「アメリカ映画からアジア三国が見える」ミナリ シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカ映画からアジア三国が見える
『ノマドランド』の直ぐ後に鑑賞しましたが、これも韓国人が作ったアメリカ映画です。
内容的には昔の西部劇によくある、ヨーロッパ移民の西部開拓史を近年に置き換えたような、そして、それが韓国人家族がであってもアメリカのフロンティア精神の伝統が伝わるアメリカ映画でした。
時代は変われど元々がアメリカは移民の国であり、多民族国家だということを象徴した様な物語でした。
『ノマドランド』やら本作を観ながら、私は物語よりもアメリカと中国と韓国と日本の精神文化の微妙な相違と融合点の様な事について、色々な思考が勝手に頭の中を廻っていました。
昨年アカデミー作品賞を取った『パラサイト』は韓国映画でしたが、本作は韓国人が主役でもれっきとしたアメリカ映画であり、残念ながらそういう作品を日本人は何故作れないのか?ということを、鑑賞中に色々考えてしまいました。
恐らく『パラサイト』の様な受賞なら、日本映画でも可能かも知れませんが『ノマドランド』や本作の様な作品を、日本人が作れる可能性はまだまだ難しい様に感じられ、その辺りが日本とアメリカや中国・韓国との映画製作での決定的な差の様な気がしました。
昨今の中国・韓国映画の娯楽映画に於いてもアメリカングローバル化が進み、ハリウッド映画と比べても遜色ないスケールの作品が産まれていますが、良くも悪くも日本映画はガラパゴス化の状況にあり、ゲームやアニメ業界だけが逆にそれが功を奏している。
ダンスなどもそうですが、個人では素晴らしいスキルのダンサーがいて世界で活躍していても、日本映画ではまともなミュージカルやダンス映画は1本もない。
最近のアメリカ映画ではアジア圏の人種が主役の物語も増えていますが、アメリカが舞台の日本人が主役の純粋なアメリカ映画を私はまだ観たことがなく、日本人だけが良くも悪くも、魂から溶け込めない浮いた存在の様に感じられます。これは否定ではなく、日本映画(というより日本人)の持つ特質であり、一方アメリカ人や中国・韓国人の、共通した大陸的特質(韓国は半島だが)の差などがあるのかも知れません。
『SAYURI』『ラストサムライ』『沈黙』の様な、日本好きの海外の作家が日本を舞台とした作品なら今後も作られるのでしょうが、恐らく日本はいまだに精神そのものが鎖国状態のままなのでしょうね。