「空っぽな映像化」ホムンクルス あさちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
空っぽな映像化
映画版ホムンクルスの鑑賞後の感想は正直に言ってしまえば、とても残念な気持ちだ
何故なのか、少し長くなりそうだけどネタバレありで探りながら書いてみたい。観たい人は読まないでいただきたい🤢
原作は2003年から2011年の8年間、あまり話題になる事も無く、作品として特異性や存在感を失わず静かに連載され、私自身はどんどん深く沈降するストーリーに読者として振り落とされまいと必死にくらいつき、なんとか最終15巻までリアルタイムで読み切った作品。
連載開始の時代背景は2003年はイラク戦争に米英が参戦し終結、北朝鮮の不穏な動きや今と被るSARSのパンデミックがあり、連載が完結した2011年は春に東日本大震災が起こり、日本人の価値観の大転換が起こった年。その間の時代を世間もワタシも混迷の中で懸命に疾走し、空回る世界で崩れそうになりながらも苦しんだり楽しんだりしてた遠くて近い苦い記憶の数々・・・
さて、今回の映画は原作のトレパネーション手術で脳の働きが活性化した結果、他人の深層心理のイメージングが見えるようになった主人公名越と手術を施した研修医伊藤の行動がヤクザ、JK、そしてホームレスになる前の名越の恋人たちとの絡みで描かれるが、この映画はそのギミック的設定をインパクトある映像として打ち出そうとするあまり、時代の実相を浮き彫りにする事なく終始、原作をなぞるだけで主人公は内省や沈降することなくただただ空騒ぎし、最後は脇役の伊藤にフォーカスし、ブレードランナーじゃあるまいし主人公は恋人を手に入れハッピーエンドもどきでクルマで走り去り映画はあっさり終わってしまった。
残念だが、この映像化は器だけ描いて肝心の中身を入れそびれた、結果として空っぽで薄っぺらな失敗作となってしまったと言わざるを得ない
原作では名越がトラウマから逃れようと整形手術し手に入れた虚飾に満ちた隠れ蓑を容赦なく引っ剥がし、丸裸のホームレスに叩き落とすことで、時代の不安と読者の苛立ちや劣等感や優越感など様々な感情にトレパネーションというギミックを使って挑発し、やがて気付きを誘発するエポックな作品として、あの当時、ココロの闇で鈍く光を放つ傑作だったのだから、このような形で世に出たことが原作の熱心な読者としてとても残念で仕方ない
好きな綾野剛や岸井ゆきのなど良い役者が顔を揃えただけに余計悔しい