「【公共と、市民のリテラシーと、対話の力】」ボストン市庁舎 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【公共と、市民のリテラシーと、対話の力】
「パブリック」という映画を思い出した。
日本語タイトルには、確か”図書館の奇跡”というサブタイトルが付いていて、なんか、良い話っぽさが強調されているように感じたりしたが、あれは「公共」とはなんぞやということが、本当のテーマだったと僕は強く思っている。
なんでも、ウェットな感動に結び付けることを前提に考えるのは日本人の悪い癖だと思う。
この「ボストン市庁舎」は、アメリカの中でも、ボストン市が、その自治において稀有な存在であることを前提に制作されたのだと思う。
そして、アメリカ市民のみならず、日本の人々にとっても、その時々のリアリティ、出来る出来ないで判断せずに、”出来る可能性がある”、”やってみる”で実行すれば、多くの改善が実現できるのだと、4時間半と長い時間をかけて例示しているように思える。
驚かされるのが、市民や公共サービスに努める人々のリテラシーの高さだ。リテラシーとは、一義的に読解力のことだが、一(いち)言って十(じゅう)分かるというのも含めて、理解力と同義として使わせてもらいたい。
住民側に説明する市側の人は、日本ではありがちに思える妙にレベルを落としたり、独特なターミノロジーを用いた、市民の参加者をある意味バカにしたような説明はしない。更に、市民の側も、コミュニティを代表して来ている人も、論点をずらさず、議論したり要求を突き付けたりする。バカな日本の国会議員のようなヤジや、吉本芸人のようなボケもツッコミもない。
映画で取り上げられるボストン市の公務員は、業者の説明に対して、必要なところを厳密にチェックし確認して齟齬のないように努め、住民サービス担当の公務員も、問題に対する対処をパッチワークのようにせずに、更なる解決策があれば、それを提示するのだ。
これはボストン市の公務員も住民も市民としてリテラシーが高いことを示しているように思う。
実は、映画に取り上げられる場面にいちいち意味があると感じる。
だから長いのだ。
きっと、レビューに長いという人が結構想定されるが、果たして、それで良いのだろうか。
ボストン市は、アメリカの中でも屈指の大学が集まっている都市だ。
そして、多様でリベラルで、且つ、教育水準の高い市だ。
しかし、市民の間には、過度な競争意識が醸成されず、退役軍人の再就職や、貧困、高齢化、過度なコマーシャリズム化問題にも対処することが必要だとの認識を変えないでいる。
トランプ政権下で撮られた作品だが、自分たちこそが、ボストン市発信で、マサチューセッツ州を対話の力でリードし、米国政府も変えるのだというモチベーションも誇りも感じられる。
アメリカの白人至上主義者には、実現可能性がないとかリアリティがないという思考に対して突き付けられた対極の事実で、これを観たら単純に”感情的に”頭にくるだろうなと思うし、日本でも、「自助、共助、公助」の順番でと語呂の良さにうっとりし、過度に民族主義やパターナリズム(父権主義)に依存し、多様性を認めず、防衛も軍備拡張でしか考えることが出来ない安倍終了チーン三やアホウ太郎、菅義ひでえ、お二階から降りてくるな、竹中かとちゃんぺッ蔵、そしてネット右翼連中は発狂するかもしれない。まあ、こうした連中は長い映画には耐えられないし、自分の考えに固執したリテラシーがない人々だ。
僕は、どちらかというと宏池会押しなので、岸田さんには期待したいが、岸田さんの掲げる対話は、岸田さんにとどまるのではなく、各自治体に対話を促すようなこともぜひ力を入れてもらいたい。
都道府県議会までは何とか追いついても、区市町だと、あれ?みたいな人は多いはずだ。村は違う気がする。住民と対話し、改善の方向を見出せないような議員は国会であれ、県議であれ、区市町議であれ、不要なはずだ。
そして、宏池会をはじめ、保守本流であれば、多様な社会の実現の一歩として、LGBTQ差別禁止や、同性婚、別姓婚、外国人差別の禁止、入管の暴行まがいの行為禁止には絶対取り組むべきだ。
冒頭に戻るが、映画「パブリック」で感動するのは悪くないことだ。
だが、ボストン市民が、すべてとは言わないが、これを観たら、行政とは何か、公共サービスはどうあるべきかを議論すると思う。
僕の、このレビューで腹立つ人もいると思うが、申し訳ないけど率直にそう思う。