「焦点が絞れないままに共闘を描いた結果」仮面ライダー ビヨンド・ジェネレーションズ nazionaleさんの映画レビュー(感想・評価)
焦点が絞れないままに共闘を描いた結果
結論から言えば見る価値は それなりに ある。
センチュリーの変身シーンはシンプルにカッコいいしアクションもスピーディでグッとくるものがある。
劇場の音圧がもたらす効果も大きく、伝わる迫力はやはりテレビで見るものとは異なる。
次代の本郷猛はそこに立つだけで奮い立つものがあるし、彼の変身を見られただけでも価値あること。
ただ言ってしまうとそれだけ。
肝心の本編はとかく雑さが目につく。
急に現れるセイバー勢との整合性を合わせようという気はハナからなく、取り敢えず出しました感が拭えない。
終盤セイバーのライダー達が並びたちライダーの意義を唱えるシーンがあるが、それもセイバー勢に見所を与えるためだけに作ったという感じで必然性が感じられない。
コラボレーションするならば意味があって欲しいところ、ただリバイスにねじ込んだだけ。
はっきりいってセイバー勢を出す必要があるのか?という疑問が湧く。
登場人物の感情の起伏、行動の導線も行きあたりばったりで、さっきまで仲違いしていたのに急に共闘していたり、なぜそうなったのかが描ききれていない。
例えば百瀬親子が協力してセンチュリーへ変身するまでの流れ。まずいつ息子の前から姿を消したのか も曖昧でその時点で感情移入しづらいなとは思っていたものの、50年放ったらかされ憎んでいたはずの父親が新幹線の切符を持っていた というだけで許しちゃうのも 切符というアイテムありきでそこに至るまでの感情の流れが粗い為唐突に感じられ、中々物語へ入り込めない。
根本的にこの作品の主人公は百瀬親子でありセンチュリーであるのは明白。
であるならばいっそセイバー勢を無理に出す必要がないと思うし、そこに割く時間を多少なりとも主要人物の掘り下げに使った方がより作品全体の必然性やメッセージも浮き彫りになったのではないか。
セイバーのコンセプトとも言える約束という要素を活かしたかったのは理解できるものの、正直表面的。
ただ言葉の上積みだけすくっているだけに思えてしまう。
勿論冬映画は現行とそれ以前のライダーの共闘を全面に押し出している故それを抜きに出来ないのも理解できる。ただならばこの内容にすべきじゃなかった。
もしくは意味を持たせるべきだった。
勿論ターゲット層的にも話を複雑化させ過ぎるのはよくないものの、物語へ入り込むという面において感情の描写やプロセスはもっと大事にして欲しい。子供達だってそこは見抜く。
結果として作品自体が伝えたいメッセージは理解できても、伝わってくるものがない空虚な作品に仕上がってしまったと感じる。
様々な縛りがあるのも分かるし、その中で一本の作品を作り上げる難しさも理解できる。
ただ、伝えるという部分において決定的に誠意が欠けていると思えてしまった。