共感します。レビュー書いていて、誰も何も言っていただけないと、自然と辛辣な表現になりますね。
ところで、最後の台詞教えていただければ幸いです。すみません。
とても鋭い洞察力をもって書かれたレビューですね。正直、愛のキャラクターにばかり目が行ってしまい、たとえや美雪についてはそこまで深く考えられませんでした。
本作はいろんな解釈ができる作品だと思いますが、琥珀糖さんほど本作を深く読み解くことはできず、おざなりなレビューとなってしまいました。とても参考になりました。