あの夜、マイアミでのレビュー・感想・評価
全14件を表示
黒人カルチャーのレジェンドの素顔に触れた気分
アメリカの黒人セレブの中でも指折りの4人が一緒に一晩を過ごしたという実話をもとにした舞台劇を、俳優でもあるレジーナ・キングが自らの初監督作として映画化。舞台の映画化には、映画の形式に徹底的に翻案したものと、舞台の表現に近いものとに二分されるが、本作はその中間くらいの位置づけだろうか。確かに限定されたロケーションの会話劇ではあるのだが、手練のカメラワークや編集センスが光っていて、安定の職人技という感じがする。キャラクターや会話に重きを置く内容だけに、映像にやたらと凝ったりしない作り方を選んだレジーナ・キングは、信用に足る映画監督なのではないか。
自分はサム・クックのファンだし、マルコムXやモハメド・アリの履歴もある程度知っていたのでレジェンドたちのプライベートな姿(もちろんフィクションとしてだが)がすんなり入ってきたが、ちょっと彼らや歴史的背景は知っていた方がいいとは思う。でもまあ、まずは本作で、不世出のシンガー、サム・クックの軽妙さも、シリアスな面も、素晴らしい歌声までも見事に演じたレスリー・オドムJr.のパフォーマンスから入ってもらっても大丈夫な気がしますよ!
たった1夜の出来事から永遠が見えてくる
マイアミのコンベンション・ホールでカシアス・クレイがソニー・リストンを打ち負かして世界ヘビー級チャンピオンになった夜、勝利の歓喜を引き摺るクレイを、友達のマルコムX、サム・クック、ジム・ブラウンが囲むモーテルのスイートでの話。これはあくまでフィクションだが、彼らの口論からは様々な情景が見えてくる。当時、信仰していたイスラム教への不信感を増幅させていたマルコムXと、彼の思想に共鳴して自らもムスリムに改宗し、モハメド・アリと改名するクレイの信頼関係、マルコムから白人社会に迎合していると批判されるクックの内的葛藤、黒人選手を使い捨ての道具と見なすフットボール界からおさらばして、ハリウッドで俳優になると告白するブラウンの静かな決意。。。全ては1964年の出来事だが、何かを信じ、裏切られても、各々の思いを胸に差別社会のアメリカを生き抜こうと誓い合う4人の姿は、決して過去のものではない。現在も、そして、未来永劫続くであろう苦闘の象徴なのだ。たった1夜の出来事に永遠を見出した基になる舞台劇の脚本が見事だが、これが監督デビューのレジーナ・キングは、密室を頻繁に動き回る4人をオーバーヘッド・ショットや鏡を使ったショットを駆使しながら、躍動感を演出することに成功している。だから、膨大な台詞を追う観客の頭だけでなく、目もフル稼働させるのだ。本作は「サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ」と並んで、Netflixが席巻しそうな今年の賞レースに殴り込みをかけたアマゾンの勝負作。作品選びに関してはアマゾンのセンスもなかなかだと思う。
サム・クックつながりで視聴。どういう人物だったのかを知りたくて。性...
サム・クックつながりで視聴。どういう人物だったのかを知りたくて。性格など忠実に映画化されていそうだけど思っていたようなカッコよさは残念ながらなかった。むしろマルコムXがイケメンすぎる。しぐさが優雅な魅力あふれたカリスマ。これほどじゃないとアメリカでリーダーになるのは難しいのだろうか。モハメド・アリの若き姿。ラッパーの才能もある。ジム・ブラウン 今まで知らなかった人物。1930年代アメリカで輝く才能をもった4人の黒人たちの室内劇。
アーティストだと作品と人物そのものを混同して好きになりがちだけど この映画見て思った。歌や絵と本人は全く別。歌や絵や小説を好きになったとて本人をまるごと好きになるのは万に一つもないのだろうなと感じた。
8/20
「リマスター サム・クック」拝見。「その夜、マイアミで」をみた後サム・クックに対して残念な印象を持ったが「リマスター」を見たらまた違った。サム・クックファンなら「リマスター」の方がより楽しめる
肌の色
2024年5月10日
映画 #あの夜マイアミで (2020年)鑑賞
#カシアス・クレイ がヘビー級世界王者となった夜、祝うために友人の #マルコムX、#ジム・ブラウン、#サム・クック がマイアミに集まった
4人の架空の対話を通して黒人差別の問題を描き出す
リアルにこの4人の関係を知りたくなりました
幻の夜
4人の会話はフィクションだけど、彼らのしてきたこと、この後の行動の本質を捉えていて、あり得たかもしれないものになっている。言葉が交わされなかったとしても、相互に作用し合ったのではと思わされる。
サム・クックが著作権の管理をしていたことや、ボブディランの風に吹かれてに影響を受けたことはドキュメンタリーでもみたことがあった。会話のディテールはかなり慎重に検討されているように思う。
TVで披露されたあの曲も、あたかも本物のようで感動。その時のTVの映像は残っていない。それが歴史だと考えなかった人たちが残してくれなかった。でも物語は残った。
マルコムXによって語られるサム・クックの「チャント」が美しい。彼は人々の心を強く揺さぶる存在であることを、私たちやマルコムXに印象付ける。
