「キャシーの「不安定さ」がすべての元凶」過去を逃れて talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
キャシーの「不安定さ」がすべての元凶
<映画のことば>
「やり直しましょう。メキシコに戻って。
陽射しを避けてあなたと会い、
月明かりの下で私の話をしてあげる。
あなたが私を愛してくれるまで。」
「一生、警察に追われるぞ。」
「あなたと一緒なら構わない。
他の女のことは忘れなさい。
あなたには私しかいない。
私も同じ。二人は似てるわ。」
「押しが強い」というべきのか「気が強い」というべきなのか。
はたまた「自分をしっかりと持っている」というべきなのか…。
そういう女性だったのですね。
キャシー・モフェットという女性は。
そういう意味では、よほど腹が立つことでもあったのか、自分のパトロン(?)を拳銃で撃って大金を持ち逃げしたのは、「いかにも彼女らしい」という所業なのかも知れません。
一方のジェフにしても、そのキャシーと関わりを持ったに瞬間から、彼の「人生の歯車」は狂い始めたということでしょうか。
探偵業の単なるマルタイ(調査対象者)として接触しただけのはずだったのですけれども。
その「意志(自我?)の強さ」こそが、キャシーの魔性でもあったと、評論子は思いました。
ちなみに、犯罪の動機や背後には女性が関わっているということを指す言い回しに「犯罪の陰に女あり」というものがありますけれども。
そもそもが、ウイットがキャシーな対して放った「追っ手」だったはずの探偵のジェフの手中に落ちそうになると、反対に彼を懐柔し、あまつさえ、ジェフの方から、手に手をとっての逃亡を提案させるに至っては「何をかいわんや」というべきでしょう。
そういう素性のキャシーを指して「ファム・ファタール(悪女)」というかどうかはさて措くとしても、上掲の映画のことばも、彼女のその「強(したた)かさ加減」を言い得て、余りがあったというべきだったと思います。
ジェフにしてみれば、探偵という正業を捨て、依頼人であるウイットを捨て、ガソリンスタンドの経営者、そして結局はアンという婚約者をも捨ててキャシーの逃避行に巻き込まれていくジェフよ姿は、まさに本作の邦題どおりに「過去から逃れて」の末路ということですし、キャシーにしても、その奔放な生きざまから「逃れる」ことはできなかったということでしょう。
それぞれがたどった軌跡は「運命のいたずら」と言ってしまえばそれまでなのかも知れませんけれども。
それぞれの切なさが胸に痛い一本だったことは、その通りだったと思います。
気の強さの一方で、嘘で自分の立場を糊塗しなければならなかったということは、それは、反面ではキャシーの「不安定さ」を意味していたのかも知れないと、評論子は思います。
そして、その「不安定さ」こそが、ジェフを本作の「泥沼」に引きずり込んだ元凶に他ならなかったと、評論子には思われてなりません。
その意味では、いわゆる「フィルム・ノワール」といわれる作品群の一本としては、なかなかの良作には仕上がっていたというべきだと、評論子は思います。
(追記)
ガソリンスタンドの経営者という「顔」を得てからはベイリー姓を名乗っていたジェフでしたけれども。
日本のようには統一した戸籍制度は持たず、「出生証明書」「結婚証明書」「死亡証明書」が(別々の役所から)それぞれ得られるに過ぎないアメリカでは、「成り済まし」が、比較的容易のようです。
本作のジェフが、本来のマーカム姓を隠して、ベイリー姓を名乗ってアンとも婚約までできたのには、そんな背景があったのかも知れません。
(日本だと、婚姻届を出す段階で、本当の姓が露見してしまう)
本作からは、彼の地(アメリカ)での、そんな「戸籍制度」が垣間見えるのかも知れません。