劇場公開日 2021年7月30日

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「現在の義務教育にあってこそ必要」アウシュヴィッツ・レポート 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5現在の義務教育にあってこそ必要

2021年8月3日
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鑑賞方法:映画館

 クラシック曲をときどき聞く。年に何度かはクラシックのコンサートやリサイタルに出かける。毎年出かけているオーチャードホールのニューイヤーコンサートでは必ず「ラデツキー行進曲」が演奏される。作曲はヨハン・シュトラウス一世だ。「美しく青きドナウ」も屡々演奏される曲である。こちらはヨハン・シュトラウス二世の曲である。いずれもオーストリアのウィーンの音楽家だ。
 本作品ではアウシュヴィッツで音楽が演奏されていたことが紹介される。前述の2曲も演奏されていた。クラシック好きとしては軽いショックを受けたが、戦場ではないアウシュヴィッツのような場所を管理するナチス親衛隊にも、ストレスを発散させる機会が必要だったのだと理解した。

 本作品は事実に基づいているとのことだ。当方は不勉強にして、アウシュヴィッツで何が行なわれていたのか、本作品を観るまで知らなかった。ただユダヤ人が機械的に収容されて番号の入れ墨を入れられ、順番にガス室で殺されているのだと思っていた。しかし収容されたのはユダヤ人だけではなく政治犯やホモセクシュアルなどもいた。生物化学兵器の実証実験の検体となって殺された人々が数多くいた。それ以外にも逃げようとしたり歯向かったりしてその場で銃殺された人もいたようだ。中には門の梁に吊るされて、時間をかけて縊死した者もいた。

 収容所を脱出した二人の若者の言葉が印象深い。
 こうしている間にも刻一刻と人が殺されている。
 アウシュヴィッツの人々が望むのは空爆によって収容所が破壊され、自分たちも死ぬことだ。
 大事なのはこの事実を知って何をするかだ。

 二人の若者が情報を託すべきは本来は全世界の人々である。そのためには財力のある者、多くのコネを持つ者に一旦預けるしかない。若者たちのもどかしさと苛立ち、そして不安をこちらも共有した。
 情報は全世界に行き渡っただろうか。我々は中学校の歴史でアウシュヴィッツで何が行なわれていたかを学習しただろうか。少なくとも当方にはその記憶はない。高校の世界史でも近代史はカットされていた。遠い昔の出来事も大事かもしれないが、十年後や百年後の未来を考えるためには近代史の学習が欠かせない。現在の歴史教育のカリキュラムは、我々から考える材料を奪っているのだ。
 アウシュヴィッツ・レポートの内容を知っていれば、人間が極限状況に追いやられたとき、ごく普通の人間がどれほど残酷になってしまうのか、あるいは従順になってしまうのかがわかる。戦争は国家にとっては利益を得るための人的物的投資なのかもしれないが、個々の戦場や収容所においては人権と人格を蹂躙する恐ろしい現場になってしまうのだ。それを理解することができる。そして考える。戦争を起こさないために我々は何をすべきか。アウシュヴィッツ・レポートは現在の義務教育にあってこそ必要なのだ。
 しかし憲法を教えないで道徳を教えようとする国家主義の政権はむしろその逆を行く。戦争は善、負けるのが悪だと。義務教育の授業でアウシュヴィッツ・レポートが紹介されることは、これからも期待薄だ。しかしインターネットの時代である。拡散することはできるだろう。

耶馬英彦