ゴッドファーザー 最終章 マイケル・コルレオーネの最期のレビュー・感想・評価
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オペラハウスのシーンが実に印象的。
自宅でかみさんと鑑賞。Codaというのは音楽用語で締めくくりという意味だそうだ。1990年公開のパートⅢを30年後に編集した改訂版。僕はオリジナルを観ていないので比較は出来ないがよく出来ていると思った。とりわけ最後のオペラハウスのシーンは実に良かった。ソフィア・コッポラの演技も批判されるほど酷いとは思えなかった。サブタイトルで騙されてしまった(彼の死の場面は出てこない)のだが、実際のエンディングは死よりも辛いものだった。
全部理解できているかは不明。
こんなに長い映画で、続きで3本も観るとほんとに親戚気分。
サブタイトルから、マイケルが死ぬ時の話しかと思って観てて、いつどんな感じに死んじゃうのかとドキドキしながら観たので、少し肩透かし。
因果応報って感じかな。自分がした事は自分に返って来る。
アルパチーノの、メアリーの不幸時の悲しみ方の演技が凄かった。
ヴィンセントが若い頃のロバートデニーロに似てるなぁと思った。
パートⅢの詳しい解説が探してもあんまり無くて残念。細かい所とか、理解出来てない事もありそうな気がして、詳しくてわかりやすい解説誰か書いて欲しい。
よかった
『ゴッドファーザーPARTIII』は公開時に見に行ったのだけど、前作を見ずに行ったせいであんまりおもしろくなかった。それ以来2回目だ。マイケルがあっさりビンセントを後継者に選んだのでびっくりした。アンソニーが歌手になると言い出した時は、てっきりシンガーソングライターでも目指すかと思ってマイケルと同様にやめとけと思ったのだけど、正統派のオペラ歌手でぜんぜんチャラくない。
見ごたえはあったのだが、年老いて終始弱々しいアル・パチーノはあまり見たくなかった
フランシス・フォード・コッポラ監督による1990年制作Part IIIの2020年再編集版
(アメリカ映画)。
原題:The Godfather, Coda: The Death of Michael Corleone。
前2作が凄かっただけに、どうしても見劣りはしてしまうが、この映画だけ純粋に考えれば、結構楽しめる映画には思えた。
主人公マイケルの甥を演じたアンディ・ガルシアはかなり魅力的だった。ただのチンピラがマイケルに学んでいき少しずつだが落ち着いて知的になっていくさまが悪くない。演技がなってない監督の娘と当時めちゃ叩かれた様であるが、十代のマイケルの娘を演じたソフィア・コッポラも初々しさがしっかりと出ていて、最後の死での父親の悲しみの大きさに随分と共感できた。
元妻役のダイアン・キートンも存在感があったし、姉のコニー役タリア・シャイアの若かりし頃のマイケルの様な、いけいけどんどんぶりも面白かった。歌手だから当然とは言え、息子役のフランク・ダンブロシオの歌声もお見事。オペラ劇の裏で、敵及び味方の殺しが同時進行していくのは、まさにコッポラ監督らしくて、今ゴッドファーザー映画を見ているという盛り上がりを感じた。
また、ヘリコプター攻撃によるマフィア殲滅、実際にあったらしいローマ教皇の突然死を物語に絡ませたのも、グッドアイデア。もちろん、シチリアの田舎的な風景とニーノ・ロータによるテーマ曲も良くマッチしていた。
ただ、マイケル演ずるアル・パチーノが糖尿病で死にかけただけでなく、終始弱々しく、ゴッドファーザーらしくなかった。脚本の問題だとも思うが、どこかで元ドンとしての迫力の片鱗、例えば意志の強さ等、リアルさに欠けるとしても見たかった。
製作フランシス・フォード・コッポラ、製作総指揮フレッド・フックス、ニコラス・ゲイジ、共同製作フレッド・ルース、グレイ・フレデリクソン、 チャールズ・マルベヒル
脚本フランシス・フォード・コッポラ、マリオ・プーゾ(コロンブス等)。
撮影ゴードン・ウィリス、美術ディーン・タボウラリス、衣装ミレーナ・カノネロ
編集バリー・マルキン、リサ・フラックマン、ウォルター・マーチ、音楽カーマイン・コッポラ。
アル・パチーノ(マイケル・コルレオーネ)、ダイアン・キートン(ケイ)、
タリア・シャイア(コニー)、アンディ・ガルシア(ビンセント・マンシーニ、オーシャンズ11等)、イーライ・ウォラック(ドン・アルトベロ)、ジョー・マンテーニャ(ジョーイ・ザザ)、ブリジット・フォンダ(グレース・ハミルトン)、ジョージ・ハミルトン(ハリソン)ソフィア・コッポラ(メアリー・コルレオーネ)、フランク・ダンブロシオ。
シチリア人になれなかったアメリカ人の悲劇
『午前十時の映画祭12』で鑑賞。『ゴッドファーザー Part III』は以前に鑑賞していたが、その時は『Part II』と比べてその出来の悪さに呆れたものの、今回鑑賞したこの『最終章』(Coda)は『Part III』と比べたら確かに良くなっていた。ただ、それは物語の展開が、ダイジェスト版としてすっきりして分かりやすくなったという意味である。この『最終章』を観て思ったのは、アル・パチーノ演じるマイケル・コルレオーネという複雑な男の感情を描くためには、おそらくはもっと尺が必要な映画であったということである。
