劇場公開日 2021年10月22日

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「色々とヌルくなった現代日本風のリメイク」CUBE 一度入ったら、最後 アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0色々とヌルくなった現代日本風のリメイク

2021年10月22日
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鑑賞方法:映画館

怖い

知的

1998 年公開のカナダ映画のリメイクとあるが、設定だけを受け継いだような形で、物語はほとんどオリジナルである。カナダ版の監督が製作に協力しているらしい。カナダ版には2つの続編があるが、それらとは無関係である。私は原作のカナダ版を 23 年前の公開時に見ている。

ある日目覚めると、縦横高さそれぞれ 4.2m の立方体の中に置かれているという人物たちの物語である。統一された衣服と靴以外は何も持っていない状況であり、何故連れて来られたのかは不明である。お互いの名前も素性も知らない者たちが、協力し合って出口を探そうとするのだが、時々致死性のトラップが仕掛けられている部屋があり、それを避けながら進まなければならないという非常にストレスのかかる設定になっている。

部屋の構造は、立方体の6面全ての中心部に金属製のハッチがあって、隣室との出入りが可能であるが、上下の移動は重力の影響を受けるために容易ではない。また、場合によってはハッチが開かない場合もある。こうしたキューブが3軸方向にそれぞれ 26 室ずつつ繋がっているので、部屋の総数は 17,576 室もあることになる。また、不定期に部屋が移動する場合がある。このため、各軸とも1列分の空間が余分に必要となり、建物の全体は、1辺が 4.2 × 27 = 113.4m もある巨大な立方体になっている。

隣の部屋へ移る際に通過する窓には3個の数値がプレートとして貼ってあり、その中に素数があれば隣室にはトラップが待ち受けているというルールなのだが、部屋の移動が起こってしまうと隣室の関係は崩れてしまうので、車の走行距離計のような可動式の表示器を使わなければならないはずである。また、原作では素数の冪乗の部屋にもトラップがあるため、素因数分解を素早く行う能力が必須になっていたのだが、本作では冪乗までは対象にしていない。

原作ではトラップの種類も多様で、使われているセンサは、音声以外にも加圧、振動、接触、物質などがあり、アクチュエータには刃物の他に強酸や炎なども出て来たのだが、本作ではかなり機能が低下した印象を受けた。逆に、中の人物の感情に呼応したトラップがあったのには新規性を感じた。徐々に明かされる各人物の抱えた事情も独特で、家庭内の DV が大きく取り上げられているのは時代を反映したものであろうか。

大きなキューブを一つ作ってしまえばほぼ舞台が完成するので、非常に安上がりに作れる一方で、背景や人物の見た目に変化がない分、演技力が求められることになる。出演者たちはそれなりに頑張っていたが、中年男性が吉田鋼太郎しかいなかったためであろうか、菅田将暉の家の DV 父親の声だけの出演を吉田が兼務していたため、菅田と吉田が親子なのかという無用な誤解を生じていた気がした。

音楽は劇中のものは素晴らしかったが、エンドロールで流れて来た星野源の歌の出来が悪く、映画の余韻を台無しにしてくれたので腹が立った。演出は原作に比べてかなりマイルドになっていて、もっと冷徹で容赦ないトラップの見せ方を工夫した方が良かったのではないかと思った。

そもそも、立方体はあまりにも幾何学的で、非人間性の象徴であり、調和を表す円や球、人間の姿などとは対極にある。原作版では画面が常にこの人工的な空間にあることを意識させた演出が徹底していたのだが、本作は凡庸なバストショットが多く、空間的な異質さが強調されていなかった。人が犠牲になる場合も、原作版では体全体が立方体に刻まれたり、酸で溶かされたりと、人間の形を失いながら死んでいくのに対し、本作では体が切り抜かれたり打ち抜かれたりはするものの、原型を保ちながら死亡しており、テーマ性が薄れているのが非常に物足りなかった。
(映像5+脚本3+役者4+音楽4+演出3)×4= 76 点

アラ古希