ボクたちはみんな大人になれなかったのレビュー・感想・評価
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伊藤沙莉にやられた
最初の方でラサール石井のわざとらしい演技を見せられて辟易したが、この人がいなくなったあたりから引き込まれていくようになった。やはり、伊藤沙莉の魅力なんだろうね。誠と初めて泊まったラブホテルで見せるかおりの仕草とか表情とかが素の女の子にしか見えない。
初めての異世界のような内装に興奮してはしゃぐかおりがだが、その時を迎えると極度の緊張が好奇心を殺してしまい、誠のリードに身を委ねてしまう。リードを任された誠もガチガチで、この辺の二人の演技はとても純な感じがして、たまらなかった。
ストーリーは、平成の時代を順々に遡る回想形式となっている。シーン毎にその時代時代の自分の記憶も蘇ってきて、ある意味、タイムマシンに乗っているようにも感じた。この辺の演出が上手い。
誠のいう大人とは、家庭を持ち子供を作る事を意味しているが、いろんな事をあきらめて、人生に折り合いをつけて生きている現在の誠は完全に大人になってしまっている。
でもわかる。大人になりたくないのは、自分も同じだから。
静かに刺さるか、薄っぺらさにガッカリするか。
ここまで受け手のバックグラウンドによって印象が大きく変わる作品も珍しいですね。
物語として観るというより、映画という媒体を自分をシンクロさせて感じさせる。そんな作品なのかな、と。
刺さる側の人たちは、要所要所で自分の人生の物語を紐解きながらこの作品を観ることになるんですが、その頃人生の全てだった"あの頃"が自ずと蘇ってきて、悲しみとも喜びとも言えない不思議な気分にさせられます。
最後のシーンの「ほんと、普通だな」。
今振り返ってみると大したことが無かったのか、それとも大したことがなかったと思えるくらい様々な経験をして人間として成長したのか。
後者であってほしいし、おそらくみな後者なんでしょうね。「大人になれなかった」のではなく、「みんな何気なく大人になっていた」のだと。自覚はまったくないけど。
もう会うことのできない人、感じることのできない空気感を思い出しながら迎えるエンドロール。
「燃え殻」の優しい曲調が過去の自分に向けたレクイエムのように感じました。
落ち着いたら"あの頃"の思い出の地に足を運んで止まった秒針を進めよう、、、後ろを見ながら前に進む気にさせてくれた、そんな作品でした。
原作のファンです
今はもうない東京
90年代終わりから2020年まで、オザケンと共に歩む東京…
今はもうない渋谷やラフォーレ原宿で、今はもういない人達と過ごした人生を、自分事のように自分の内面に映しながら、自分事のように痛みまで感じる映画だった。
僕等はみんなどこか佐藤や関口のようだったし、彼女たちはみんなどこかかおりやスーのようだった…
だから小説も支持されたんだし、この映画はそれに更に『今はもうない東京』を加えてくれた。
公開館数が少なすぎてビビったけど、今はもうない円山町の坂道の再現度合いや、若い頃の森山未來のお肌のすべすべ具合を見ると、Netflix制作できっとお金を掛けられたからかなと思い、それも悪くなかったかなと考えた…
横浜のシネマリンはほぼ満員で熱気があったけどね。
日本のNetflix製作ではみんな面白い映画になれなかった
今泉力哉とかその辺の映画監督が作ってそうな雰囲気青春恋愛邦画をNetflixが10倍の金出して作ったような映画です
まったく中身がありません
カラオケで流れてるくらいがちょうどいいMVの豪華版と言ってもいいくらいです
現実にちょっと不満があるというかマンネリを感じてる中年が、あの時こうしてたらどんな人生に成ってたのかな?ぐらいの気持ちで過去を懐かしんで、恋人や友人との回想がいっぱい入ってきますが、主人公の未来には何の変化もない、作り手のメッセージもない、ただただ昔を懐かしむだけで終わる話です
ドラマがないし、カタルシスがないし、未来に進展がないんです
オシャレでレトロな雰囲気だけがあるという……
Netflixにはダメな邦画やドラマを駆逐してもらいたいぐらいなんですが、逆に何故にダメ邦画の集大成みたいな雰囲気青春恋愛映画を作ったんでしょうか?
