アウシュヴィッツ・レポートのレビュー・感想・評価
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【本年度アカデミー国際長編映画賞のスロバキア代表作】本作の社会的な意味は大きく、私が投票権を持っていたら1票入れたい。
本作は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが主にユダヤ人を集め、強制労働と「絶滅政策(ホロコースト)」を行なっていた「アウシュヴィッツ強制収容所」での実話をベースに作られた映画です。
いくら戦時中とはいえ、このような150万人規模(1日に3000人規模)の虐殺が行なわれていれば、さすがに大きな問題となるはずです。
ところが、中立的な人道支援を行なう赤十字社などにも真相が掴めないようになっていたのです。
そこで、「アウシュヴィッツ強制収容所」を空爆で吹き飛ばすことによって、このような残虐行為を止めようという根本的な解決策を模索する動きが出てきます。
とは言え、情報統制もしっかりとなされて鉄壁なガードがある「アウシュヴィッツ」から、どうやって外部に真相を伝えたらいいのでしょうか?
そこで、2人の青年が命がけの脱走をはかり、何とか「アウシュヴィッツ」の実情を伝えようとするのです。
このように本作は、2020年のアカデミー賞で話題となった「1917 命をかけた伝令」に似た構造もあります。
また、当然1994年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、脚色賞など7部門受賞した「シンドラーのリスト」とも共通するものがあります。
94分の作品ですが、50分くらいまでは過酷な「アウシュヴィッツ」での現実が描写され続けます。
50分以降に逃走劇が始まり、生死をかけ三半規管が麻痺したような状態を描くため、カメラワークがかなり斬新な動き方をして臨場感を巧く引き出しています。
そして、彼らの運命はどうなるのでしょうか。
この、いわゆる「アウシュヴィッツ・レポート」によって、何を変え、何を変えられなかったのでしょうか?
ユネスコの世界遺産委員会は再び過ちが起こらないようにと「アウシュヴィッツ」を1979年に世界遺産リストに登録し、今も施設の一部は残っています。
2019年にアカデミー賞で脚色賞を受賞したスパイク・リー監督作「ブラック・クランズマン」では、ラストに現実のニュースをシンクロさせることで一気に作品のクオリティーを上げることに成功していました。
そして、本作はエンドロールの際に、世界各国の政治家を中心に、権力者らのリアルな「発言」を入れ込んでいます。
私たちは本作から何を考えるべきか。決して軽くない映画です。
なお、本作はアカデミー賞の選考に際し、スロバキアの代表作品に選出された映画ですが、「スロバキア・チェコ・ドイツ合作」と、ドイツからも出資されている作品であることに少しの安堵を覚えます。
命がけで「伝える」という視点が際立つ
アウシュヴィッツ収容所のおぞましさは今でこそ世界中の誰もが知っているが、そもそもの詳細な実態は命がけでこの場所から脱出した者たちによって外へと伝えられた。本作はいわゆる収容所モノではあるが、重点が置かれるのは”生き延びる”ことではなく、むしろ”伝える”ということ。1分1秒が惜しい。このわずかな時間にどれだけの命が奪われていることか。息も絶え絶えに山道をゆく主人公らを駆り立てるのは、そういった人々を救いたい、救わねばという使命感だ。やがてその思いが客観的事実に基づくレポートとなるわけだが、テーブルを挟んで地獄の実情を受け止める人々の表情が印象深い。特にそのやりとりを長回しで描くくだりは両者の感情のうねりがシビアに伝わってきて、極めて忘れがたいものに仕上がっている。主人公がスロバキア人であり、本作がスロバキア映画であるのも、我々がこれまであまり目にすることのなかった興味深い視点と言えるだろう。
We Breathe the Same Air as the Holocaust
With so many films in history detailing the Holocaust, sometimes I wonder if there is anything left to learn from dwelling on this moment of history. But as times change, we see that there is always a Holocaust in some form. The WWII holocaust provides the clearest picture on the cancerous evil that corrodes the collective human mind. Auschwitz Report has a fresh eye and alarming credit roll.
