アウシュヴィッツ・レポートのレビュー・感想・評価
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命がけで「伝える」という視点が際立つ
アウシュヴィッツ収容所のおぞましさは今でこそ世界中の誰もが知っているが、そもそもの詳細な実態は命がけでこの場所から脱出した者たちによって外へと伝えられた。本作はいわゆる収容所モノではあるが、重点が置かれるのは”生き延びる”ことではなく、むしろ”伝える”ということ。1分1秒が惜しい。このわずかな時間にどれだけの命が奪われていることか。息も絶え絶えに山道をゆく主人公らを駆り立てるのは、そういった人々を救いたい、救わねばという使命感だ。やがてその思いが客観的事実に基づくレポートとなるわけだが、テーブルを挟んで地獄の実情を受け止める人々の表情が印象深い。特にそのやりとりを長回しで描くくだりは両者の感情のうねりがシビアに伝わってきて、極めて忘れがたいものに仕上がっている。主人公がスロバキア人であり、本作がスロバキア映画であるのも、我々がこれまであまり目にすることのなかった興味深い視点と言えるだろう。
エンドロールで星0.5追加
2人の若者がアウシュヴィッツから脱出し、収容所内で行われていたこと=ナチス・ドイツの蛮行を、初めて世に伝えたという実話に基づく映画。
大まかな映画の構造としては、脱走した2人が、無事、任務を果たせるか、というサスペンス。
収容所内で刻一刻と犠牲者が増えていく、ということと、彼らの任務をカットバックで描くのだが、これがいまひとつ機能しない。
そもそも、脱走した2人の若者の背景があまり描かれず、感情移入しにくい。
こうした、踏み込み不足は随所に見られる。
例えば、2人のうち1人は足にケガをしながらの逃避行になるのだが、このケガが、いつ、どのようにしたのかが分からない。もう少し描いてくれたら、共感出来るのに、とフラストレーション。
ついに2人はハンガリーの赤十字社にたどり着くのだが、そこでタイプライターを渡される。
ここで、映画のタイトルにもなっている「報告書」を書くことになるのだが、執筆の労苦も描かれないばかりか、完成のシーンもない。それが、世の中にどう受け止められたかの説明もほとんどない。
あれ?ここがクライマックスなんじゃないの?と、なんだかスッキリしない。まるでオチのない落語を聴いたみたいなのだ。
本作には上記の通り、物足りないところはある。
それでも、収容所内の描写は、あらためて衝撃的だし、ナチスの将校が囚人をピストルで殺すシーンなどは、ハッとするような画面構成を見せるなど、魅力的なところも多くある。
そしてエンドロールが素晴らしい。
ここでは、戦後世界の、いろいろな政治家が語った演説が流れる。
それは、差別や特定の集団を排除するような内容だ。
ホロコーストは終わったが、人類は愚かなことを繰り返してしまっているのだ。
ここで本作の冒頭のメッセージが思い出される。
「過去に学ばない者は、同じ過ちを繰り返す」
第二次世界大戦の出来事を、現代を生きる私たちにつなげてくれる、このエンドロールに星0.5を追加したい。
毎秒毎分毎時間毎日、どんどん失われて行く命
あまりの惨状故にホロコーストを扱った映画は涙一滴も出ない。本作品も然り。
アウシュビッツビルケナウ収容所で、記録係として何とか生き延びてきた主人公2人の決死の脱走。決死といっても覚悟するのは自分の命ではない。収容所に残る仲間が、ビルケナウにいるだけで、脱走してもしなくても遅かれ早かれ死ぬことは決まってるのだ。脱走のタイミングを待つ間も死の列車は続々到着し、無為に死を待つ人の数は増えるばかり。その間にも殺戮が機械的に行われ記録の数は増えるばかり。2人の決死の行動には何十万人もの命がかかっている。一人でも多く助けるための決死の行動。決して死なせない為に走る。彼らが記録し計算してきた死者の数、無為に命を奪われるその数とスピード。途中で出会う人は大丈夫なのか、村人はシンパシー感じてくれるかせめて無視してくれるのか。森にでて味わう開放感、道中の不安、赤十字を待つ間の焦燥、会ったときの疑念。権力者はうまく隠す。スポンサーは自らの行為の善と効果を信じたい。赤十字が収容所を視察したり支援物資、ギフトを送っていたとは知らなかった。最後に決断をせまられる、この事実を受け止めるかどうか、どう行動するかはあなた次第とビルケナウの使者が迫る。赤十字のえらいさんが逡巡するその間にももどかしくも、口惜しくも、仲間はどんどん運ばれてどんどん殺されているのだ。
