「究極のノンリニアー... ハリウッドでリメイク間違いなし!!」藁にもすがる獣たち Puti Nakiさんの映画レビュー(感想・評価)
究極のノンリニアー... ハリウッドでリメイク間違いなし!!
この映画『藁にもすがる獣たち』には主人公となる人はいない...
それはただ 金だ!!! 失礼、下品でした。
A grown man shouldn't cry. During the Korean War, the whole
country was like this. If you're alive, things will work out. With
2 arms and 2 legs, you can start over.
本作品が始まって、ものの5分ほどで間違いのない映画と... "韓国の至宝" ユン・ヨジョン女史のご登場とは、前もって何も映画について調べていない者にとっては、唐突であり、意外であり、ションベンたれ?であったり... と、この人、凄すぎる。
上記のセリフは映画も佳境に差し掛かった時の彼女のセリフで個人的には、この映画のシニカルさを表現した中に、言葉の意味のアイロニックさを区別した彼女ならではの人柄が表れる毛沢東の造語とされる "反面教師" 的でもあり映画の根幹とも呼べる表現となっている。
Nonlinear narrative... 非線形のストーリーラインの映画の切り口?
本作品『藁にもすがる獣たち』を製作し、また脚本家でもあるキム・ヨンフン監督が AMP(Asian Movie Pulse) のインタビューの中で、コーエン兄弟やタランティーノ監督を尊敬していると語り、映画の企画書と言えるプロットの組み立て方の構成も、本作品は名立たる映画賞を受賞しているタランティーノ監督の1994年の映画『パルプ・フィクション』で見られる時間的な順序とはイビツに異なった流れの当時としては珍しい手法である "Nonlinear narrative" 形式で時間軸を無視した話になっていて、映画自体は6つのパートのチャプターから成り立っている。この映画では、第一章が話の時系列から言うと第六章にならなければならないのに話の組み立ての面白さから順序を真逆にしてラストシーケンスから映画を始めている。
そして、またコーエン兄弟の映画『ファーゴ』でも見られた、人の人生に何が起きるか分からないプロット展開の複雑さの中に面白みも自然と感じてしまう...etc.
“Oh, my God! She’s such a -!” Subtext – what lies beneath
You completed that sentence, didn’t you?! I left a gap, and you
filled it with knowledge from your own experience of life and
people. That, right there, is the secret to subtext. Writers leave
gaps in knowledge; readers project knowledge into those gaps.
Subtext is the knowledge that goes into a gap, and that knowledge
comes from the reader. We’ll find out if ‘she’ is what you think she
is, and if you correctly filled that gap,
before the end of the article. デイビット・バブレン博士のブログより
アンサンブル映画に加え、プロットの時系列を無視したノンリニアーな展開から前半を過ぎても物語の登場人物同士の繋がりや話の整合性が皆目と言っていいほど分からず、話が闇の中に没入されそうになってしまっていた。普通なら非線形な話しの流れを映画製作者側が、ストーリーの筋を分かり易く描くところをこの映画『藁にもすがる獣たち』の製作者たちはあたかもお構いなしにバラバラのまま話をそのまま進めていく。しかし、その分かり難いストーリー展開でも個人的には、何故か嫌な気はしなかった... それは一体何故か?