実話で、看守側と囚人側双方側で考え見て見ましたが、ラストシーンでの...
実話で、看守側と囚人側双方側で考え見て見ましたが、ラストシーンでの赤十字側と囚人双方の言葉のやりくり思わず涙が出て🥲何とも言えない場面でした。自分としては、ガスでの殺害その後焼くシーンはないが、焼却炉作り方多く燃やすので焼却炉数こなせる様に考えた焼却炉知っているので、このシーンあったら、凄いリヤル的な映画になるてましょうね、自分ならこんなシーン作りたいが、まず作れないでしょうね
過去の真実を忘れることのないように
ホロコーストの真実を世界に伝えるために命を懸けてアウシュヴィッツ収容所を脱走した2人の勇者の物語。同じ過ちを繰り返さないために真実を記録に残し、後世に伝えなければならない貴重な役割を担っている作品であると感じた。エンドロールのメッセージにも注目。
2021-186
エンドロールで星0.5追加
2人の若者がアウシュヴィッツから脱出し、収容所内で行われていたこと=ナチス・ドイツの蛮行を、初めて世に伝えたという実話に基づく映画。
大まかな映画の構造としては、脱走した2人が、無事、任務を果たせるか、というサスペンス。
収容所内で刻一刻と犠牲者が増えていく、ということと、彼らの任務をカットバックで描くのだが、これがいまひとつ機能しない。
そもそも、脱走した2人の若者の背景があまり描かれず、感情移入しにくい。
こうした、踏み込み不足は随所に見られる。
例えば、2人のうち1人は足にケガをしながらの逃避行になるのだが、このケガが、いつ、どのようにしたのかが分からない。もう少し描いてくれたら、共感出来るのに、とフラストレーション。
ついに2人はハンガリーの赤十字社にたどり着くのだが、そこでタイプライターを渡される。
ここで、映画のタイトルにもなっている「報告書」を書くことになるのだが、執筆の労苦も描かれないばかりか、完成のシーンもない。それが、世の中にどう受け止められたかの説明もほとんどない。
あれ?ここがクライマックスなんじゃないの?と、なんだかスッキリしない。まるでオチのない落語を聴いたみたいなのだ。
本作には上記の通り、物足りないところはある。
それでも、収容所内の描写は、あらためて衝撃的だし、ナチスの将校が囚人をピストルで殺すシーンなどは、ハッとするような画面構成を見せるなど、魅力的なところも多くある。
そしてエンドロールが素晴らしい。
ここでは、戦後世界の、いろいろな政治家が語った演説が流れる。
それは、差別や特定の集団を排除するような内容だ。
ホロコーストは終わったが、人類は愚かなことを繰り返してしまっているのだ。
ここで本作の冒頭のメッセージが思い出される。
「過去に学ばない者は、同じ過ちを繰り返す」
第二次世界大戦の出来事を、現代を生きる私たちにつなげてくれる、このエンドロールに星0.5を追加したい。
あまりにも過酷な、あまりにも崇高な
皆さんのレビューの通り、ナチの蛮行を告発するのみならず、そもそもの差別意識、不寛容、偏見をこそ撃つべしというエンドロールに込められた制作者のメッセージを重く受け止めた。今そこにあるアウシュビッツに目を向けよと。知らなかったという言い訳に、ドイツ人は恐らく、未来永劫苛まれるだろう。翻って日本人はどうか。中国への侵略に端を発する戦争で、多くの近隣諸国に与えた鬼畜の狼藉に、少なくともドイツ人ほどの良心の呵責を感じているだろうか。罪の意識があるだろうか。
あまりにも過酷な現実を前に、なすすべなく傍観するほかなかった。その言い訳は、やはり同罪なのだろう。例えばアフガニスタンの、ジェット機にしがみついて振り落とされた人々を嘲笑する心根に通底するのだろう。あらゆる影に潜み、終生呪い続ける側に立つことを改めて胸に刻んだ、崇高な物語であった。