世界の人には燃え殻さん原作なんて何も通じないし、日本人の邦画マニアだけが見るような映画をわざわざ作る必要はどこにも無いと思うんですが……
金かけてるけど全裸監督のロケ場所や美術の使い回しみたいな印象も受けますし、ラストはやっぱり渋谷のスクランブル交差点とか、なんか呆れてしまいました
日本のNetflixにはイカゲームを超えるような、世界に通じるドラマを作ってもらいたいですね
そのためには日本の小さい市場のしょうもないシネフィルの好みなんて思いきり無視してもらいたいです
もちろん燃え殻さんの原作は面白いです
ただあれは小説というメディアだから成立していたというか、地の文を読んでて面白い部類の小説でしたから、映像化にはとても不向きです
そのまま再現するならナレーションやモノローグだらけになるし、それを省けば今作のような雰囲気だけで何がしたいかよく分からないシーンの羅列になります
それを脚本監督が無策で、そのまま映像化しようとするから、今回みたいにただの雰囲気青春恋愛映画になってしまう
回想のダイジェストに現代をちょいちょい挟んだだけみたいなストーリーになってしまうんですよね
面白い原作なのに非常にもったいない……
まぁ、平成初期の風俗とか、ラフォーレとか渋谷の街並みとかを再現する予算があるのはNetflixだけだから、ここ以外では映画化不可能だったんでしょうけども、なんかすっきりしませんね
あと気になったことは伊藤沙莉の無駄遣いでしょうか
全裸監督やタイトル拒絶のときも思いましたが、伊藤沙莉は仕事選びが下手すぎます
出演作品に駄作が多すぎる
それが気になりました
良い演技が出来る役者は絶対に台本の善し悪しが分かっているはずだから、たぶんNetflixとか監督とか人の繋がりを優先してやむなく出てるんでしょうけど……
良い女優さんの良い時期は意外に短いですから、彼女のキャリアが中途半端になりそうで不安です
特に何の感動もない。
20年を並走
最初こそ期待し過ぎてたかな?と
時代が行ったり来たりして分かりにくいし、
感情移入しにくい映画だなと思ってだけど、
思い出を振り返る時ってこんな感じで、
時間軸通り思い返したりしないし、あの時こんなだったな
って思い返すよなと思ってからは、
いつの間にか主人公が過ごした1998年くらいからかな?
僕もあの時こんな事があったよなと思い出して
主人公と全く違う人生なのに並走していた。
99年、ミレニアムを迎える時あいつらといたな、
彼女と行ったラブホ、彼女に言われた言葉、
アシスタント時代、デビューした時…
色々思い出しました。
漫画家デビューした時、
自分の人生ってなんて普通なんだ、とずっと劣等感を感じ
てたけど、
そんな普通の人生の中にも色々あったじゃん。
となんとなく今の自分を支えてくれてる気がして、
明日も頑張ってみようかなと思えました。
にしても、その20年間を違和感なく演じた森山未來に
感服しました。
【肯定感】
この作品中にかかるオザケンの「天使たちのシーン」は、僕も大好きな曲だ。
そもそも、僕は、オザケンの多くの楽曲の肯定感が好きだ。
この作品は、過去を辿り、過去を肯定してみせることによって、更に、今を肯定しているように思えるのだ。
過去を肯定しているというのは、あの頃は良かったとか、今と比較して、過去を過度に美化して懐かしむことではない。
当然、過去を振り返って、あの時、こうすれば良かったとか、後悔したりすのとも違う。
過去の楽しかったことも、辛い思い出も、彼女と過ごした貴重な時間も、身体を重ねたことも、別れも、寝る時間を惜しんで働いたことも、対立も、友情も、自分ならではのエピソードも、全て受け入れて、その事実を単に肯定しているのだ。
そして、今も昔も肯定し、更に、きっと未来も肯定しているような気がするのだ。
オザケンが「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに出演した時のタモリさんとの(僕の理解では)割とよく知られた話しがある。
オザケンの「さよならなんて云えないよ」の中の歌詞
「左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる。僕は思う。この瞬間は続くと。いつまでも」について、
タモリさんが、”この瞬間は続く、いつまでも”と云うのは、人生の最大の肯定じゃないかと思うと話していたのだ。
