劇場公開日 2021年3月20日

  • 予告編を見る

「今更そんな事言われても・・の思い」生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事 La Stradaさんの映画レビュー(感想・評価)

未評価 今更そんな事言われても・・の思い

2025年6月24日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 沖縄戦時に知事を務め、敗戦時に自害したとされる島田叡(あきら)さんの最晩年を追ったドキュメンタリーです。島田さんは当時としては開明的な考えの持ち主で、知事の職と軍の板挟みになりながらも人々に「生きろ」と説いた人物だったのだそうです。

 さて、困った。この作品を観ながら、ずっとモヤモヤした物を抱え続けていました。本作は誠実に作られており、映像も堅実だし、島田さんについては知らない事ばかりなので、記録映画としては得る物が多かったと思います。でも、やっぱりモヤモヤします。

 例えば。米軍の猛攻に進退窮まり、敗戦が決定的になった時点で自決した沖縄方面根拠地隊司令官・太田実中将が本土に向けて最後に打った電報は良く知られており、本作でも紹介されています。その最後は次の様に結ばれます。

 「沖縄県民斯ク戦ヘリ
  県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

 太田中将は島田知事とも気持ちが通じ合っており、陸軍の無謀な戦略に批判的であった軍人で、この電文はその悲痛な思いを物語る一文とされています。恐らくそれは真実で、当時にあってはこれが精一杯の言葉だったのでしょう。しかし、と僕は思います。

 「沖縄県民斯ク戦ヘリ」とありますが、多くの沖縄県民は「戦った」訳ではなく、「戦わされた」或いは「巻き込まれた」に違いありません。本作でも取り上げられている鉄血勤皇隊は、学校に通う少年ながらに実質上招集された兵なのです。そして、上の電文には、避難した壕の中で日本兵によって殺された子供の事は取り上げられていません。壕を追い出された住民の事も述べられていません。集団自決を強いられた人々についての記述もありません。そんな事を当時の司令官が知っていたのかどうかも分かりません。知らなかったのだとしたら、それはそれで大きな問題でしょう。だから、もし僕がそうして非業の死を遂げていたとしたら、この電文を見ても、

 「個人としてはどんな思いだったのかは知らないが、日本軍によって殺された我々の魂は、『後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』なんて今更言われても何ら安まる事はない」

と呪いの眼差しを向けるだろうと思うのです。

 過去の人物を現在の価値観で批判してはならないと言うのは歴史を語る上でのルールでしょう。しかし一方で、今だから冷静に見られる視線と言うものもある筈です。

 本作の島田知事は軍人ではなく文官なのですが、知事と言う立場上、自らが発した指示・命令に責任を負わねばなりません。「当時としては軍に逆らう事はできなかったのだ」と言う事情はあったにせよ、「だから仕方なかった」では済まされない重みがあると思うのです。さもなければ、「あの頃は上からの指示に逆らえなかったのだ。仕方なかったのだ」が順送りされ、誰にも責任がないと言う事態に陥ってしまいます。

 あの壕の中で集団自決した人々が、米軍に追い詰められて崖から次々と身投げした人々が、この映画を観てどう感じるのか。そうした厳しい視線がもっとあってよいのではないか。そんな風に感じたのでした。

 (2021/7/15 鑑賞)

La Strada
La Stradaさんのコメント
2025年8月17日

林博史さんの「沖縄戦」(集英社新書)では、歴史的な資料を一つ一つ挙げて島田知事の責任をしっかり問い、近年の美談を痛烈に批判しています。

La Strada
AWMRさんのコメント
2025年8月17日

沖縄の平和記念公園に慰霊塔までありながら、島田叡知事の美談は見直されている。
日本軍は住民を守らなかったが、行政も軍に協力して住民を守れなかった。
島田叡知事は子供から高齢者までの根こそぎ動員に関わっているし、死んでも捕虜になるなと言う訓示の記録もある。
美談だけでなく戦争遂行に協力している。朝日新聞25/8/14。
だが自分がその立場なら軍や国を拒否できたのかと自問する。
映画は未見。アマゾンでは有料で見れるが、ゲオには無さそう。

AWMR
PR U-NEXTで本編を観る