重い
重い。
上映中、何度も深いため息をついた。
収容所に送られた人々が背負った運命の過酷さに、時としてこのような残虐なことを行なってしまう人間という存在の罪深さと恐ろしさに、気が滅入った。
けれど、それだけではなく、本作には希望も描かれている。
絶望的な極限状態になっても生き抜こうとする人間の強靭さや、友愛精神などには、救われる思いがした。
映画作品としては、もう少し「仕掛け」のようなものや、はっきりしたクライマックスというか、見せ場のようなものが欲しいかなと、いささか物足りない気がしないでもなかった(しかし、そのようなものをこしらえるのは、逆にこの作品の価値を損なうことになるのかもしれないなとも考えた)。
あと、説明的でないのが良いと思ったけれど、その分、少々わかりにくく、説得力に欠けるところがあったと感じた。
以上いくつかケチはつけたものの、全体的な感想としては、シンプルでストレートな、なかなか見応えのある作品でした。
命の重さや人間の尊厳といったことについて、あらためて考えさせられました。
エンド・ロールに込められたメッセージも届きましたよ、監督さん。
追記
僕は「たまたま」この時代の日本に生まれてきて、――いろいろあるにせよ――いちおうは平穏無事に暮らせている。
そして、映画のモデルとなった彼・彼らは「たまたま」ユダヤ人として、あの時代のヨーロッパに生まれてアウシュヴィッツに送られた。
運命の操作によって、僕が彼に、彼が僕になっていたとしても何ら不思議はないではないか。そう考えると運命ほど恐ろしいものはない。
アウシュビッツのこと、沖縄や広島や長崎のこと、ヴェトナム戦争のこと、ポルポト時代のカンボジアのこと……。
それらの負の歴史を知ること、知っておくことは、未来の平和を築くためにも必要だ、と「たまたま」現代の日本に生きている僕は思う。
毎秒毎分毎時間毎日、どんどん失われて行く命
あまりの惨状故にホロコーストを扱った映画は涙一滴も出ない。本作品も然り。
アウシュビッツビルケナウ収容所で、記録係として何とか生き延びてきた主人公2人の決死の脱走。決死といっても覚悟するのは自分の命ではない。収容所に残る仲間が、ビルケナウにいるだけで、脱走してもしなくても遅かれ早かれ死ぬことは決まってるのだ。脱走のタイミングを待つ間も死の列車は続々到着し、無為に死を待つ人の数は増えるばかり。その間にも殺戮が機械的に行われ記録の数は増えるばかり。2人の決死の行動には何十万人もの命がかかっている。一人でも多く助けるための決死の行動。決して死なせない為に走る。彼らが記録し計算してきた死者の数、無為に命を奪われるその数とスピード。途中で出会う人は大丈夫なのか、村人はシンパシー感じてくれるかせめて無視してくれるのか。森にでて味わう開放感、道中の不安、赤十字を待つ間の焦燥、会ったときの疑念。権力者はうまく隠す。スポンサーは自らの行為の善と効果を信じたい。赤十字が収容所を視察したり支援物資、ギフトを送っていたとは知らなかった。最後に決断をせまられる、この事実を受け止めるかどうか、どう行動するかはあなた次第とビルケナウの使者が迫る。赤十字のえらいさんが逡巡するその間にももどかしくも、口惜しくも、仲間はどんどん運ばれてどんどん殺されているのだ。
ナチス将校は自分の子どものことで頭がいっぱいで、利他的な、アッシジのフランシコを思わせる収容者に八つ当たり。始業や列車の到着にはストラウスのワルツ。このように禍々しく狂った世界を知ることはあらゆる人に必要だと切実に思う。