ナチス将校は自分の子どものことで頭がいっぱいで、利他的な、アッシジのフランシコを思わせる収容者に八つ当たり。始業や列車の到着にはストラウスのワルツ。このように禍々しく狂った世界を知ることはあらゆる人に必要だと切実に思う。
2020年代の今もなお、世界中で様々な規模のジェノサイドは平然と行われており視察査察もこの映画と同じような実態であろう。外形標準整っていれば、よしとして、アウシュビッツと同じように、善意の人は見過ごすか、自己保全自己肯定や上部圧力に乗る人は故意に見逃してしまうだろう。、なぜ人類は学ばないのか。感じることを大事に捉えないのか。このような映画を歴史地理政治なんの教科でも良いから授業で見たら良いと思う。たくさんの人が見るべき映画だと思う。生き延びて事実を明らかにした2人、このように重くリアルな作品を作った方たちに脱帽する。
今年のホロコースト物2本目
この話も実話ベース。
だからマーベルやDCに比べるとテンポ悪い。
でも本当にあった事なのでエンタメと並列して語るのはどうかと思う。
もちろん2時間近く観客を釘付けにしなきゃならないから演出は重要だと思うけどね。
ナチスがユダヤ人を根絶やしにしようとしてた事は各国噂でしってたが、その証拠を持ってアウシュビッツを脱出した2人と、収容所に残った人達を描いてます。
エンドロールは監督のメッセージ。
世界各国、さまざまな時代(今も)のレイシスト達の演説、この映画が過去の話しではない事のダメ押しが熱い。
中国のウィグル問題が頭をかすめた。
ナチスのユダヤ人虐殺を通して現代を問う
ナチスがらみの映画って昔からあるが、ここ数年増えている気がする。なぜだかはわからない。しかも実話ベースの話が多い。70年以上たってていまだに映画にできるエピソードが存在することに驚いてしまう。
アウシュビッツでの虐殺の事実を告発するために収容所を脱走するというこの映画。脱走する2人を描くパートと、収容所に残った者たちを描くパートに分かれるのだが、収容所パートが壮絶すぎた。
長時間立たせて、何を企んでいるのか白状させようとするナチス兵。立たされているだけの地味なシーンだが、彼らの怒りや悲しみや苦しみが使わってくる。そして命じられて移動したとき、うずくまったり倒れて動かない者が数名いるというシーンが印象に残った。
そしてスロバキアに脱出して、保護された2人が直面するのはナチスの残虐行為を隠蔽している事実。収容所を視察した赤十字の人間を殺していたという話は(事実かどうかはわからないが、たぶん事実なんだろう)ナチスの必死さが垣間見える話だ。
この手の映画にしてはあっさりと短めで終わるんだなと思いながらエンドロールを観ていたら、現代の政治家たちの発言(誰の発言かはわからない仕掛け)が流れてきた。なるほど、本編を観た後にこうした発言を聞くと、ナチスのユダヤ人虐殺問題は終わっていないと感じる。ナチスの問題を描きながら現代を問うという姿勢。ナチスがらみの映画はまだまだ作られている理由が少しわかった。
面白いとか面白くないとかいう話じゃない
戦後を生きる人間として知らなくてはいけない事実だと思う
悪名高い収容所アウシュビッツ収容所
そこで行われてる事実を外の世界に知らせる為脱獄した二人を描く物語
結果的には知らせても収容所は破壊されなかったが
12万人に及ぶ人間が送られるのを阻止する事につながった
ただひたすら耐え忍ぶ姿は痛ましく
この二人が助かったのも奇跡としか思えない
結局、この収容所は破壊されなかったというのは
話が信じてもらえなかったのだろうか?