そして、冒頭でも紹介した「天使たちのシーン」がかかる場面で、映像にタイピングされる歌詞の一部
「神様を信じる強さを僕に」
が、なんか、とても意味があるように思えるのだ。
きっと、神様を信じることは自分を信じることと同じだ。
そう、これこそが鍵となって、人生の肯定感につながるのではないのか。
タモリさんが人生最大の肯定だと言っていた、あの歌詞の肯定感に…。
僕は、子供の頃思い描いていたような大人になっているのだろうか。
何十年も変わらず、同じことを祈ったり、願ったりしてるような気がする。
変わらない趣味も多い。
仕事もそれなりにしている。
自分より好きな女みたいな話が映画にあったように思うが、僕には、自分自身より好きだなと思った女性が過去に3人いた。残念ながら、彼女たちとは結婚はしなかった。
だが、後悔などはなくて、今でも好きだけど、自分を形作ったものという感じでいる。
この映画では、自分に親切にしてくれたヤクザが云々という場面があるが、刑事事件なんかではないけれども、僕がリスペクトしてた人が、こんな事を!みたいなことはあった。
振り返れば、いろんな事を経験して、やり過ごしてきた。
「ボクたちはみんな大人になれなかった」のではなく、「ボクたちはみんな大人に…なった」のだ。
そう思う。
ところで、オザケンは岡崎京子さんと交流があって、映画「リバーズ・エッジ」に曲を提供した時は、なんか嬉しかった。
岡崎京子さんの作品にも肯定感を感じる。
ボクたちは一応大人にはなった気がする。
映画館で
気になる点もあるけど、良い作品。
今年169本目(合計233本目)。
シネマート心斎橋さんの「劇場挨拶(トークショー)版」に行ってきました(満席でした)。内容についてはここでは書かないほうが良いこともありますし(ネタバレになる)、そもそも不特定多数が見るようなここで公開されるということを想定していないと思うので、その部分(舞台挨拶(トークショー)の部分)は原則省略します。
よくある、「過去から現在への向かっての時間ずらし」と違って、本映画は一部例外もあるものの「現在から過去への時間ずらし」という余り見ない描写を取っています。したがって、「観客が知っている情報と、登場人物が知っている情報」が一致しない場合があり、その点は把握して見ないと大混乱を招きます。
また、この映画自体もPG12扱いで、やや不穏当な表現(大人の営み)も出ますが、それは最低限ですし、不愉快になるほどではありません。
そのような趣旨なので「このときそうしていれば…」という、 if の話は結構多いです。それは映画を離れた私たちでも同じことだと思います。ただ、過去だけは変えられません。変えられるのは未来だけだからです。
トークショーでも話されていましたが、やはり、1995年~2020年に起きた色々な出来事を意識して作られたとのことで、このことは映画を見るとはっきりわかります(小説が原作とのことですが、小説にないことも、現在(2020~2021)の事情も踏まえ、ある程度足されているとのこと。だれしもわかる範囲なので、ネタバレ扱いしません)。私たちはこうした自然災害等と戦って今まで生きてきたのであり、裏を返せば、今(2021年の今)も必死に生きているわけです。「あのときこうだったら…」と考えている余裕って実はないんですよね…。
実はこの映画、同じ内容でネットフリックスでも公開されています(よって、映画館で見るのは、映画館で見る価値がある、という考え方の方か、ネットフリックス未契約の方になってしまう)。ただ、ネットフリックス版も映画版も、「最後まで見てほしい」ということは強くおっしゃっていました。映画版では嫌でも最後まで見ますが(途中退場しない限り)、ネットフリックスはそうではなく、勝手に1.25倍速やら1.5倍速やらにする方もいますが、この映画に限っていえば、それはやめたほうが良いです。最後の1秒まで「映画に込められた魂」があるからです。