2020年代の今もなお、世界中で様々な規模のジェノサイドは平然と行われており視察査察もこの映画と同じような実態であろう。外形標準整っていれば、よしとして、アウシュビッツと同じように、善意の人は見過ごすか、自己保全自己肯定や上部圧力に乗る人は故意に見逃してしまうだろう。、なぜ人類は学ばないのか。感じることを大事に捉えないのか。このような映画を歴史地理政治なんの教科でも良いから授業で見たら良いと思う。たくさんの人が見るべき映画だと思う。生き延びて事実を明らかにした2人、このように重くリアルな作品を作った方たちに脱帽する。
凄い事だし悲しい事実
第二次世界大戦中の1944年、ユダヤ人が収監されていたアウシュビッツ強制収容所で遺体の記録係をしていた2人の若いスロバキア系ユダヤ人が決死の覚悟で脱出し、国境を越え、ホロコーストの証拠を持ち出し、真実を赤十字職員に告白し、レポートを提出したため、12万人のユダヤ人の命が救われたという実話を基にした話。
ヘイルヒットラーで10年以上洗脳されてたドイツ将校達はユダヤ人を人と思ってなかった様子がまざまざと描かれてた。一日に3000人も殺害し続け、月に9万人、トータル100万人以上のユダヤ人がガスや銃で殺され、焼かれ、証拠隠滅を図っていた事実は聞いてはいたが、映像で下半身にモザイクもない死体の山を見せられるとやはり重い。
しかし、別のことも思った。それは、少し前の中国で共産党が自国民に行った殺戮行為、現在の中国で行われているウイグル人に対する事はもっと酷いかもと思ってしまう。
シリアで政府軍が自国民を殺しているのも同様、狂った指導者の自分の意に沿わない人たちへの攻撃はいつの時代でも無くなる事は無いのかも。悲しくなる。
アウシュビッツのネタ化を杞憂してしまうだよ。
歴史上の意義や、2人の偉業への敬意と、映画そのものへの評価は切り離して話をするとして
。
凡作。気を衒ったかと感じる冗長な描写。無駄に細部にこだわるリアリティ。
多国籍合作に名作無し。
映画愛の無い活動家の作る映画はつまらない。
等の法則通りのつまらなさでした。
観なければいけない映画、覚え続けていなければいけないこと
痛快!というのではなく、重苦しい映画だが(それでも「サウルの息子」よりは軽いかな)、「過去を忘れる者は、必ず同じ過ちを繰り返す」というメッセージの通り、過去を忘れないためにも、こういう映画を観続けることが必要だと思っている。
吊るされている男のシーンのオープニング。冒頭の遠くから聞こえてくる汽笛に、収容所で働いている全員の手が止まるシーン。これが、「ああ、またガス室で死んでいく人々が多数送り込まれてきたんだなあ」と感じて手が止まるのだということは、映像の中で、だんだんわかってくる。
収容所に入れられたとたん、着ているものを含むすべての荷物が没収され、髪の毛を切られて坊主にされ、名前がなくなりナンバーで呼ばれるようになり、と収容所の非人間的な扱いをたった5分で描き切る。(そしてもちろんガス室での大量殺人と死体廃棄)
そこから脱出するふたり。ふたりとふたりの脱出を支える同じ棟の全員の思いはひとつ。それはなんと「助かりたい」ではなく、「こんなひどいことが行われているこの収容所の場所を伝えるから、空爆して灰にして、1日でも早くこんな非道が続かないようにしてくれ」と訴えるため。
----- 以下はネタバレです。観てからお読みいただくことをお勧めします ----
(自分がちゃんと記憶しておくためにも、どうしても書いておきたい、という衝動を抑えきれませんでした)