それとも戦略的に重要と捉えられなかったからあだろうか?
考えさせられる
最後のエンドロールで
現代にはびこるナチ残党、極右勢力などらしき発言が流れる
こんなにも肯定してるクソ野郎がいるかと思うと怒りが込み上げる
この映画の最初の
過去を忘れるものは必ず同じ過ちを繰り返す
という言葉が重く突き刺さってくるね
また同じ過ちを繰り返しそうな奴が出てきている気がしてならない
そうゆう意味でこの映画が伝えることは意義深い
エンドロールが秀逸
前半のアウシュビッツ部分と、そこを抜け出してスロバキアにたどり着く後半に分かれていると言える。アウシュビッツの収容所にはスロバキア人の棟というのがあって、記録係がここに収容されてきた人数などを記録したレポートを、主人公の2人に託し、木材置き場の下に掘って作った穴に隠れて機会を待つ。点呼で人数が足りないため、スロバキア人全員が連日連夜立たされっぱなしになるが、現状を政府に知らせて収容所を空爆してもらうという目的達成のため、団結しているのだった。
上に積まれた材木をなんとか押しのけて脱出、瀕死状態になった時、森で出くわした女性に助けられ、国境を越えてとある村に到着し、村の人に助けてもらう。何とか弁護士を通じて赤十字につないでもらうが、役人が来るまで2週間待たねばならず、その間タイプライターを与えられて、2人は32枚にわたってレポートを書きまくる。役人が来てからはなぜか英語になるが、2人のレポートに役人は衝撃を受ける。そして「スロバキア政府にアメリカと交渉してもらう」と言うが「交渉じゃダメだ!収容所を空爆してくれ」と怒る。結果、我々が知るように、収容所は空爆されることはなく、役人がおたおたしている間に次々とユダヤ人がガス室に送られ、合計数百万人が殺される。彼ら2人はしかし、ハンガリーのユダヤ人12万人を救うことができたのだった。
ラストのエンドロールでは、現代の独裁者、差別主義者、ポピュリストの演説が流される。トランプだけはわかった。これによって、監督の、今この作品を制作した意図というのが観客に明確になった。
途中、アウシュビッツの伍長が、息子の戦死を嘆き、また悲しむ妻を思いやるシーンがある。目の前で生き埋めにしているユダヤ人にも父や息子がいることを想像しないのが恐ろしいが、逆に、ナチスによって、人間の最も冷酷な部分をむき出しにせざるを得なかった人たちなのかもしれないとも考えた。
ファシズムとポピュリズム
スロバキア系ユダヤ人の2人がアウシュビッツ=ビルケナウから脱走し、赤十字に収容所の実態を訴える話。
アウシュビッツ=ビルケナウの9号棟で働く囚人が木材の下に潜伏し脱走する話と、彼等の行方を問われる囚人達という状況から始まって行く。
序盤で死体の山こそあったけど、ホロコーストの惨状をみせるシーンはもう1ヵ所ぐらい。
ホロコーストそのものをみせる訳ではなく、あくまでも脱走して証拠を公にして収容所を潰して貰いたい人達をみせていく展開だけれど、案外あっさり逃走が上手くいっちゃうし、助かるのは限られた極一部だし…。
赤十字職員とのやり取りのもどかしさと、そこがフリになってのエンドロールがメインという、ホロコーストすら切っ掛けにして訴え掛けている風刺は良かったけれど、随分長いフリだし、みたかったものとはちょっと違ったかな。
命懸けのレポート
スロバキア人の遺体処理係アルフレートを演じたノエル・ツツォルのこけた頬、落ち窪み鋭さを増した眼差し、スクリーンに映し出されるアウシュビッツ収容所での押し黙るしかない恐ろしい現実、途切れる事なく続く緊迫感、そのリアルさと非情さに頭が痛くなる程でした。
重く胸が苦しくなるような映像が続きますが、多くの方に映画館で是非鑑賞して頂きたい作品です。
ーこれを知った今、何をするかだ
映画館での鑑賞
【"過去の過ちから学ばないモノは、滅びる。" 死の連帯責任の犠牲を払って二人が告発した事・・。苦い思いと虚しさ及びエンドロールで流れる現代の愚かしき政治家の肉声に暗澹たる気持ちになった作品。】
- アウシュヴィッツから生死を掛けた脱出をした二人の意図はしっかりと伝えられていたのか?-
◼️感想
・苦い思いが、込み上げる映画である。
同胞の”死の連帯責任”の犠牲の下、アウシュヴィッツの真実を伝えようとした二人の思いは、本当に連合国に伝わっていたのか?