初となる長編映画『藁にもすがる獣たち』を製作したキム・ヨンフン監督が、このドス黒いコミック・ネオ・ノワールの世界観をジッピーな機関銃ペースのシナリオ展開と共に、更にゴア表現で支えられた暴力の極みのアクションとグーフィネス・コメディの両方を暗闇の魅力的な力でブレンドさせた巧みな手法で上手く融合させ、この複雑な物語を見ているものを飽きさせず、また緊張させ続ける素晴らしいスクリプトをキム・ヨンフン監督は書き上げている。
映画の中で次に何が起こるかを予測することもさらに映画に感情移入をたやすくさせ、楽しくなってしまう。
監督は AMP のインタビューでこんなことも語っていた。「この映画では、誰もが異なる嘘をついていて、色にそれを反映させたかったのです。(ヨンヒ—白、テヨン—青、ミラン—オレンジ、ジンテ—紫など)。カラフルなネオンサインの下に住むテヨンにとって、彼は日光の代わりにもっとより人工的な光に触れさせています。一方、ミランはタングステンの雰囲気があります。」
美学として利用するカラーパレットの色合いやネオン管に現れる決して明るくはないこころを象徴しているように華麗で妖気を発しているかのようでコメントコンサルタントと別の顔を持つ小説家でもあるデイビット・バブレン博士が提唱するサブテキストによる効果と創作物の中で、登場人物がはっきりと明示しないギャップ感がラストに近づくにつれて、話の整合性が見えてきて、あの入り組んだ迷路のようなストーリー展開から終盤に一気に話がまとまり、その解放感は顕著になり、またカタルシスは全開となる。
When you strike it rich, you can’t trust anyone... この言葉は重い!
この映画は、映画『神の一手』で、あたし好みのムキムキのビルドアップした飽きの来ない身体を見せつけ、また映画『無垢なる証人』では有能な弁護士を演じた憧れの的と呼ばれる韓国を代表するハートスロブ俳優の一人のチョン・ウソンとカンヌ女優のチョン・ドヨンを含む経験豊富なキャストの人たちがこれほどのクズ人間を演じるとは信じられない。
特に最近拝見した映画『君の誕生日』でのチョン・ドヨンさんの喪失感の表れから、ほとんどスッピンだったのを思い出すのは容易だったにしても、ヨンヒ(チョン・ドヨン)が浴槽の中で死体を傍らに置いたしり目に浴室で彼女が携帯電話をいじっている場面は、コーエン兄弟の映画『ファーゴ』のピーター・ストーメアがウッド・チョッパーで人を粉砕させるシーンを連想させる... 死体の硬直した足の感じが、フフフ?
彼女、眉一つ動かさずに人を切り刻む超が付くほどの変態的アバズレ(失言です。またまた下品で)女性を演じるとは並の女優さんが演じるとコッケイにしか映らず、彼女ならではのさすがとしか言いようがない。
『おかしなおかしなおかしな世界』1963年のアメリカのコメディ映画ほどのコミカルさはないにしても、ある銘柄のタバコの名前に引っかけてのワン・シーンはチョットやり過ぎ感が出てしまっていたけども、映画のスリリングさがそれでもそんなことはとるに足らないことにしてしまっている。
ペ・ジヌン演じる魚の内臓を好んで食べる巨漢男は異彩を放ち、最後の殺しの場面では映画の中で包丁をあんな風に使ったのを見たのは初めてかもしれない。そのシニカルな殺しがこの映画の凍てつくような冷え冷えした全体の雰囲気と映像美とを形作っている。
前出のAMPの質問に何故、日本の作家の作品を選んだのかという問いに
キム・ヨンフン監督は... 「当時、私が取り組んでいたスクリプトはあまりうまくいきませんでした。それで、私は本屋を訪れました。その本のタイトルが私の目に留まったのです。」この言葉は、一見、監督が行き詰って新しいテーマを探しに本屋に行って日本人の作家の作品と出会った何気ない偶然のエピソードとして捉えることができる。
しかし、世代が変われば話も変わる。
遠い昔、南の島国からの帰り、韓国の知人からぜひ、"日本の京都みたいだから" と慶州を観光してからでも遅くはないからトランジットで韓国に寄ったことがあった。その当時は、まだ韓国での日本の大衆文化の流入制限がされていて、日本語の旅行ガイドを持っていかずに行ったので単純に電車に乗る事すらままならず、少し戸惑った事を監督のコメントから急に思い出した。
そんな時もあった、今の韓国は変ったんだな~っと。
そんな映画です。