脱出に成功するか否かに手に汗握る前半は、「ひたすら隠れ続け、ナチスにいつ脱走したかわからなくする」という耐え続ける映像。11日間を費やす脱出劇は、とうとう赤十字の拠点にたどり着く。脱出に成功して万々歳かと思いきや、駆け込んだ拠点で、もうひとつの苦悩が待っているという、重層的な苦悩が描かれる。「俺たちが生き証人だ」と訴えるふたり、持参した死亡者の人数と処刑月日を明記したレポートがあるにもかかわらず、赤十字の人の第一声は、「しかし、ドイツ赤十字社のグラヴィッツ博士は、収容所に入った人は健康的に暮らしていると報告しているし、赤十字の現地訪問の際に、虐殺の事実はなかった。私たちは、ドイツの収容所に十分な支援物資を送り続けている」 もちろん脱出してきた、骨と皮だけの姿をしたふたりをまのあたりにし、驚きながらではあるが、まずは公式レポートを信じなければならない赤十字担当者の苦悩も手に取るようにわかる。とは言え、収容所で行われていることと、その脱出劇の困難さを観てきた自分としては、脱出したふたりと同じ心境となる。「なぜわかってくれないんだ。ドイツのグラヴィッツ博士が言っていることは大嘘だ。彼はナチ党員だ。現地訪問した日というのは、ある1日だけガス室も焼却場も動かなかったあの日に違いない。あなたたちの支援は、ただの一人の命も救ってはいない」と叫びたい気持ちになる。
映画でも、「アメリカに伝わるようにして、ドイツと交渉するよ」という赤十字メンバーに対し、脱出したふたりは叫び声で頼む。「ノー。殺人者と交渉するな。あの場所を焼き払うんだ。囚人たちも、日々、それを望んでいるんだ」 この絶望感。忘れてはならぬもの。
「このレポートは、7か月後に公開された」という。少し悲しい事実は、テロップで俺たちに伝えられる。
そのテロップに続いて、エンディングクレジットのバックで流れる、さまざまな「現代の指導者たちの発言」を見逃さないで、聞き逃さないで、とピーターバラカンさんの感想にある。ホントにその通りだと思う。ここで流れる音声の多くは、過去の発言ではなく、現在の世界における各国首脳の発言なのだから。
小島さんが言う通り「彼らのレポートを記憶として繋ごう」と強く、思う。その上で、森さんの以下の感想は、さらに一歩踏み込んで考えることに、俺たちを導く。「忘れずに」そして「考える」ことを厭わないようにしよう。
--- ここから公式サイトから引用 ---
これは昔話ではない。今につながっている。まったく同感。だからこそ思う。加害された彼らはイスラエルを建国し、今はパレスチナの民を加害している。救いのない連鎖が続く。そこで本作の冒頭に立ち返る。過去を忘れる者は必ず同じ過ちを繰り返す。問題は忘却だけではなく記憶のありかただ。
--- ここまで公式サイトから引用 ---
作品に込めた強いメッセージ…過去を忘れるな。
欧州における極右勢力の台頭、かつての民族への虐待が再び起こる、のではということを肌感覚で感じている監督だけに非常に強いメッセージが伝わってきた。
アウシュヴィッツの残虐さとその中でも清廉に生きる人間の強さが描かれていたのは良かったと思う。
ただ、物語の始まりが唐突すぎて脱走したのが誰なのか掴みづらいことや、脱走の方法も一旦掘っておいた穴に隠れて夜半に逃走というもので、今ひとつ緊迫感にかけるというか有刺鉄線のフェンスってそんなにヤワだったのだろうか、警備があまりに手薄すぎやしないかという疑問が生じてしまう。
逃走、告発と収容所での虐待を並行して描いて、彼らがなぜそこまでして急いだのか、赤十字の怠慢とも思える対応に対する焦りや憤りをもう少し訴えかける仕方で表現しても良かったのではと感じた。
全体的な映画の出来は今一歩改善の余地はあるものの、今のネットでは繋がりながらも精神的には分断している時代を生きる現代人が見るべき映画であると思う。
ビルケナウ?