ジムブラウンのある家のポーチでの出来事やサムのコパカバーナでの出来事など、自尊心を削られる経験を生き抜いてきたんだなあと思う。
実物に似ている
おりしも公民権運動まっただ中の1963年。マルコムXは状況に危機感を持っている。白人社会で成功した黒人の英雄たちに、啓蒙ではないが、現況の意識の共有をしようとする。
個人的にいちばん興味深かったのはサムクックとの論駁。
マルコムXからサムクックは白人たちに媚び阿付しているように見えており、そのスタンスを面詰する。
サムクックの反論はブリティッシュインヴェイジョンの冥利についてだった。
ブリティッシュインヴェイジョンとはイギリス勢がアメリカのチャートを席巻する現象で、何度かある。
じぶんが経験したのはスミスやニューオーダーやデキシーズミッドナイトランナーズが流行った時代──チョボスキー監督のウォールフラワー(2012)の時代=80年代のインヴェイジョン──である。
サムクックが話したのはビートルズやローリングストーンズが台頭した草創期のインヴェイジョン。
それによるとボビーウーマックのIt's All Over Nowのカバー権利をローリングストーンズに与えたところ、R&Bチャートの下位にしか入らなかったその曲が全米ナンバーワンを獲得してしまった。
その人気格差にいったんは消沈したものの、半年後に莫大な印税が入ってきた。
で、サムクックは黒人が書いた曲を白人がカバーしたときの構造的勝利に気づいた。
白人たちがローリングストーンズのIt's All Over Nowを大喜びで買い求めるとウーマックや権利者のサムクックに金が入ってくる。したがっておれは白人社会におもねてはいない──というのが彼の言い分だった。
ところがマルコムXは発信力のあるサムクックが黒人の立場を歌っていないことに不満をもっており、その場でレコード──ボブディランのBlowin’ in the Windをかけたのだった。
『How many roads must a man walk down
男はどれほどの道筋を歩いていかなければならないのか
Before you call him a man?
人ととして認めてもらうまでに』
マルコムXはそれを聞かせ「ミネソタ州出身の白人が何も得るものはないのに、我々の闘争や人権運動の歌を書いたんだ。闘争に声をあげるとビジネスに影響すると君(サムクック)は言ったが、なぜこれは上位チャートに入ったんだ?」と問う──のだった。
わたしはディランの風に吹かれてにそういう意味があるとはしらなかった。
四者は他にもさまざまなディスカッションをするが、基本的にマルコムXはなんとか現況を打破しようと焦燥しており──焦燥ゆえの綻びはあった。
もうひとつ印象的だったのはジムブラウンがマルコムXに述べた濃淡の見解。
「君の肌色は明るいだろ。もっとも(闘争に)声をあげているのは肌の色が明るい君たちだ。・・・ごまかさないでくれよ。おれたちは同じじゃない。たとえば白人のいないところでは、黒人の女は肌色の薄い者と濃い者に分かれている。」
とうぜんだが黒人といえども、みんなが同じ方向を向いているわけじゃない。黒人の運動をぶちこわしにするのは黒人──を示唆する描写がこの映画にもある。
ダニエルカルーヤが主演したユダ&ブラックメシア裏切りの代償(2021)はまさにそういう話だった。
ブラックライブズマターの創始者だって表向きには被差別を泣訴しながら私服を肥やし、豪邸買いまくっていた。
映画では黒人=いい奴の単純図式がしばしば使われるが、それに感化されてはいけない──という話。
が、根本に奴隷制度の悪しき腫瘍がある。冒頭のエピソードはグリーンブックのように強烈だった。
ジムブラウン(演:Aldis Hodge)が荘園主の屋敷に立ち寄る。主人を演じていたのはボーブリッジス。あの好々爺な見た目。下にも置かぬもてなし。シーズンを勝利したかれの健闘を称え、君はジョージア州の誇りだとまで褒めちぎる。──ところが家具を動かしてと家人にたのまれ、いったん席を立つ。「家具を動かす?それなら私も手伝いますよ。」と助っ人を申し出ると「黒人は家に入れない。」と言って断られる。
そんな種類の屈辱は、忘れられるものじゃない。
根が差別主義ならば、最初から唾棄してくれたほうが、よっぽどまし──という黒人の言い分がすごくよく解る。
ただ極東のわれわれ日本人に黒人問題をうんぬんする資格はない──が私的な基本見解。わかっておらず、体感もしていない者が他人の闘いに意見するのはまちがいだ。
映画はBlowin’ in the Windに対するサムクックの回答A Change Is Gonna Comeで幕を閉じる。
『俺は川のほとりの小さなテントに生まれ、
この河と同じように
それからずっと走り続けてきた
随分長く長くかかったけど
俺はわかっている
変わる時が来ると』
冒頭シーンの先制パンチに頭がクラクラした
アメフト選手のジム・ブラウンが知人の白人男性宅を訪問する場面。あのシーンが、黒人人種差別の根の深さを物語っていた。
差別している意識がないんだもん。自分は黒人に理解がある善人だと思ってるんだもん。自分なら、こんな無知な人とどう戦う?