ゴッドファーザー三部作は、シチリア人になりたくてなれなかったアメリカ人としてのマイケルを通して、「シチリア人」なるものを描いた映画である。『ゴッドファーザー』の最初のシーンが妹コニーの結婚式に、海兵隊を除隊したマイケルが、ダイアン・キートン演じるケイを連れて参加するシーンが示唆的である。「自分は父親のようにはならない」と言っていたマイケルが、父親のドン・コルレオーネの暗殺未遂事件を契機にファミリーに組み込まれ、最終的にはファミリーのドンになる。『ゴッドファーザー』ではマイケルはシチリア人になれたはずであった。しかし、『Part II』で描かれたのは、シチリア人になれなかったマイケルの挫折である。自分を裏切った兄の殺害。守ろうとした家族の崩壊。『Part II』の最後で、ヴィトーの誕生日にマイケルが海兵隊に入隊したことを兄弟に告げるシーンの回想があるが、『最終章』を観るまではそのシーンの意味は分からなかった。しかし、『最終章』を観てそのシーンの意味がようやく分かった。海兵隊に入隊するアメリカ人のマイケルは、シチリア人である兄のソニー達に受け入れられなかった。裏切り者の兄のフレドを殺害したのちのその回想は、自分がやはりシチリア人ファミリーにとって「他者」であることを痛感したということであろう。
この『最終章』で興味深いのは、マイケルが(嫌がる)ケイの案内人として、コルレオーネ家由来のシチリアの家などを訪れるシーンである。人によっては「中だるみ」とも評されるこのシーンであるが、ケイの視点から考えればそうとは言えない。ケイの視点は、シチリア人を理解できないアメリカ人の視点だからである。ダイジェスト版である『最終章』でも、いわば「中だるみ」ともいえるこのシーンを削除できなかったのは、そのシーンがシチリア人の描写を外部(非シチリア人の観点)から描写したものであり、ここを削除すると(シチリア人を描く)ゴッドファーザー三部作の意味がなくなるからである。
また『最終章』を観て改めて思ったのが、『Part III』が基本的にピエトロ・マスカーニの『カヴェレリア・ルスティカーナ』をモチーフとしていることである。このオペラの美しい間奏曲は、最後の階段での悲劇で使われているが、この映画で『カヴェレリア・ルスティカーナ』が選ばれたのはこの間奏曲のためだけではないであろう。ヴィンセントによるザザの殺害時のキリスト像とアンソニーが出演している『カヴェレリア・ルスティカーナ』の舞台でのキリスト像が同じであることがこのことを示している。『カヴェレリア・ルスティカーナ』は復讐というシチリア人の慣習を描いたオペラであるが、それがどのような悲劇をもたらすのかを描いたのが『Part III』と『最終章』であった。復讐は何ももたらさないのは、当の本人たちもよくわかっている。それでも、復讐をせざるを得ない。それを甘受できるか否かか、シチリア人であるか否かの分岐点なのか? この点、コニーとヴィンセントはシチリア人であった。告解をするマイケルは、シチリア人になりたかったが、なれなかったアメリカ人である。
最後に、『Part III』が公開されたときは、ソフィア・コッポラは酷評されたが、『最終章』を観て、そんなに悪くないと思った。十分に魅力的なイタリア女性である。
映画として決して悪い出来ではないが、蛇足とまでは言わなくともPARTⅢを作る必要性があったのか。PARTⅠ/PARTⅡで描きたいことは全て描いていると思うのだが。
①「午前10時からの映画祭」にて初鑑賞。初公開当時からⅠ/Ⅱに比べて落ちるという評価だったので楽しみというより勉強の為に鑑賞。②初めの方でやはりパーティーシーンがあるのはⅠ/Ⅱと同じでややマンネリのそしりは免れない。ヴァチカンに騙されかけた話の内容も、キューバ政権と癒着していたロスに騙されかけたⅡと同じような話の流れで目新しさはない。③
ゴッドファーザーの末路
自宅で動画配信サービスを利用して視聴しました。
この2日間でパート1,パート2を見ての今作。
映画の冒頭はパート1と同じようなシーンから始まり、マイケルがゴッドファーザーとして成り上がったんだな、と思わされます。裏の世界から抜け出そうとしても結局抜け出せず、途中では懺悔するシーンもあり、パート2の時のようなギラギラ感はなくなっているあたり老いを感じたりもします。パート2の時よりも、ビトのような雰囲気を感じ、自分的には好きです。
オペラのシーンではなにかありそうでギリギリ何も起こらない、非常にムズムズ、ドキドキさせられます。結局、最後にはマイケル自身ではなく愛する娘が亡くなります。やはりこれまでのマイケルの行いの報いなのでしょうか。
3作を通して非常に濃厚なマフィアの一生に浸れました。自分としてはビト・コルレオーネのゴッドファーザーも好きだったので、パート1が1番好きです。パート2も3部作の中盤として、ただ3作目につなぐだけの作品ではなく、濃厚に描かれていたと思います。
すごいシリーズでした。
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