収容所から脱出するまでの物語と思っていたのですが、その後の連合国側での展開が印象的でした。
やっと連合国側に脱出出来たのに、アウシュヴィッツの現状を説明しても、すぐ対応してくれないのには、何で?!と言いたかったです。
せっかく仲間たちが、収容所から脱出させてくれたのに・・。
ところで、劇中で収容所の名前をビルケナウと呼んでいましたが、アウシュヴィッツでは?と思い調べてみたところ、第二強制収容所があった場所の名前でした。
(Vガンダムに登場したモビルアーマーの名前は、これから取っていたのか)
今更ですが、こんな初歩的なことを知らずに、映画を観ていた自分が、情けなかったです。
今年のホロコースト物2本目
この話も実話ベース。
だからマーベルやDCに比べるとテンポ悪い。
でも本当にあった事なのでエンタメと並列して語るのはどうかと思う。
もちろん2時間近く観客を釘付けにしなきゃならないから演出は重要だと思うけどね。
ナチスがユダヤ人を根絶やしにしようとしてた事は各国噂でしってたが、その証拠を持ってアウシュビッツを脱出した2人と、収容所に残った人達を描いてます。
エンドロールは監督のメッセージ。
世界各国、さまざまな時代(今も)のレイシスト達の演説、この映画が過去の話しではない事のダメ押しが熱い。
中国のウィグル問題が頭をかすめた。
圧倒的映像力。ただの史実映画ではない。
現代になってもホロコースト映画は絶えることなく、毎年のように公開されるが、
今作もまた新たな事実を知ることになった貴重な映画だった。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所に収容されたユダヤ系スロバキア人が、ナチスによるガス室での虐殺を伝えるため脱走する姿を描いた今作。2時間弱の作品は独特の緊迫感を醸し出している。
まず映像力の強さ。少し低めの位置から回すカメラワークは独特で、収容者からの視点を表現している。相手の顔がはっきり見えない影の作り方や呼吸の音なども、収容者の恐怖感を表現している。
またこの映画は、ナチスによる残虐さをただ伝えるだけでなく、こういったナチスのような思想から何を学ぶのか、また現代において何を学んでないかまでも考えさせる映画構成になっているので、
冒頭の一文、そしてエンドロールまで見逃せない作品になっている。
窮屈なカメラアングルに息が詰まる
無駄にセリフがない分、先が見えない極限の状況をカメラワークで表していて、壮絶感につねに緊張が走る。
証拠を持って脱走する2人の、任務を遂行するまで気を許さないピリピリした態度に、最後まで気が張った雰囲気なのが印象的だ。
たどり着く先での安心感などまるで見せない2人に、背負った任務の重さと事態を変えようとする信念をヒシヒシと感じた。
ナチスのユダヤ人虐殺を通して現代を問う
ナチスがらみの映画って昔からあるが、ここ数年増えている気がする。なぜだかはわからない。しかも実話ベースの話が多い。70年以上たってていまだに映画にできるエピソードが存在することに驚いてしまう。
アウシュビッツでの虐殺の事実を告発するために収容所を脱走するというこの映画。脱走する2人を描くパートと、収容所に残った者たちを描くパートに分かれるのだが、収容所パートが壮絶すぎた。
長時間立たせて、何を企んでいるのか白状させようとするナチス兵。立たされているだけの地味なシーンだが、彼らの怒りや悲しみや苦しみが使わってくる。そして命じられて移動したとき、うずくまったり倒れて動かない者が数名いるというシーンが印象に残った。
そしてスロバキアに脱出して、保護された2人が直面するのはナチスの残虐行為を隠蔽している事実。収容所を視察した赤十字の人間を殺していたという話は(事実かどうかはわからないが、たぶん事実なんだろう)ナチスの必死さが垣間見える話だ。
この手の映画にしてはあっさりと短めで終わるんだなと思いながらエンドロールを観ていたら、現代の政治家たちの発言(誰の発言かはわからない仕掛け)が流れてきた。なるほど、本編を観た後にこうした発言を聞くと、ナチスのユダヤ人虐殺問題は終わっていないと感じる。ナチスの問題を描きながら現代を問うという姿勢。ナチスがらみの映画はまだまだ作られている理由が少しわかった。
冒頭に「過去を忘れる者は同じ過ちを繰り返す」とありその時点でもう色...
冒頭に「過去を忘れる者は同じ過ちを繰り返す」とありその時点でもう色々と考えさせられました。
終始薄暗い映像で観るに堪え難いシーンの多さに退場しようかと思う程辛くやり切れない気持ちになりました。
しかし主人公らがやっと脱走出来た後からは目が離せない展開になりました。命懸けで収容所の真実を伝える二人の行動、1分1秒でも時間を無駄にしたくないと。この一瞬でも誰かが殺されてしまう現実を懸命に話しする場面は胸に刺さりました。
最後のエンドロールは私達に現実を突きつけられた様でした。
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