この場面があったから、この後の4人の会話シーンにグッと引き込まれた。彼らの原動力になっているものは何なのか、なぜこんなにも怒りに打ち震えているのか。信念のために自らの人生を、命をかけた人間が発する言葉の重みがひしひしと伝わってきた。
4人を知らなくとも
その会話を楽しめる一作になっていると思う
一瞬も見逃せないような会話の応酬
しかもすごいことを言ってるのよ…
一番印象に残ったのが、
「なんで白人は黒人に差別をしなかっただけで賞賛されなきゃなんねえんだ。じゃあ俺たちは犬にも頭下げて歩かなきゃいけねえのか」
っていう。
本当にそれっていう。
脚本を見てみたい。
名台詞の連続。
偉人達が語り合う夜
黒人の歴史において最も重要な人物4人が一同に介し、各々の考えや想いを語り合う一夜を描いた会話劇。
登場人物のバックボーンをある程度知らないと、このシチュエーションが意味するものや会話の中身の理解は難しそう。。
私には難易度が高く、映画としては楽しめませんでした。
会話劇なのに、こんなにおもしろい
ただただ会話してるだけなのになぜかとんでもなくおもしろい
どうしてだろう
レビューしていても全くおもしろいポイントをしっかり書けないほどなぜかおもしろい
1964
マルコムXとサムクックのアプローチの違いが論争の軸ではあるが、黒人の肌の色の濃さの違いなど、様々な変数が入り個々の距離を多次元の中で測っていく。異なる個々が連帯を保ちながら如何にして世を変えるべきか。一夜共に過ごし語り合うことの重要性が浮き彫りになる。
その後の公民権運動の混迷を考えてみれば、結末を知る我々からはそれを透かして観劇してしまう。しかし、長い時を経て彼らの影響の大きさと示したベクトルの先に変化があったことも見えている。そして、更なる変化は今も必要なことも知っている。今、何を語り合うべきか。古い時代の劇をのぞき見れば自らの像が反射する。a change gonna come.
偉人たちのしゃべり場
少々食傷気味であったいわゆる「黒人差別物」だが、これは全く新しい語り口の傑作であった。
基本的には主要キャスト4名による会話劇だが、それぞれが全く違うジャンルで歴史にモンスター級の爪痕を残した人物たちであり、キャラが立ちまくっている。
いくらでもエモーショナルに演出できたはずだが、極めて淡々と、しかし極めて熱いディスカッションにより話が進み、その真剣さが胸を打つ。
よくある黒人(被差別者)と白人(差別者)という対比だけではなく、黒人の中にも様々な「違い」があり黒人同士でも複雑な感情が内在しているため、一概に白黒で語り切れるものではなく、それが現代にも通じる問題であることに改めて気付かされる。
そういった一種の「対立」をあくまでも会話劇により露わにしていくところが見事であり見所となっている。
これは女性監督のなせる業かもしれないが、本作の目線は一貫して優しく、母なる視点が感じられる。
無駄に熱苦しくないところに好感が持てた。
2021年公開作品としては早々に年間ベスト級と言える一本であった。
偉人たちの人生が交錯した夜が現代に語りかけてくる見事なレジーナ・キング監督デビュー作に感動!心満たされる
きっと変化は訪れる、長く険しい道のりだったけどいつかきっと --- 時は1964年、ボクサーのカシアス・クレイ、歌手サム・クック、アメフト選手ジム・ブラウン、そしてマルコムX。ブラックパワー黒人の影響力を象徴するアイコンたち、彼らの運命が重なり合った奇妙で奇跡的な夜。ケンプ・パワーズ(『Soul ソウルフル・ワールド』)の書いた同名舞台の映画化で、女優レジーナ・キングの見事な監督デビュー。彼女自身が経験も豊富な素晴らしい役者ということもあってか、実在の人々を演じるキャストのアンサンブルによって更に高められている。偉人たちの中に見える人間性や葛藤が、今日に語りかけてくるよう。マルコムXの付き人(?)カリーム役は『ジョン・ウィック』シリーズでコンチネンタル・ホテルの受付をしているあの人、イメージぴったり。作品全体を通して小手先などでなくエモーショナルでパワフル、問題意識を喚起しながらもまるで説教臭くない。表現として誠実で、なんて力強いのだろう。自分にできることは何か?それを皆が考え手と手を取り合って生きていけば世界は良くなるかもしれない、皮肉なんかじゃなく素直にそう思える。思わせてくれるような揺るがない力強さがここにはある。名曲パワーもあって純粋に感動した。悲しみや複雑な気持ちも入り交じりながらも、いや、なんて希望に満ちた余韻だろう。
inspired by true events...「気持ちは嬉しいが黒人は家に入れないんだ」ン!ア!ン!ア!「君はたやすく山を動かせる」私は兄弟のために殉教者になるしかない
全14件を表示