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(減点なし/減点0.1) 映画内では、上記の理由から、原作小説にない2020年から、1995年までが描かれます。1995年といえば、Windows95が出た時代です。ただ、そのWindow95は、3.1系列(ほか、3.0や2.0があった)とは違い、今のWindow10に繋がるほど大きな変化であったのです(今でも、クラシックモードにすれば、Window95風の操作にすることは、できます)。ただ、その部分の描写が妙に古臭く、「今どき(1995年基準で)パソコン通信ですか?」というような描写が多少あった点、換言すれば、IT技術に関する描写がやや甘いかなと思えた点は気になりました(IT業界にいると、こういうことは気にするものなので)。
もっとも、それが本筋ではないのはどうみても明らかなので、減点幅としては最大でも0.1程度でしょう。
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クソのような日々もやがて、どんなに泣きわめいても取り戻せない輝きの日々になる
【”苦し事や哀しい事や、愉しい事が偶に起きる”普通”の日々の積み重ねで、人生は出来ている。”25年に亘り、一人の男が一人の女性を想う姿を、世の変遷を背景に描き出した作品。】
ー 大人になるって、どういう事だろう。
様々な苦しみや、哀しみや、楽しかった経験を積んで、歳を重ねる事を言うのだろうか・・。ー
◆感想
・佐藤(森山未來)が、七瀬(篠原篤)と、夜中に酔っ払ってゴミ置き場に突っ伏すシーンから物語は始まる。七瀬は言う。”8割の人間は塵だ。残りの2割はカスだ・・。”
佐藤は言う。”けれど、1%は良い人が居ると思うよ・・。”
ー このシーンが、ラストに連関している。
そして、佐藤の21歳からの人生が、時系列を逆行しながら描かれる。見事な構成だと思う。
それにしても、森山さんの21歳から46歳(私事で恐縮であるが、ほぼ同年である・・。)を何の違和感もなく演じ切る姿には、素直に参ったと言わざるを得ない。
ダンサーとしても活躍する森山さん自らの節制の賜物であり、彼の演技力が存分に発揮されている数々のシーンにも魅入られる。ー
・TVのテロップを制作する会社で、忙しく働く佐藤は、婚約者(大島優子)とも破局し、ズルズルと無目的に生きている。且つての仲間だった関口(東出昌大)は、TV会社の下請け仕事に見切りをつけ、オンライン学習塾を立ち上げ、新たな道を進み始めている。
ー 佐藤が、最初に出来た恋人かおり(伊藤紗莉)と、永遠に別れるとは思わずに、別れた坂道の二股で、且つての彼女の姿を思い出すシーン。
”次に会った時に借りてた、CD返すからね・・”
佐藤が、未だにかおりの事が忘れられない事を示しているシーンである。この二股のシーンは複数回、描かれる。ー
・佐藤は、バブルの中、新宿のオカマバーを経営する七瀬の店で飲んだり、羽振りの良いどこか怪しい男佐内(平岳大)のおごりで飲んだりするうちに、女性とも関係を持つが・・。
ー このシーンで、”8割の人間は塵だ。残りの2割はカスだ・・。”と言う言葉が楽し気に語られる。ー
・忙しい日々を過ごす中、夜バイク事故を起こした時に、助けてくれたヤクザの男(奥野瑛太)が、その後鉄砲玉として、逮捕されるシーン。
ー この作品は、こういった些事を描くことで、厚みを持たせている。ー
■時代は、ドンドン遡り・・
・佐藤と、かおりが文通を通じて、出会うシーン。
二人が交わす手紙はドンドン増えていく。佐藤はそれを生きる楽しみにしている。
そして、初デート。初のラブホテル。
ー 伊藤紗莉さんの魅力が、全開である。
佐藤が頑張って、ポール・スミスのシャツを着てきた時に、近くの男も同じシャツを着ている時にさりげなく言った言葉。
”無理して高いモノを買っても、他人と同じだと・・。”
そして、彼女は古着屋で仕入れたインド風のシャツと自分で彩色したスカートを履いているのである。
二人でオザケンの曲を聴きながらのドライブ。
いつの間にか眠ってしまったかおりの、無垢な寝顔。
佐藤が、何時までも彼女の事が忘れられない気持ちが、同性として良く分かる。
彼女は、無理に飾らないし、偽らない。思った事を素直に口にする。打算が無い。
その後、佐藤が出会った女性達との決定的な違いがそこにある。
だが、彼女はある日、忽然と佐藤の前から姿を消し、2011年、インスタグラムで佐藤の前に現れる。且つて彼女が言っていた”普通”の結婚をして、子供もいる。ー
・コロナ禍の現代。
佐藤は、時代と折り合いをつけ、今や会社の上位役職に付いているようだ。
だが、彼はいまだに独身である。