(二人の命を懸けた行為が、多数の犠牲の元に果たされた所業故に、尚更、苦き思いが残るのである。)
ドイツの赤十字は機能していたのか?
- 結局、アウシュヴィッツは空爆されなかった・・。
劇中でも描かれるが、二人が告発書を赤十字に提出した後も、何万人のユダヤ人の無辜なる命は、狂信的なナチスに奪われたのか・・。-
・極寒のアウシュヴィッツで殺される人達の姿をロングショットや俯瞰で写し出す事で、ナチスの冷酷さを強調する手法が、悲しいが、効果的に、観る側に恐怖を伝えている。
・自分の息子が戦死した事に怒り、罪なきユダヤ人たちに行ったライスマンの狂気の所業の数々・・。背筋が寒くなる・・。
◆ユダヤ人たちが、ナチスの所業を絶対に許さないのは、ガス室で殺したユダヤ人たちの死体を”ゾンダーコマンド”と呼ばれていたユダヤ人たちに処理させていた事も、一因である。
今作では、二人の告発書は一部しか機能しなかったが、アウシュビッツのゾンダーコマンダーたちは、密かに漸く入手した紙にナチスの所業を記し、地中深く埋めていた。
後年、その幾つかが発見され、SSもしくはナチの要職に就いていた者は、フランクフルト・アウシュビッツ裁判により、ドイツ人達から重き裁きを受けたのである・・。
<エンドロールで流れる愚かしき現代の政治家達の声、不寛容な思想を持つ者達の声を聞き、非常に恐ろしく感じた映画である。
毎年、夏になれば、日本でも過去の歴史を反省する映画が上映されるのに、今年は上映されない。何故だろう・・。
右傾化していく日本に危惧を抱いている。>
過去を忘れる者は同じ過ちを繰り返す
アウシュビッツ収容所から脱走したユダヤ人が命懸けでナチスドイツの残虐行為をレポートにし世界に知らせようとした話し。
この脱走した1人が死体の記録係を強制任務されていた事もありよりレポートに信憑性を帯び出版後も世界の人々の心を動かす事となった。
冒頭に「過去を忘れる者は同じ過ちを繰り返す」というメッセージから始まる。
この作品の主となるユダヤ人への残虐行為はもちろん今はゼロになったと信ているが、形は変えて今でも多数の差別は世界中に存在している。そんなヘイトスピーチのいくつかの例がエンドロールで流されておりまだまだ差別は根絶できていない現実、そしてそれらが存在するのは過去の残虐な出来事を他人事として認識し、人類の過ちを自分自身に置き換えて省みてない事がまだまだ差別が残る原因の一つではないのかというメッセージが送られていた。
作品としてはセリフの少なさや暗い描写が続くため未熟ながら少し分かりづらいシーンが続いてしまった。
ただ今作の様に過去の残虐な出来事を風化せず映画を通して忘れずに思い出しそして改めて人類の恥ずべき過去として省みる事の大切さを改めて実感させられる作品であった。
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