そして、久しぶりに若き頃から、佐藤に密かに思いを寄せ、一緒にクッキーを作っていた七瀬に出会う。
ここが、冒頭のシーンである。
だが、彼はタクシーで自宅に帰る途中、タクシーを降り、且つての初恋の女性かおりと最後に分かれたあの坂道の二股に立つ。そこには、かおりの姿があった・・。
ー 非常に巧い構成である。佐藤の一途な気持ちが伝わって来る。ー
<名匠、犬道一心監督が描き出した、一途な男の恋物語である。
今作のタイトルは、「ボクたちはみんな大人になれなかった」であるが、
私の中では、
「ボクたちはみんな、小狡い世間ずれした大人にならなかった」である。>
<2021年11月7日 刈谷日劇にて鑑>
エモノスタルジーをノーラン的に
なんだろう、なんかいい
30代後半の私には、なにがいいのかと言われるとわからないけど、なんかいい映画でしたね。人生を遡って振り返っていく感じ。自分の人生も振り返って、そしていったい自分は何者なんだろなーとか思って。過去のいろんな思い出とそれによって作り上げられた今の自分にいったいなにがあるんだろう。少しは大人になれたのか。てか大人になるってなんだ。普通ってことなのか。
各シーンに散りばめられた昔のスマホとか音楽とかも萌えます。
森山未來素晴らしかった。自然に若くなって歳をとってること自体恐ろしい。髪型や服装と演技でここまで年齢変わるもんかと思いましたね。東出昌大もチャラチャラクソ野郎でよかったですね、上手。映画の中でも離婚してしまったようです。
伊藤沙莉かわいかったー若い役で大変だと思いますがいい感じでした。肌が綺麗で、なんか普通なかわいさで、リアリティあって。ラブシーンけっこう露出させて頑張ってましたね👏
エモいってカッコイイよなぁ!みたいな映画
中身空っぽのオシャレ映画
なんの意味もないことに意味があるみたいな
よく分からないまともな映画に対してのアンチテーゼを描いてる
でも中身があるように見せて空っぽの映画2時間も見せるって普通に頭おかしい、、
オシャレ大学生とかがわかってる感出すために評価するのかな
最後空とか見てにこって笑ってエンディングかなぁと思ったら案の定でした。
犬キャラちゃんの(自己承認欲求的)女心
犬キャラちゃんがもー、心当たりありすぎてイタタタタ( ノД`) 絶妙なぶすっぷり、小太り感。
むげん堂で働いちゃってるし、スカートに絵描いちゃってるし、深いこと言ってるようで実はペラペラ。はーイタタタ。
男性目線ではいい思い出なのかなあ?初エッチの恥じらいかたとか可愛いなんて思っちゃったのかなあ。
こちらとしては、あの頃の彼氏ごめんなさい。「フツーだねぇ」は呪いの言葉になってしまうこともあるのね。
そんで彼氏に古着着させてね、クリエイティブと言えないこともない仕事に替えさせてね。
最後の突然「コイツもういいや」ってなった感じ、リアルだったな。はいはい、撤収!てね。
ひとつハテナなのは、犬キャラちゃんたちはオザケンにはいかないと思うけどなー。オーケン、らも、と来たらオザケンはむしろ敵なのでは?
何も無い。
観終わった感想としては「何も無い。」に尽きます。
特別な事件が起きる訳でも問題を解決していく訳でも無く、ただ日常を観ただけ。という感じ。
そう感じる内容なのに、全く飽きず、終わってほしく無いなぁ。と思いながらエンディングを迎えました。
今まで観た映画では感じれなかった観終わった後の不思議な感覚。映画の内容というより、映画を観ていた時の自分の心情を振り返るとゆう不思議な感覚になりました。
言語化するのは難しいんですが、それだけ演出にスキが無いんだと思います。
[普通]を否定したり肯定したり、誰かに影響を受けたり人に合わせられなかったり。
「そうなんだよなぁ」と思いながら、
何か起こってくれと願いながら何も起こらず、
「そうなんだよなぁ」と思いながら映画は終わっていって、
「大人になれなかったって事にしたいだけで、本当はもうちゃんと大人になってしまってるんじゃないかなぁ」と思ったりしているところです。
何も無いけど、それでも良いし、それで良い。
って事で良いのかなぁ。
なんというか、こういう感情に対して「良いんじゃない?」って言ってくれそうな映画です。
ものすっごく、ノスタルジーな気分へ
キャバクラ一回分ね
自分自身を振り返り、感傷にふける機会になった
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